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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

【水滸伝コレクション解題】

【水滸伝コレクション解題】

鍾伯敬先生批評忠義水滸傳 一百巻一百回

*本解題は、

東京大学附属図書館アジア研究図書館上廣倫理財団寄付研究部門(U-PARL) 2020₋2021年度協働型アジア研究「東京大学所蔵水滸伝諸版本に関する研究」成果報告集(2022年8月1日発行) pp.29-36

に掲載されたものです。引用の際は出処をご明記くださいますようお願い申し上げます。

(ページ数は原掲載書のものです)

(レイアウトは原掲載時と異なります)

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p.29

鍾伯敬先生批評忠義水滸傳 一百巻一百回

東京大学総合図書館蔵 

請求記号 A00-6267

 

一帙十六冊。第一冊は補鈔。題簽「水滸傳 巻首」。縦二十三・七㎝×横十三・九㎝。「水滸傳序」六葉、「水滸人品評」五葉、図題と賛三十七葉。

第二冊より刊本。題簽「水滸傳 幾」。縦二十三・七㎝×横十三・九㎝。

第二冊第一葉より正文第一巻。巻首題「鍾伯敬先生批評水滸傳巻之幾/竟陵鍾 惺伯敬父批評」。巻四は「鍾伯敬批評忠義水滸傳巻四」。巻七〜十九、二十三、二十五〜三十四、四十、四十二〜五十、五十六〜六十六、七十一〜七十八、八十二、九十五、九十九、一百は「鍾伯敬先生批評忠義水滸傳巻之幾」。さらに、巻二〜十三、十七〜二十四、三十五〜四十二、五十一〜五十五、六十九、七十、七十三、七十四、七十六〜八十一、八十三〜九十八は「竟陵鍾惺伯敬父批評」を欠く。

四周単辺、縦二十㎝×横十二・二㎝。無界。毎半葉十二行、行二十六字、眉批行三字。版心白口。単黒魚尾と単白魚尾が混在。魚尾下題「巻之幾」。上辺に「批評水滸傳」、下方に葉数。

神山閏次氏(1870年―1943年)旧蔵。帙に収めたうえ、さらに木函に収められている。木函はその表に「水滸傳」、内に「醉竹軒珍蔵 竹隱題函(花押)」の墨書がある。帙の内側に「寄贈」印があり、「昭和拾年貮月貮日/神山閏次氏」と記入されている。また、すべての冊の第一葉に「東京帝國大學圖書印」、「山閏/之印」が捺されている。神山氏自身が「大正十四年二部出現一部ハ某氏ヲ經テ今京都帝國大學ニ在リ一部ハ茅屋ニ藏ス」(神山閏次「水滸傳諸本」)と述べていることから、神山氏の蔵に帰したのは1925年(大正十四年)ないしその直後であることが知れる。

本書は水滸伝諸版本形式のなかでも比較的古い種類である百巻百回本に属する。そのテキストは、容與堂本(容與堂刻本とその後印・後修本、

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および容與堂刻本を覆刻した本とその後印・後修本の総称)に書き換え、刪節を施したものであることがわかっている。第二十回末が容與堂本に比べ約五十字不足しているなど、部分的には比較的大きな差異もあるものの、全体的に見れば書き換え、刪節の程度は大きくない。現存する容與堂本のなかで本書にもっともテキストが近いのは、現在天理図書館に所蔵されるもので、この本は容與堂刻本の覆刻本の後修本である。

本書に附された批評も、容與堂本に附されたいわゆる李卓吾評を再編集したものであるが、その書き換え、刪節の程度は本文に比べるとやや大きい。李卓吾の名および李卓吾を連想させる呼称などはほとんどが書き換えられていることもその特徴のひとつとして挙げられよう。本書中に刊行時期を示唆する記載はないが、批評において李卓吾の名を避けていることから、これを天啓五年(1625年)の李卓吾著作に対する禁書命令を受けた処置だと見なし、本書は同年から明朝の滅亡した崇禎末年(1644年)の間の刊行であろうと見る説(斎藤護一「百回水滸傳考」など)がある。さらにこの説を補強するものとして、序文に満洲族を敵視する文言があることから清代の刊行ではありえないという指摘(白木直也「江戸期佚名氏水滸刊本品類隨見抄之の研究 水滸傳諸本の研究 その五」など)もある。

