【水滸伝コレクション解題】水滸傳全本 三十巻[漢籍D] 文学部蔵本

*本解題は、

東京大学附属図書館アジア研究図書館上廣倫理財団寄付研究部門(U-PARL) 2020₋2021年度協働型アジア研究「東京大学所蔵水滸伝諸版本に関する研究」成果報告集(2022年8月1日発行) pp.14-20

に掲載されたものです。引用の際は出処をご明記くださいますようお願い申し上げます。

(ページ数は原掲載書のものです)

(レイアウトは原掲載時と異なります)

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水滸傳全本 三十巻

東京大学文学部図書室漢籍コーナー蔵 

請求記号 漢籍

 

封面に「施耐菴原本」「李卓吾先生評/水滸全傳/金閶映雪草堂蔵板」とある。巻首題「水滸傳全本」、序題「水滸全傳」、目録題「金聖歎評水滸全傳」、柱題「水滸傳全本」。各巻首題の次行に「元施耐菴編」「明李卓吾評點」とあるが、巻二十四は「堂主人評點」となっており、一部の巻は「明」「李卓吾」を欠くなど、表記に揺れがある。

全十二冊。刊本。尺寸は縦二十五センチ×横一六・一センチ。

第一冊は封面、序(末尾に「五湖老人題扵連子峰小曼陀精舎」と記す)、目録、挿絵、その後に正文巻一、巻二。第二冊から第十二冊に正文巻三から巻三十を収める。

正文の版式は四周単辺(一部左右双辺)、内匡縦二十・四センチ×横十二・八センチ、無界(一部有界)、毎半葉十行×二十字。単魚尾。白魚尾と黒魚尾が混在する。巻十第二十九葉と第三十葉のみ、版心中央にそれぞれ「黄文炳」「文炳」とあり、刻工名とも考えられるが、同葉は作中人物の黄文炳に制裁を加える場面にあたり、両者の関連性は不明。また、眉欄に一行あたり三字の批評、本文に圏点を附す。圏点には「ヽ」「〇」「◎」「△」などの強調記号、「、」「。」「」」などの区切り記号、人名および地名に引かれた傍線などがある。巻二十三を除く各巻末に総評を附す。

印記には、現蔵者である「東京帝國大学圖書館」「東京帝國大学附属圖書館」の蔵書印のほか、全ての冊の第一葉に陽刻朱印「有水可漁」(幸田露伴の蔵書印)と陽刻朱印「鮮碧山房」が見られる。このほか、第一冊巻二の最終葉に陽刻朱印(印文不明)、第四冊巻九第二十六葉と同冊巻十第十八葉に陽刻朱印「同昌字號/本廠監造」(この朱印は総合図書館蔵本にも見える)、第七冊の裏表紙に陽刻朱印「呉義利

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號」が捺されている。巻三十第十九葉下部には墨筆による補抄がある。

さて、現在目にし得る三十巻本『水滸伝』は、東京大学漢籍コーナー所蔵の本書と、東京大学総合図書館所蔵の一部(巻三第一葉および第二葉の全てと、同巻第三葉から第八葉の上部を欠く)〔以下あわせて東大蔵本と呼ぶ〕、そしてパリ国立図書館所蔵の一部(巻六第十七葉までの残本)〔以下パリ蔵本と呼ぶ〕、あわせて三部である。東大蔵本二部については、版木の摩耗・断裂・欠損が、ほぼすべての葉において極めて高い割合で一致することから、同版と結論できる。版木の状態に目立った差は認められず、両者はかなり近い時期に刷られたものと推測される。東大蔵本二部はいずれも本デジタルコレクションで高解像度のフルカラーデータが公開されている。一方、パリ蔵本もフランス国立図書館の電子図書館「Gallica」でデジタルデータが公開されている。こちらはモノクロ画像のため細部を判別しにくい、綴じ部分の周辺が見えにくい、眉批の上部が裁断されているといった問題があるものの、巻六第十七葉までの残葉を、東大蔵本と比較対照することが可能である。

パリ蔵本と東大蔵本二部には版木の断裂・欠損が一致する葉があり、東大蔵本二部で当該の断裂・欠損や摩耗の度合いが進んでいることなどから、パリ蔵本の刊行時期は東大蔵本二部よりも早いと考えられる。ただしパリ蔵本と東大蔵本二部は完全な同版ではなく、以下に述べるような相違がある。まず、正文以外の要素における相違をまとめる。

①封面:パリ蔵本は「李卓吾原評/忠義水滸全傳/本衙蔵版」とし、蘇州の書坊である寶翰樓の印記「寶翰樓章」が捺されている。東大蔵本は「李卓吾先生評/水滸全傳/金閶映雪草堂蔵板」とある。②構成:パリ蔵本は封面、序、挿絵、目録の順。東大蔵本は封面、序、目録、挿絵の順。③序:「五湖老人」の序を載せる点は共通するが、

