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2014年10月、大阪の古書店より購入したもので、田中武雄氏(1891~1966年)旧蔵の資料です。本資料には、写真や絵はがきが貼り込まれたアルバムが3冊、1枚物の写真が100枚余り、そのほか、1945年8月を前後する時期の日記メモ帳が1冊が含まれています。
田中氏は、朝鮮総督府の警察職を歴任し、政務総監(総督府のNo.2)、まで昇った人物で、終戦前の一時期、貴族院議員を務めたこともありました。
今回、購入した資料は、田中氏が朝鮮総督府に在任していた時期の写真・絵はがきが大部分を占めており、貴族院議員時代や終 戦後のものはほとんど含まれていません。これらの大量の写真群の中には、総督府での執務の様子を撮った写真、職員との集合写真、田中家の家族写真などが含まれています。植民地下朝鮮の大物官僚として活動した人物がどのような生活を送っていたのか、本写真群はその一端を窺い知ることのできる重要な資料です。
田中武雄氏略歴
三重県出身。1912年、明治大学卒。1919年、長野県警勤務を経て、朝鮮総督府に入る。以後、咸鏡北道警察部長(22年)、警務局高等警察課長(24年)、同保安課長(26年)、京畿道警察部長、(28年)、警務局保安課長(29年)、官房外事課長(32)年など、主に警務行政にたずさわり、1936年に警務局長に就任。1939年には、小磯国昭拓務大臣のもとで拓務次官を務める 。1942年に朝鮮総 督府政務総監、1944年、小磯国昭内閣のもとで内閣書記官長を務める。辞職後は貴族院議員となり、終戦後、公職追放。中央日韓協会会長を務める一方、財団法人清交会(1955年成立)会長として、朝鮮人BC級戦犯に対する生活援護事業にも従事した。(「朝鮮総督府関係者録音記録(1)」『東洋文化研究』2、2000年)