本書と同じ巻首題を有する本としては、ほかにフランス国立図書館蔵『鍾伯敬先生批評忠義水滸伝』(以下、パリ蔵本と呼称)、京都大学図書館蔵『鍾伯敬先生批評忠義水滸伝』(以下、京大蔵本)の二点が知られ、先行研究においてすでに、三本は同版本であると指摘されている。この三本はともに所蔵機関からIIIF対応のデジタルデータが公開されているため、ひとつのブラウザ上で容易に対照することができる。実際に対照してみると、版木の割れ方の一致など、同版と見なせる諸要素が確かに認められる。本書および京大蔵本は封面を有しないが、パリ蔵本は「鍾伯敬先生批/評水滸忠義傳/四知館梓行」の封面をもつ。このことから、四知館の名が現れない本書、京大蔵本

p.31

もあわせて三本ともに「四知館本」ないし「四知館刊本」と呼ばれることも多い。小松謙「『水滸傳』諸本考」によれば、四知館は福建建陽の楊氏の書肆である。

このほか三本に共通する特徴として、巻二十二第三葉版心下端の「積慶堂藏板」の刻字があげられる。「積慶堂藏板」の版心標記は『鍾伯敬先生批評三国志』のなかにも確認できることがすでに中川諭などにより指摘されていて、「鍾伯敬批評」を名乗る書物と積慶堂との関連が想像される。四知館と積慶堂との関係については、積慶堂が起こした版木をのちに四知館が入手し重刊したとする説(大内田三郎「『水滸傳』版本考―『鍾伯敬先生批評水滸傳』について―」など)や、四知館積慶堂なるひとつの書肆であるという説(白木直也「江戸期佚名氏水滸刊本品類隨見抄之の研究 水滸傳諸本の研究 その五」)などがあり、定説を得ていない。

さらに、三本とも巻十八第一葉、巻二十一第十三葉、巻八十一第三葉が、前後の葉と異なる版式を有す。この三箇所はすべて、本来二葉あるべき部分に一葉しかない。

巻十八第一葉は、巻首は「巻之十八」としながら第二行では「第十七回」と誤っている。表面は十四行、行三十二字。裏面は十二行、行二十五字であるが、第九行は二十二字、第十、十一行は二十三字とばらつきがある。第三葉とのつながりはやや不自然。版心下部の葉数表記は「一至二」となっている。

巻二十一第十三葉は半葉十行、行十九字で、裏面の最終行のみ二十七字。版心の葉数表記は「十三至十四」。第十二葉裏面最終行とは、文脈はつながるが、単語が重複しており、やや不自然。第十三葉最終行は文字数が多く、下に行くにつれて文字が小さくなるが、次葉とのつながりも含め、わかりにくい不自然な文になっている。

巻八十一第三葉も、版心の葉数表記は「三至四」。表面は十二行、行三十二字。裏面は十二行、行二十三字だが、第十行以降の各行文字数は二十、二十、十九とふぞろいになっている。第二

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葉末尾はセリフの途中であるが、第三葉はセリフのあとの動作ではじまっており、つながりがよくない。次の第五葉とは一応接続している。

以上三葉の文章を、「水滸伝コレクション」にて画像を公開中ないし公開予定の諸本と対照すると、東洋文化研究所蔵『新刻全像水滸傳』(双紅堂:小説:122;いわゆる「劉興我本」)、総合図書館蔵『新刻全像忠義水滸誌傳』(A00-6371;いわゆる「藜光堂本」)とおおむね一致する。両者はともに、文章が簡略化された版本、いわゆる「文簡本」であり、また、両者ともに葉の上方に、左右と下の三方を本文に囲まれる形で図が挿入された「嵌図本」という形式の版本である。両者と本書の上記三葉の文章との間には異なる用語や文言の出入りもいくらか見受けられるため、両者がこの三葉の底本そのものなのではないだろうが、同系統の、関係の近いテキストによるものと見てよい。本書巻十八第一葉に「鍾伯敬先生批評水滸傳巻之十八」と刻されていること、一般に文簡本に頻出する俗字・略字が少なく、本書固有の葉に見える正字が多く使われていることなどから、この三葉は既存の版木によるものではなく、本書のために作成されたものであろう。そうなれば、本来の二葉分に一葉をあてているのも、二葉分の版木を失ったのち、版木と紙を節約するべく同じ内容の文章を一葉にまとめて済ませようとしたのだろうと理解できる。三葉とも、表面は行ごとの字数がそろっているのに対し裏面後半に近づくにつれ字数がふぞろいになるのは、失われた二葉分の内容を過不足なく補おうと調整を試みたゆえと思われる。