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パリ蔵本は字数が多く、東大蔵本はその抄録となっている。版式も異なる。④挿絵:パリ蔵本の「又三」葉、「又十」葉、第二十葉、第二十一葉と同絵柄の挿絵が東大蔵本にはなく、東大蔵本の第七葉と同絵柄の挿絵がパリ蔵本にはない。パリ蔵本の第九葉と「又九」葉を、東大蔵本は第八葉と第九葉とし、第二十二葉の葉数表記を欠く。⑤目録:パリ蔵本は目録題を「文杏堂評點水滸傳全本」とし、東大蔵本は「金聖歎評水滸全傳」とする。版式が異なるほか、標目の表現も異なる部分がある。

以上のように、正文以外の要素における相違は大きい。

次に、正文について、氏岡眞士氏は、パリ蔵本と東大蔵本二部の本文に大きな異同はないが、東大蔵本二部には、眉批や圏点・句点がなく版木も摩耗していないといった特徴を持つ覆刻による補配が随所に見られることを指摘し、おそらく東大の二部は後修本であろうと結論している。

この補配の様相について補足を試みると、パリ蔵本残葉(巻六第十七葉まで)と東大蔵本二部を対照したところ、以下のことが分かった。東大蔵本二部には、パリ蔵本と同一の版木を用いたと見られる葉(ここでは便宜のため原刊葉と呼ぶ)と、パリ蔵本の版木とは異なる補刻葉が混在している。その補刻葉には、圏点に至るまで全体的に忠実な覆刻を行っている葉と、本文のみ覆刻してその他の要素は省略・変更している葉が存在する。更に、後者の補刻葉は、本文以外の要素をどのように処理しているかという点から切り分けると、少なくとも左記の三種に大別できる。補刻葉は複数の段階にわたって覆刻され、その段階によって処理方法の違いが生じている可能性が高い。

①眉批、強調記号、区切り記号、固有名詞の傍線を全て無くしたもの。ただし稀に原刊葉の区切り記号や傍線を間違えて転記

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したと思しき部分がある。②眉批、強調記号、区切り記号を無くし、固有名詞の傍線のみ残したもの。ただし一部傍線の転記を忘れている部分、諸記号を間違えて残したままにしている部分も見られる。③眉批、強調記号、区切り記号を無くし、固有名詞の傍線を付け直したもの。たとえばパリ蔵本で姓を除いた名や身分を表す語にのみ傍線が引かれているところを、東大蔵本では姓を含めて傍線を引き直している葉がある。

たとえば巻六の第十一葉は補刻葉②に該当し、第十二葉は補刻葉③に該当し、続く第十三葉は匡郭の断裂が一致することから原刊葉と判断できる。本書は葉ごとの摩耗・断裂・欠損の度合いや眉批・圏点の附され方などが全体的にばらついているが、それは原刊葉と複数段階の補刻葉が入り混じって構成されているためであろう。

パリ蔵本と東大蔵本の呼称について、東大蔵本は封面の情報から「映雪草堂(刊)本」、パリ蔵本は封面の印記から「宝翰楼(刊)本」あるいは目録題から「文杏堂本」という呼称が通用している。両者をあわせて「三十巻本」「五湖老人序本」などのように呼ぶこともある。両者の刊行年代について、鄧雷氏は、百二十回本の標目を含むパリ蔵本の刊行年代を、百二十回本が刊行された万暦四十二年より後と推定し、目録に金聖歎の名が見える東大蔵本二部の刊行年代を、金聖歎本が刊行された崇禎十四年より後と推定している。いずれも李卓吾の名を利用していることから、金聖歎本が一世を風靡する前の刊行であろうとの見解を示し、下限を清初としている。

『水滸伝』の版本は、記述の分量が多いものを文繁本、少ないものを文簡本としてしばしば大別され、三十巻本は文簡本にあたる。三十巻本の特徴には以下の点が挙げられる。①目録に各巻の標目を載せるが、本文中に標目は表れず、回を分けない。②基本的に詩詞の

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類は挿入されない。③物語内容には田虎王慶故事を含む。

三十巻本の底本をめぐっては、百二十回本以前の文繁本のいずれかを底本とし、田虎王慶故事は志伝評林(文簡本)の系統を利用したとする説〔阿部兼也氏〕、文繁本の百二十回本を底本とする説〔大内田三郎氏〕、文繁本の容与堂本(百巻百回)のうち、内閣文庫蔵本系統を底本とする説〔劉世徳氏〕、内閣文庫蔵本系統の容与堂本を底本としつつ、容与堂本が含まない田虎王慶故事の部分は、百二十回本と他の文簡本を利用したとする説〔氏岡眞士氏〕などが出されている。このほか、三十巻本の挿絵は、半葉の中に異なる場面の絵柄を複数まとめて配置するという珍しい構成になっているが、この挿絵部分の底本をめぐっては、基本的に容与堂本を底本として加工編集し、田虎王慶故事の部分は他の文簡本のものを底本としたとする説〔鄧雷氏〕が出されている。

