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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

【水滸伝コレクション解題】

【水滸伝コレクション解題】

新刻全像忠義水滸誌傳 二十五巻一百十五回

*本解題は、

東京大学附属図書館アジア研究図書館上廣倫理財団寄付研究部門(U-PARL) 2020₋2021年度協働型アジア研究「東京大学所蔵水滸伝諸版本に関する研究」成果報告集(2022年8月1日発行) pp.9-13

に掲載されたものです。引用の際は出処をご明記くださいますようお願い申し上げます。

(ページ数は原掲載書のものです)

(レイアウトは原掲載時と異なります)

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p.9

新刻全像忠義水滸誌傳 二十五巻一百十五回 

東京大学総合図書館蔵 

請求記号 A00-6371

 

二帙八冊。刊本。森鷗外(本名は林太郎、1862―1922)旧蔵。水滸伝の文簡本系統に属する版本。通称「藜光堂本」。

縦二十三・四×横十三・九センチ。

題簽は「水滸傳」。

巻首題は「新刻全像忠義水滸誌傳」。ただしこれは巻一のみである。題名について詳しくは後述する。

第一冊:封面、序、目録、巻一~三

第二冊:巻四~六

第三冊:巻七~九

第四冊:巻十~十二

第五冊:巻十三~十五

第六冊:巻十六~十八

第七冊:巻十九~二十一

第八冊:巻二十二~二十五

封面は第一冊の表紙裏にある。上部には「忠義堂」の図像がある。下部には「全像忠\義水滸」と二行に分かれて大書してあり、その間にやや小さな文字で「藜光堂蔵板」と書かれている。通称はこれに由来する。

次に序「水滸忠義傳叙」が二葉ある。最後に「温陵雲明鄭大郁題」と署名がある。内容は李卓吾の「忠義水滸傳叙」の焼き直しである。

続けて目録「鼎鐫全像水滸忠義志傳目録」が六葉ある。目録についての詳細は後述する。第六葉裏には忠義堂に集まる好漢たちが描かれた図像があり、中央上部に「刘俊明刊」と刻工劉俊明の名が小さく刻されている。この図像はかなり精緻であり、後述する正文上部の絵とは質が明らかに異なっている。

第一冊の第九葉から巻一正文が始まる。

巻一首葉の第二・三行には、上部中央に「清源 姚宗鎭 國藩父 編」、下部は各行に「武榮 鄭國楊 文甫父 仝校」「書林 劉欽恩 榮吾父 梓校」と編者・校訂者・出版者の情報が記されている。籍貫として記されている清源・武榮は序の署名にある温陵とともに福建泉州に属していることから、本書は

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出版に関わった者たちの籍貫かつ現住地と思しき泉州で出版された可能性が高い。

形式は嵌図式上図下文本。単辺、界線なし。内框は縦二十一・一×横十一・六センチ。各葉本文の上部中央に図がある。図は縦四・三×横六・九センチ。図の上部の框廓外に横八字の図題がある。図題は縦〇・九×横八・六センチの単辺で囲われている。毎半葉十五行で、図の左右は各三行、行三十四字。図の下は九行、行二十七字。版心は、上部に「忠義水滸」とあり、単魚尾、巻数と葉数が記されている。また一部の葉では葉数の下に「藜光閣」とある。

印章は次の四種がある。

「東京帝國大学圖書印」:各冊とも表紙裏の中央やや上。第一冊は封面上。

「鷗外藏書」:第一冊は第三葉(目録の首葉)表、ほかは第一葉表。いずれも右下。

「集義精舎」:蔵書印主未詳。各冊とも第一葉表の右下。第二冊以降は「鷗外藏書」印より下。

「林太郎」: 林太郎は森鷗外の本名。各冊とも第一葉表の右上。第一冊は朱が極めて薄く不明瞭。第二冊は右上部が破損しており確認できず。

虫損あり、裏打修補あり。また天地裁断あり、例えば第三冊第一葉の図題上部の界線および「林太郎」印の上部が欠けている。さらに乱丁が一箇所あり、巻十六第二葉が巻十五第十九葉と第二十葉の間に綴じられている。

