2022年版リーフレットのデザイン、“アジアの文字”

2022年版リーフレット

 

U-PARLは2022年版のリーフレットを発行しました。

リーフレットの背景には、東京大学アジア研究図書館デジタルコレクションの「U-PARLセレクション」に収録されている『論語諺解』(ハングル)と『八旗氏族通譜』(満洲文字)の画像を使用しています(リンク先より高画質なデジタル画像によって全ページをご覧いただくことができます)。

これらの資料について、U-PARLの中尾特任研究員と中井特任専門職員が解説します。


諺解本について

ソウルの光化門広場にある世宗大王像(筆者撮影)

日本でも街中のいたるところで目にするようになったハングル。この文字体系は、朝鮮王朝第4代国王の世宗により1446年に『訓民正音』の名で公布され、その名の通り「民を訓える正しい音」として、民衆が使用可能な文字として作られた。ハングルという名称が使われるようになったのは意外と新しく、20世紀に入ってからのことである。また、日本でしばしば誤用されるが、ハングルは文字の名称であり言語名ではない。 

ハングルが作られる以前の朝鮮の人びとは、自分たちのことばを表現する手段としては漢字しかなく、固有語を表記する場合も漢字による音訓借用表記を用いていた。『訓民正音』もまず漢文によって言語化され、その後、その漢文を翻訳し、正音、すなわちハングルで記述した『訓民正音諺解本』が編まれる。ちなみに、『訓民正音』には文字の名称としての「訓民正音」と書物名としての意がある。「諺解げんかい」(언해)とはもともと漢文で書かれた典籍を朝鮮語に訳し表すこと、またそうした書物の形式をいう。 

「諺解」について、京城帝大ならびに東京帝大教授として主に朝鮮語の研究に従事した小倉進平(1882~1944)は、「朝鮮には『論語諺解』・『朴通事諺解』等の如く、諺解又は諺釈と称する一種特別の体裁を備へた注釈書がある。これは主として漢文の意義を朝鮮語で解釈したものを指すのである。元来此の「諺」なる語は、我が国に於ても屡々用例ある如く、支那の事物に対し自国の事物を貶称する場合に用ひられる語で、漢字に対して朝鮮の文字を「諺解」といひ、華音・華語に対して朝鮮語を「諺語」・「国諺」と

光化門広場の下にある世宗物語という展示館のパネル「(赤字で示した文字は)現在使われていない文字」(筆者撮影)

いひ、朝鮮文字で書いた吐を「諺吐」といふなど、何れも同一筆法から割り出された命名法である。日本語・満洲語・蒙古語に関する辞書・読本中、語句の説明に諺文を使用した例は沢山あるが、此等に対しては一つも諺解なる名称を用ひて居ない。つまり支那語に対してだけ諺解なる語を用ひた訳で朝鮮人が如何に慕華の念に厚かつたかを物語る証左とならう」としている。日本語、満洲語、モンゴル語にも正音を用いた例はあるにもかかわらず、「諺解」という用語は中国語に対してのみ用いられているのは興味深い。 

「諺解」という用語が実際に正式な書名の一部として使われるようになるのは16世紀になってからのことで、16世紀末になると、第14代国王宣祖の命により典籍の校正など特定の目的のために設けられた校正庁から『小学諺解』、『論語諺解』など儒教経典の諺解本が刊行され、その書名にも諺解という用語が用いられるようになる。 

2022年度のU-PARLリーフレット表紙にデザインされている東京大学総合図書館所蔵『論語諺解』は「歳庚午仲春開刊」の刊記があり、「全州 河慶龍蔵板」印が捺されることから、1810年ないし1870年に全州地方で出版された坊刻本であると推定されている。2018年にU-PARLで4巻4冊をデジタル化公開し、現在、東京大学アジア研究図書館デジタルコレクションとして全画像が提供されている。 

東京大学総合図書館所蔵『論語諺解』

東京大学総合図書館所蔵『論語諺解』刊記

中尾道子(U-PARL特任研究員) 

【参考文献】
小倉進平著・河野六郎補注『朝鮮語学史』刀江書院、1964年
http://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2000645853

安賢珠「조선시대에 간행된 諺解本《論語》 板本 관한 考察」『書誌學硏究』26、2003年

福井玲『韓国語音韻史の探究』三省堂、2013年
http://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2003103069

 野間秀樹「ハングルという文字体系を見る―言語と文字の原理論から―」野間秀樹編著『韓国語教育論講座3』くろしお出版、2018
http://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2003433061