一般に、同版本であっても補修や補刻などの有無により印刷段階の違いが明らかになる場合もあるが、本書、京大蔵本、パリ蔵本の三本は、前述の通りさまざまな要素を共通して有するため、補刻部分まで含めて同じ版木のセットによって刷られた、同じ段階の印本であると見られる。補刻葉の底本については精査を要するものの、それが文簡本系統であった可能性は高い。明清時期、福建建陽で盛んに通俗小説の文簡本の編集・刊刻が行

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われていたことを考え合わせると、三本ともに建陽の四知館による重印ではないかとの説と平仄は合う。

本書は印刷状態、保存状態が比較的良好で、京大蔵本およびパリ蔵本では版木が摩耗、破損して判読が困難あるいは不可能になっている文字が、本書では判読できるという箇所が少なくない。パリ蔵本は特に眉批の摩耗が進んでいる。これに対し本書は、字形は鮮明である一方、広い範囲にわたって墨が薄く文字が見えにくい葉が散見され、版木に墨がなじんでいない状態で刷られたように見える。このため印刷時期は本書→京大蔵本→パリ蔵本の順であると推察される。パリ蔵本は紙の破損により読めなくなっている箇所も少なくなく、三本を合わせることで印刷時点の姿により近づくことができるだろう。

本書第一冊の補鈔については、本書と同じく帙に昭和十年二月二日神山閏次氏寄贈の印がある東京大学文学部蔵『忠義水滸全傳』に貼付された筆記からその経緯がわかる。同書第二帙に貼りつけられている筆記は、神山氏の知る水滸伝諸版本の名称を列記し、それらについての諸情報を附したものである。その中で「鍾本」については「収蔵ノ書ハ珍重保存セラレタルモノラシキモ整帙当時既ニ首巻ヲ逸セルモノノ如シ」とあり、「収蔵ノ書」が即ち本書であろう。ここから、現存する帙は、神山氏が本書を入手する以前に、第一冊を失った状態の十五冊を収めるように作られていたものであったことがわかる。さらにつづけて「此書収蔵ト前後シテ菊地長四郎氏ノ有ニ帰セル別本アリ借テ鈴木子順老師ヲ煩シ首巻ヲ写ス其書細讀ノ痕跡ヲ存ス其何人ナルカヲ知ル能ハサルヲ遺憾トス此書ニ比スレハ後印本文落丁アリ後菊地氏京都大學ノ懇請ヲ容レ之ヲ寄附セリト云フ」とある。つまり第一冊は、神山氏の手元に本書がある期間、すなわち1925年(大正十四年)ごろから1935年(昭和十年)の間に、当時菊地長四郎氏(1853―1920)が所有していた現京大蔵本を鈴木子順氏が臨写して作成したことになる。その最終葉表には「紫野竹隱居主臨書」の署

p.34

名と花押があり、その位置から、臨写者のものではないかと思われる。この署名は木函の「水滸傳」、「醉竹軒珍蔵 竹隱題函」と同じ手跡のようであり、そこに記された花押も第一冊のものとよく似ている。

鈴木子順氏には『竹隱閑話』という文集があり、その中に「竹隱は我居の名なり」、「竹隱曰く」、「竹隱竊に祖傳を案ずるに」等の文言が見られる。奥付には刊行年月が記されていないが、編纂者・今井大順氏による昭和庚辰(昭和十五年)七月付の序に、「先師十三回忌法供養」とあり、鈴木子順氏は昭和三年に亡くなったことがわかる。姓名や号の一致、時期の符合から、『竹隱閑話』の著者である鈴木子順氏が、1925年(大正十四年)から1928年(昭和三年)の間に神山氏の依頼を受けて本書の第一冊を筆写し、第一冊末葉と木函にその号「竹隱」の署名と花押を記したと考えてよいだろう。