以下、先送りにした題名と目録に関して詳説する。

(一)各巻で題名が統一されていない。巻首題は全部で五種類あり、

「新刻全像忠義水滸誌傳」巻一

「新刻全像水滸傳」巻二~四・六~八・十一・十三~十七・十九~二十五

「新刻全像水滸忠義傳」巻五・十二

「新刻全像水滸志傳」巻九・十八

「新刻全像忠義水滸傳」巻十

と微細ながら異なっている。ただし初めの「新刻全像」の四字は共通しており、新たに絵入りの版木を作ったことを宣伝する意欲は窺える。また各巻末葉の末行の表記は、揺れが非常に大きい。まず後題が記されているのは十巻分で、以下の六種類が確認で

p.11

きる。

「忠義水滸傳」巻一・十六

「全像水滸傳」巻四・十三・十九・二十二

「忠義水滸」巻七

「新刻全像水滸傳」巻十七

「全像忠義水滸志傳」巻二十

「全像忠義水滸傳」巻二十五

このほか、「~巻終」と題名がないのが、巻二・六・十~十二・十四・十五・二十四。「終」のみが、巻十八。それ以外の巻では巻末であることを示す表記がない。

(二)目録の版式が不揃いである。全六葉のうち、第一~四葉は界線がないのに対し、第五・六葉は界線が見られる。また版心の魚尾の下部、第一・二葉は「目次」だが、第三~六葉は「目録」となっている。

(三)目録の回目と正文の回目の不一致が多く確認できる。例えば、目録では正文の第百十三回の分が欠落し、正文の第百十四・百十五回の回目が一つずつ繰り上がり、第百十三・百十四回として刻されている。つまり目録上では百十四回しかないことになる。このほか第三十回の回目が、目録では「都監血濺鴛鴦樓 武松夜走蜈蚣嶺」の七言二句だが、正文では「張都監血濺鴛鴦楼 武行者夜走蜈蚣嶺」(以上傍点筆者)の八言二句など、些細な違いが多く見られる。

(四)目録に森鷗外による書き込みが見られる。まず金聖嘆の七十回本の回目題と異なる箇所が朱筆で書き加えられている。目録首葉の欄外上部に「聖嘆本以/校癸未七月」という朱筆があり、1883年に二十一才の森鷗外が対照したことが分かる。また第三葉表には付箋が貼られ、「五十二五十三之間七十回本有徐寧教使鈎鎌槍宋江大破連環馬之目/一回七十回本置諸回数分」と黒筆で書いてある。第五十二回と五十三回の間に七十回本ではもう一つ「徐寧教使鈎鎌槍、宋江大破連環馬」という回目があり(七十回本では第五十六回)、本書の二回分が七十回本では三回分に増えていると記されている。さらに第四葉の十四巻六十六回の回目の後には「以下聖嘆削去」と朱筆で書かれている。このほか、上

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述した第百十三回~第百十五回の不備を修正する黒筆の書き込みがある。もとの百十二回と百十三回の回目の間やや上部に「◯」を付し、上部欄外に正文の第百十三回の回目が書かれている。さらにもとの「三」「四」の字を「四」「五」と上書きし、正文と合致するように改められている。

最後に、本書と同じく文簡本系統に属する劉興我本(東京大学東洋文化研究所所蔵、解題参照)と比較してみる。両者は版式こそ少し異なるものの、上図下文のレイアウトはほぼ同じである。また目録は題名・回目題および既述した正文との不一致も含めて共通点が極めて多い。正文でも一致する箇所が多いことも鑑みると、両者は非常に親密な関係にあるといえる。ただし本書には劉興我本には見られない独自の不備が多く確認できる。その大半は、基となったテキスト(劉興我本と同質と推測される)を写す際の人為的なミスに由来すると考えられる。例えば、第六十六回の好漢たちの席次を列挙する場面で「地微星」を「地獄星」に作るような、似た字形の取り違えなどが見られる。したがって本書は劉興我本より後に作られたと推定できる。

本書についてまとめると、形式の不一致や内容の不備が多く確認できることから、粗雑な出来の版本であるとの評価は否めない。これは各巻を分担作業で作ったのだが、各担当者が杜撰に編集したうえに相互調整がうまくできなかったからであろう。いわば粗製乱造品ともいえる本書だが、それでも実際に販売され社会に流通していた。このような事実を踏まえると、本書の存在は当時の水滸伝に対する需要がいかに高かったかを示していよう。

(馬場昭佳)

 

〔参考文献〕

石崎又造「水滸傳の異本とその國譯本(一)」、『圖書館雑誌』一五八号、1933年

石崎又造「水滸傳の異本とその國譯本(二)」、『圖書館雑誌』一五九号、1933年

丸山浩明「水滸伝簡本浅探――劉興我本・藜光堂本をめぐって――」、『日本中国学会報』第四十集、1988年

p.13

馬幼垣「嵌圖本水滸傳四種簡介」、『漢學研究』6卷1期、1988年、『水滸論衡』聯經出版社、1992年所收

鄧雷「建陽刊嵌圖本《水滸傳》四種研究」、『中國典籍與文化』2017年2期