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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

「第五才子書施耐菴水滸伝 七十五巻」解題(石川就彦)

「第五才子書施耐菴水滸伝 七十五巻」解題(石川就彦)

・本稿は
  2022-2023協働型アジア研究「東京大学蔵『水滸伝』諸版本デジタルデータの整備およびこれを用いた研究」成果報告集(U-PARL、2024年3月)、47~53ページ
 に収録されたものです。

・原文は縦書きです。

・ 「ーーーーー」は改ページ位置、右端の数字はページ番号です。

・参考文献として利用する際には出所を明記してご利用ください。

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第五才子書施耐菴水滸伝 七十五巻

 東洋文化研究所雙紅堂文庫蔵

  請求記号 特 双紅堂 小説 123-32

 四帙三十二冊、七十五巻七十回。刊本。長澤規矩也(一九〇二―一九八〇)旧蔵。封面なし。第一巻の序の前に副葉があり、墨筆で表には「清田君錦先生批評」、裏には「貫華堂刻第五才子書、予往年諸を中京ニ獲たり。/是第五才子書の原刻本にして、伝本甚だ罕、/今影印本あり。/此書越前福井藩の清田絢旧藏并ニ手批/「越國文學」等の印記は同氏の藏印なり。」とある通り、本書は江戸時代福井藩の儒学者である清田儋叟(せいたたんそう)(一七一九―一七八五)の旧蔵書である。黄仕忠氏によると、長澤氏は一九二五年十二月に名古屋の松本書店で本書を購入し、一九五一年に東京大学東洋文化研究所に譲渡したとのことである。

 縦二十六・〇㎝×横十七・〇㎝。巻首題「第五才子書施耐菴水滸傳卷之幾/聖歎外書」。

 左右双辺、有界、毎半葉八行、行十九字、注小字双行、眉批行三字。版心は白口、単白魚尾、上部には「第五才子書」、中央には巻数、回目名、葉数、下部には「貫華堂」とある。内框は縦十九・三㎝×横一三・〇㎝。

 各冊の収録内容は以下の通りである。

 ・第一冊…巻一〜三(序、宋史綱、宋史目、読第五才子書法)

 ・第二冊…巻四〜六(施耐庵原序、楔子、第一回)

 ・第三冊…巻七〜八(第二〜三回、以下省略)