『水滸伝』の文簡本の大部分は福建の建陽の書坊で刊行されたか、そうでなくとも建陽の書坊と深い関りを持つことで知られている。ところが、三十巻本の刊行に関わったと思しい書坊は、パリ蔵本封面の印記に見える呉郡(蘇州)の宝翰楼や東大蔵本の封面に見える金閶(蘇州)の映雪草堂など、文繁本の出版が盛んであった江南地域の書坊である。また、三十巻本は李卓吾に仮託した眉批と総評を備え、「李卓吾評」を前面に押し出すなど、知識人への訴求効果を意識していると見える。東大蔵本で目録題に「金聖歎評」の表現を取り入れているのも、やはり知識人向けのアピールと言えよう。ただし、前述の通り、東大蔵本の補刻葉では、眉批や圏点が省略されることも多い。一番の理由はコスト削減であろうが、庶民向けのサービスとも言える固有名詞の傍線については維持しようとする傾向も見られるため、途中の段階で、より庶民向けに方針を転換した可能性も考え得る。

三十巻本は江戸時代に日本へ伝来したと見

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える。東京大学総合図書館が所蔵する『忠義水滸全書』(請求記号:A00:6376)にも、江戸時代に行われたと思しい書入れと筆記があり、同書の封面隣の葉には、対象に用いた版本として「映雪草堂本」の名が挙げられ、同書の帙裏に張り付けられた筆記には、「映雪草堂本」の情報として、全三十巻、明刻清補、挿絵は容与堂本の覆刻、といった事項が記されている。また、馬琴は『玄同放言』巻三「詰金聖歎」の中で「李卓吾本と唱るものには、像賛なし。本文の中より抜出て、見わたし一頁毎に、三四回の事を画きたり(略)その文省略に過て、見るに足らざるもの也」と述べており、馬琴が閲覧したとするこの「文省略に過」る「李卓吾本」は、東大所蔵の映雪草堂本に類似する版本ではないかということが、神田正行氏などの研究で指摘されている。

最後に、本書が東大に入るまでの流れについて触れたい。前述の通り、本書は全ての冊の第一葉に幸田露伴の蔵書印「有水可漁」が捺されている。幸田露伴は雑誌『早稲田文学』大正十二年一月号掲載の論考「水滸伝各本」の中で、「但今存して居り、且予の寓目した者」の一つとして「金閶映雪草堂本」を挙げ、その特徴について論じているほか、大正十二年春に書かれた「国訳忠義水滸全書解題」の中でも「李卓吾評、金閶映雪草堂本三十巻、明版」を挙げ、「此本帝国大学に現存す」と記している。図書館の登録印から、漢籍コーナー蔵本は大正五年九月二十二日(総合図書館蔵本は明治三十三年十月十日)に東大の所蔵となったことがわかるが、どのような経緯で本書が幸田露伴の元を離れたかは不明である。

(佐髙春音)

 

〔参考文献〕

石崎又造「水滸伝の異本と其の国訳本(三)」、『図書館雑誌』第一六〇号、一九三三年

阿部兼也「明代文簡本水滸伝をめぐる問題」、『集刊東洋学』第十二号、一九六四年

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大内田三郎「『水滸伝』版本考――『文杏堂批評水滸伝三十巻本』について――」、『天理大学学報』第一一九巻、一九七九年

劉世徳「談『水滸伝』映雪草堂刊本的底本――『水滸伝版本探索』之一」、『明清小説研究』一九八五年第二期、一九八五年

氏岡眞士「三十卷本『水滸伝』について」、『日本中国学会報』第六三集、二〇一一年

鄧雷「三十巻本『水滸伝』研究――以概況、挿図、標目為中心」、『中国典籍与文化』第一〇九期、二〇一九年

神田正行『馬琴と書物――伝奇世界の底流――』(第二章「『水滸伝』の諸本と馬琴」)八木書店、二〇一一年

幸田露伴「水滸伝各本」、『露伴全集』第十八巻、岩波書店、一九四九年(初出は『早稲田文学』大正十二年一月号)

幸田露伴「国訳忠義水滸全書解題」、『国訳漢文大成』文学部第一八巻「水滸伝上巻」、国民文庫刊行会、一九二三年