京大蔵本の第一冊は、封面はなく、「水滸傳序」六葉、「水滸傳人品評」五葉、「鍾伯敬先生批評水滸伝巻之一目録」八葉、図と賛三十八葉と並んでいる。本書の第一冊は前述の通り、「水滸傳序」六葉、「水滸傳人品評」五葉、図題と賛三十七葉と並ぶ。両者の「水滸傳序」、「水滸傳人品評」を見比べると、字体、字形、筆の運びはもとより、圏点、印章に至るまで丁寧に模写されていることがわかる。図と賛の部分については、京大蔵本では三十八葉のなかに半葉全面を用いた図三十九枚が収められ、第一図と第三十九図以外は、各図に隣接する半葉に賛が刻されている。一方本書では、賛は模写されているものの、図があるべき箇所にはその図題が記されるのみで図は模写されていない。文字だけ書き写して本の内容を完全に読めるようにするという方針であれば、図のある半葉をすっかり飛ばしてページを順に詰めることもできたはずである。しかし実際には、第一図と第二図の図題を同じ半葉にまとめている以外は、わざわざ図のあるべき箇所に図題のみを記した半葉を設けてある。神山氏は内容のみならず葉数など外見上の形態まで含めて復元しようとした

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のだろうか。しかしそれでは目録を書き写さなかったのが不審である。本書第二冊の第一葉は第一巻の第一葉であり、目録は存在しない。あるいは鈴木子順氏には文字のみの臨写を依頼し、あらためて別の絵の巧みな者に図の模写を依頼するつもりであったのだろうか。

本書はこれまでも東京大学総合図書館に来館しての閲覧は可能であったものの、全面的に影印が公開されたことはない。上海古籍出版社の「古本小説集成」シリーズに『鍾伯敬批評忠義水滸伝』が収められ、「據日本神山潤(ママ)次氏藏本影印」と記されているが、神山氏が所蔵していた時点ですでになかったはずの図が全三十九枚収められていることなど、むしろパリ蔵本が主要な底本であると思わせる特徴が見られる。中華書局の「古本小説叢刊」シリーズに収める『鍾批水滸伝』はパリ蔵本と京大蔵本の画像のとりあわせであり、二〇一九年に刊行された劉世德・程魯潔編『水滸傳稀見版本彙編』(国家図書館出版社)の第八冊から第十二冊に収める『鍾伯敬先生批評水滸傳』も同様である。本デジタルコレクションにて本書の版面画像が全面的に公開されたことを契機に、同版の二書およびその他の水滸伝諸本との対照研究がより進展することが期待できる。

(荒木達雄)

 

〔参考文献〕

幸田露伴「水滸傳の異本 最近新發見の珍本」(神山閏次旧蔵・東京大学文学部蔵『忠義水滸全傳』第四帙に貼付。原掲載誌不明)

神山閏次「水滸傳諸本」『斯文』第十二篇第三號、1930年

齋藤護一「百囘水滸傳考」『漢學會雜誌』第六巻第一號、1938年

白木直也「鍾伯敬批評四知館刊本研究序説――水滸傳諸本の研究」『東方學』第四十二輯、1971年

白木直也「鍾伯敬批評四知館刊本の研究―李卓吾批評容与堂本との関係―」『広島大学文学部紀

p.36

要 日本・東洋』第三十一巻一号、1972年

白木直也「江戸期佚名氏水滸刊本品類隨見抄之の研究 水滸傳諸本の研究 その五」著者自印、1972年

白木直也「顧氏沈氏共著『關于新發現的〝京本忠義傳〟殘頁』批判」『東方學』第六十六輯、1983年

大内田三郎「『水滸傳』版本考―『鍾伯敬先生批評水滸傳』について―」『大阪市立大学文学部紀要 人文研究』第四十六巻第九分冊、1994年

中川諭「『鍾伯敬先生批評三国志』について」『東北大学中国文学論集』第二号、1997年

小松謙「『水滸傳』諸本考」『京都府立大学学術報告 人文』第 六十八號、2016年

 

〔図像資料〕

京都大学蔵本 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00013233(京都大学貴重資料デジタルアーカイブ『水滸伝』一〇〇巻)

パリ蔵本

序〜第二十八回 https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k9611535s

第二十九回~第六十四回 https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k9638099q

第六十五回~一百回 https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k9611533z

(BnF Gallica,Zhong bo jing xian sheng pi ping zhong yi shui hu zhuan : yi bai juan