マンジュ語・マンジュ文字と満文版『八旗満洲氏族通譜』について

満文版『八旗満洲氏族通譜』首巻 目次

 『八旗満洲氏族通譜』(マンジュ語書名jakūn gūsai manjusai mukūn hala be uheri ejehe bithe、本資料の題箋では『八旗氏族通譜』)とは、18世紀に清朝皇帝の勅命によって編纂された系譜資料であり、本リーフレットの表紙にはその満文(マンジュ語・マンジュ文字)版がデザインとしてあしらわれている。

 清朝(大清国daicing gurun)という帝国は、17世紀のマンチュリア(今日の中国東北部~ロシア沿海地方一帯)の森林地帯に居住していたマンジュ人(満洲人)という人々によって樹立された。マンジュ人は固定家屋に定住し農耕を主たる生業としていたが、その社会・文化は「中国」(漢地)のそれよりもむしろ、モンゴルなど中央ユーラシアの遊牧諸集団と共通する点が多かった。彼らは騎射を善くし、辮髪を結わえ、漢語とは全く異なるツングース系の言語(マンジュ語/満洲語)を話した。「マンジュmanju」とは、彼ら自身の国家や集団をあらわす自称であり、「満洲」とはそれを漢字で音写したものである。

 日本で豊臣秀吉や徳川家康が政権を打ち立てたのと同じころ、彼らの社会にもヌルハチという一人の英傑が現れ、分裂割拠していた各地の諸氏族・諸集団を併呑し、のちの清朝(大清国)のもとになるマンジュ国manju gurunという国家を建国した。このとき、文書行政によって国家の運営を円滑に行うべく、ヌルハチの命令によってモンゴル文字をもとに創案された文字がマンジュ文字である。マンジュ文字は縦書きで左の行から右の行へと読む。マンジュ文字は一つの文字で一つの母音あるいは子音をあらわし、各文字は語頭・語中・語末で形が変化する。系譜的には、アラム文字やソグド文字の流れを汲むアルファベットの一種であり、漢字とは全く異なる体系の文字である。

マンジュ国初期におけるヌルハチの居城フェアラ跡(筆者撮影)

 ヌルハチは、自身の国家に服属したマンジュ人たちを、八つの「グサgūsa(旗)」という単位の集団(軍団)に分けて編成し、支配した。これを八旗jakūn gūsaといい、各グサに編入された者を旗人という。清朝はこの八旗の軍事力によって、漢地やモンゴル、中央アジアなどを征服し、ユーラシア大陸東部に覇を唱える大帝国となった。『八旗満洲氏族通譜』は、八旗に属したマンジュの旗人のうち、17世紀の建国期より18世紀初頭ごろまでの人物を氏族・家系別に分類し、その出自・系譜・官職などを網羅的に列挙した資料である。リーフレット表紙に使用された箇所に記されているのも、そうした氏族名や人名、およびその事績や八旗における所属、官職名の類である。雍正帝の勅命によって清朝宗室の弘昼(雍正帝の第五子)らによって編纂され、乾隆9年末(1745)に完成した。今日の清朝研究において、本資料は人物の検索、あるいは氏族系譜の復元や制度の解明などに必要不可欠な重要基本文献となっている。

満文版『八旗満洲氏族通譜』巻40 ジャンギャ氏

 『八旗満洲氏族通譜』には、満文版と漢文版の二種類があり、漢文版は既に中国の出版社から影印出版されている。一方、満文版は影印本が出版されておらず、また所蔵機関も限られていたため、これまで一般からアクセスすることが極めて難しい状況にあった。そのような状況の中、U-PARLでは本学の総合図書館保存書庫に満文版『八旗満洲氏族通譜』(全32冊・81巻)が所蔵されていることに着目し、2018年にその全体を画像データによって公開した。(なお付言すれば、本学総合図書館の貴重書庫には、清代に宮中の武英殿にて刊行された殿版の漢文版『八旗満洲氏族通譜』も所蔵されている。この漢文版については、電子公開はしていないが、このように本学は満文版・漢文版の双方を所蔵しているのである。)

 U-PARLによる満文版『八旗満洲氏族通譜』の電子公開は、マンジュや清朝を扱う研究者の間でも大きな話題となった。U-PARLによるアジア研究への貢献を示す代表的な事例の一つとして、本リーフレットの表紙デザインにも使われているのである。

中井勇人(U-PARL 特任専門職員)


*満文版『八旗満洲氏族通譜』の原本はOPAC未登録です(2022年5月現在)。

May 11, 2022

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