 ・第四冊…巻九〜十一

 ・第五冊…巻十二〜十三

 ・第六冊…巻十四〜十六

 ・第七冊…巻十七〜十九

 ・第八冊…巻二十〜二十一

 ・第九冊…巻二十二〜二十三

 ・第十冊…巻二十四〜二十五

 ・第十一冊…巻二十六〜二十七

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 ・第十二冊…巻二十八

 ・第十三冊…巻二十九〜三十一

 ・第十四冊…巻三十二〜三十四

 ・第十五冊…巻三十五〜三十六

 ・第十六冊…巻三十七〜三十八

 ・第十七冊…巻三十九〜四十

 ・第十八冊…巻四十一〜四十二

 ・第十九冊…巻四十三〜四十四

 ・第二十冊…巻四十五〜四十六

 ・第二十一冊…巻四十七〜四十八

 ・第二十二冊…巻四十九〜五十

 ・第二十三冊…巻五十一〜五十三

 ・第二十四冊…巻五十四〜五十五

 ・第二十五冊…巻五十六〜五十七

 ・第二十六冊…巻五十八〜巻五十九

 ・第二十七冊…巻六十〜六十一

 ・第二十八冊…巻六十二〜六十四

 ・第二十九冊…巻六十五〜六十六

 ・第三十冊…巻六十七〜七十

 ・第三十一冊…巻七十一〜七十二

 ・第三十二冊…巻七十三〜七十五

印記は全部で九種見られる。

 ・ 「東洋文化研究所圖書」(現蔵者)…全帙中蓋裏、全冊第一葉

 ・ 「雙紅堂」(同前)…全冊第一葉表

 ・ 「士倫曾藏」(長澤規矩也)…全冊第一葉表

 ・ 「規」(同前)…第一〜三冊第一葉表

 ・ 「靜盦」(同前)…第一冊副葉裏

 ・ 「越國文學」(清田儋叟)…第一・十八冊第一葉表

 ・ 「清絢之印」(同前)…第一・九・十五〜三十二冊第一葉表

 ・ 「君錦」(同前)…第一・九・十五〜三十二冊第一葉表

 ・ 「播磨清氏藏書」(同前)…第一冊第十三葉表

 本書は帙(無双帙)に収められる。中蓋表には「君錦先生/名ハ珣儋叟ト号ス龍洲ノ庶子北海ノ弟ナリ/越藩ノ文學トナル孔雀樓主

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人ト号ス/著述/孔雀樓筆記 孔雀樓文集 藝苑談/萟〔執筆者注:藝〕苑譜」と墨筆で書かれている。「龍洲」とは江戸時代福井藩の儒学者・伊藤坦庵の養子であり、儋叟の父である伊藤(本姓清田)龍洲を指す。「北海」とは龍洲の第二子・江村北海のことである。清田儋叟の詳細については後述する。

  『水滸伝』諸版本は、描写が詳細な「文繁本」系統と、描写が簡略化された「文簡本」系統とに大別され、さらに文繁本諸版本はさらに百回本、百二十回本、七十回本の順に出現したとされる。本書はその中の七十回本にあたる。七十回本は明末清初の金聖嘆(一六〇八―一六六一)が大量の評語を附して編纂したもので、「金聖嘆本」とも呼ばれる(本稿では以下、この呼称を用いる)。金聖嘆は古今の文の中から、『荘子』・『離騒』・『史記』・杜詩・『水滸伝』・『西廂記』を高く評価し、「才子書」と称した。金聖嘆本の書名に「第五才子書」とあるのはそのためである。

 長澤氏は副葉の題記のほか、「続梧蔭清話」でも本書を金聖嘆本の原刻本とする記述を残している。その真偽に関して、書誌学者・孫楷第(一八九八―一九八六)氏の『日本東京及大連圖書館所見中國小説書目提要』の記述をはじめとして、否定的な見解は見られない。ただし長澤氏「家蔵中国小説書目」には「序目缺」との説明が見え、実際の状態と矛盾する点については疑問が残る。

 金聖嘆本の影印本のうち最も早いものは、一九三四年に劉復(一八九一―一九三四)氏旧蔵本を底本として上海中華書局が出した『影印金聖嘆批改貫華堂原本水滸伝』(以下、劉復本)である。封面には「影印金聖嘆批改貫華堂原本水滸傳」、扉には「貫華堂原本/金聖嘆七十一回水滸傳/上海中華書局影印」とある。馬蹄疾氏は劉復本の底本は貫華堂本の「二刻本」だとするが、氏岡氏は馬氏の考察には反駁の余地があるとし、さらに劉復本には版面の割れを修正した形跡が見られると述

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べる。

 現在通行している金聖嘆本の影印本は一九七五年に中華書局が刊行した『第五才子書施耐庵水滸伝』である。封面には「金閶貫華堂古本/葉瑤池梓行」とあるが、「出版説明」で底本についての情報はなく、「今回の縮刷は、崇禎十四年(一六四一年)貫華堂刻本を底本とする」とあるのみである。馬氏『水滸書録』には北京大学図書館に葉瑤池刊行本が所蔵されている(以下、葉瑤池本)と記載されている。氏岡氏や小松謙氏は封面の「葉瑤池」などを根拠に、中華書局影印本の底本はこの葉瑤池本であろうと推定する。

 氏岡氏は中華書局影印本にも劉復本と同様の割れの特徴が認められることから、葉瑤池が貫華堂から版木を譲り受け、補修の上で後印本を刊行したのだろうと推測する。一方で小松氏は、本書に封面がないため本書が葉瑤池本と同版である可能性も残り、さらに葉瑤池が金聖嘆本原刻の刊行者である可能性も否定できないとする。

 本書の旧蔵者である清田儋叟は江戸時代の儒学者である。名は絢、字は君錦、号は儋叟・孔雀楼などである。大儒である伊藤坦庵を祖父、伊藤龍洲を父とし、長兄の伊藤錦里、次兄の江村北海とともに「伊藤の三珠樹」と称された。皆川淇園らと親交があり、本書の帙に書かれた「名ハ珣儋叟ト号ス」以下の記載は全て皆川淇園『日本諸家人物誌』巻二からの引用である。

 儋叟は中国白話小説、とりわけ『水滸伝』を愛読し、本書には全篇にわたって大量の書入れが見られる。儋叟は淇園から借りた金聖嘆本を携えて、五年もの間各地を移動し、帰京したのちに善本一部を求めたという。中村幸彦氏はこの善本こそが本書であろうと推測する。彼の『水滸伝』批評はこの五年間(宝暦三〜八年)で行われたとされる。実際、例えば第十三回第三葉裏には「寶曆戊寅之夏」、つまり宝暦八(一七五八)年夏との書入れが

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見られる。儋叟による『水滸伝』批評の内容は門下の高田維亨によって記録され、『水滸伝批評解』として今に伝わる(『唐話辞書類集』第三集収録)。

 儋叟の批評に関して、中村氏は「彼の文学評は当時としては進歩したものであって、おそらく彼我を合せて水滸伝研究史に特筆すべき評論である」と高い評価を与えている。彼の小説論は金聖嘆と同様に史学的視点を取り入れたものである。金聖嘆評に対しては、

 

  評得妙(素晴らしい批評である):第十四回第六葉裏

 

  評得亦神妙(抜群にすぐれた批評である):第二十回第十六葉表

 

  聖歎具眼(聖嘆は眼力を備えている):第六十三回第十一葉表

 

のような、金聖嘆評を称賛する書入れが散見される。一方で、儋叟と金聖嘆は拠って立つ思想が異なることもあり、次のような批判的な評語も多い。

 

  夫人皆能解了聖歎謬矣(そもそも人々はみな聖嘆が誤っていることを理解できる):第三十五回第八葉表

 

  聖歎釈義謬矣(聖嘆の解釈は誤りである):第三十七回第八葉表

 

  評得唧噥可厭(評が文人気取りで忌々しい):第十六回第十六葉表

 

  『水滸伝』批評を通して完成した儋叟の小説理論は、儋叟自身による『源氏物語』批評に応用されただけでなく、淇園とその弟・富士谷成章の賛同も受け、滝沢馬琴にも影響を与えたということが、中村氏などによって指

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摘されている。以上の点から考えても、中国における白話小説批評理論の日本での受容と発展を分析するうえでも、儋叟の小説理論を解明する価値は大きいといえよう。

(石川就彦)

 

〔参考文献〕

南山道人纂述・皆川淇園閲『日本諸家人物誌』巻二、須原茂兵衛ほか、一八〇〇年

(https://books.google.co.jp/books?id=WXvy9gRfzEAC&printsec=frontcover&hl=ja&source=gbs_ge_summary_r&cad=0#v=onepage&q&f=false〔二〇二四年一月十五日最終閲覧〕)

孫楷第『日本東京及大連圖書館所見中國小説書目提要』国立北平図書館中国大辞典編纂処、一九三一年

中村幸彦ほか校注『近世随想集 日本古典文学大系96』岩波書店、一九六五年

古典研究会『唐話辭書類集』第三集(『水滸伝批評解』)、汲古書院、一九七〇年

中村幸彦『中村幸彦著述集』第一巻(九「隠れたる批評家―清田儋叟の批評的業績―」)中央公論社、一九八二年〔初出は『中国文学報』第四冊、京都大学中国文学会、一九五六年四月。のち、『近世文藝思潮攷』岩波書店、一九七五年〕

中野三敬『近代藏書印譜 初編 日本書誌學大系41(1)』青裳堂書店、一九八四年

中村幸彦『中村幸彦著述集』第七巻(第四章「水滸伝と近世文学」)中央公論社、一九八四年

日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典』第三巻、岩波書店、一九八四年

長澤規矩也『長澤規矩也著作集』第一巻(「續梧陰清話」)、汲古書院、一九八五年

長澤規矩也『長澤規矩也著作集』第五巻(「家藏中國小説書目」)、汲古書院、一九八五年

馬蹄疾『水滸書録』上海古籍出版社、一九八六年

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張小鋼「金聖嘆文学批評の成立」博士学位論文、一九九六年十一月

黄仕忠『日本所藏中國戲曲文獻研究』高等教育出版社、二〇一一年

氏岡眞士「七十回本《水滸》的〝原刻本〟和〝坊本〟」『信州大学人文科学論集』第三号、二〇一六年三月

鄧雷『《水滸伝》版本知見録』鳳凰出版社、二〇一七年

小松謙『水滸傳と金瓶梅の研究』汲古書院、二〇二〇年

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