ベトナム・ハノイ市ディンレー通り「庶民の本市場」

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ハノイ市といえば、様々な商品の名が通りに付けられている旧市街が有名である。旧市街は、11世紀に李朝の首都がハノイに置かれて以来の長い歴史がある。通りの名は、かつて街路ごとに特定の商品を扱う商店が集まったのに由来しているそうだ。砂糖通り(hang duong)、櫛通り(hang luoc)、帽子通り(hang non)、太鼓通り(hang trong)、ミョウバン通り(hang phen)など、なかなかユニークである。今でも、特定商店が集まる一角が市内のあちこちにみられるが、通りの名が示す商品と実際の商店群が取り扱う商品が一致していないところが面白い。一角に伝統打楽器屋が集まる簾通り(hang manh)、仏具屋が集まる扇子通り(hang quat)や、東京都台東区合羽橋さながらアルミ製の厨房道具や台所用品が並ぶ錫通り(hang thiec)、鍵など金物屋並ぶ漢方薬通り(pho thuoc bac)などだ。

さて、旧市街から出て南へ、ホアンキエム湖南東端からオペラハウスに延びるチャンティエン通り周辺は、書店が集まる一角である。フランス植民地時代の建築様式の建物が残るこの通り沿いには、国営書店やおしゃれな内装の洋書店が並ぶ。

 

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上写真:表通りチャンティエン通りの二大国営書店

こちらの表通りが「近代的な」書店街ならば、一方で、この通りに平行して一つ北にある裏通り的なディンレー通り(ディンレーは15世紀初め黎朝初期の廷臣の名)は、本の市場(いちば)といったところである。旧市街の通りの名付け方に因めば、裏通りではあるが、本通り(book street)という名がふさわしい。

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上写真:「本市場」の外観(これはディンレー通りと直交するグエンシー通り)

ディンレー通りには、10店弱の小規模な書店が並んでいる。どの店も天井まである棚にも、店からはみ出た棚にも、びっしりと本が並べられている。なかにはうなぎの寝床のような、門口狭く、両側に今にも崩れんばかりに本を満載した棚がそびえているような店もある。神田の古本屋街のような風景がそこにある。ところが売られているのは古本ではない。ここで取り扱われている書籍は新品で、新刊も多い。それらの本が、表通りの国営書店の20~30%引きで売られている。ベトナムには、日本のような書籍の再販制度がないようだ。

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上写真:近年は装丁も洗練されていて書棚に整然と並べるととても美しい

安売りができる「ひみつ」は、ディンレー通りの書店主にたずねた限りでは、単純に仕入れ値の違いである。その書店主曰く、ディンレー通りの書店は、個人商店か、民営書店である。国営書店が定価で出版社や発行所から購入するのに対して、本市場の店主たちは、定価より安く購入することができるという。それで国営書店がやっていける理由が理解に苦しむ。ベトナムでは出版統制があるので、出版社は、何かしら行政機関や公的組織に付属している公的な組織である。そこで、一部事業がいわば政府調達(ここに国営書店への販売を含めよう)のようなもので、残りの事業が市場(しじょう)での営業となっていると考えておこう。

名称未設定6上写真:晴れた日には屋外でも販売スペースができる(左看板に20~60%OFFと謳われている)

さて、ディンレー通りの書店の品揃えはというと、国営書店のそれにも引けを取らない。小説、辞書事典、教養書、参考書、児童書、漫画、ハウツー本などが中心。海外文学も充実している。平積みされていて人気ぶりを思わせるのが、世界の大富豪、著名経営者、大物政治家の著作の翻訳書だ。ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブス、ヒラリー・クリントン、トニー・ブレアなど。国営書店で在庫がない、数年前の本も手に入ることがあるし、店員もこちらの書籍探しの注文に応じてくれる。

 

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上写真:日本小説も人気(左は日本文学を集めた書棚、右は「日本文学ウィーク」宣伝ポスター)

筆者が、今回、ディンレー通りを訪れた際は、テト(旧正月のことで今年は新暦で2月19日)も近いので、店頭には、色とりどりカレンダーが吊るされ、真紅の表紙や枠のある卓上カレンダーがならんでいて、華やかでにぎわいもいつもよりあるように感じられた。書店が湧くのは、やはり週末の夕方だ。立ち読みに寛容なベトナムでは、読書に熱中する若者が、店内のあちこちにみられる。ディンレー通りの書店は、テトの時期を除いて年中無休。夜も遅くまで開いている。通りの向かいが官庁なので、日が沈むとあたりは薄暗く静かになる。そんな通りでは、書店の白熱灯の暖かい光が、本を手に取る読者の手元をやさしく照らしてくれる。

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上写真:テト(旧正月)前にはカレンダーが並ぶ

 

 

追記

外国人研究者が、研究書を国営書店やディンレー通りの書店で見つけるのは年々難しくなっている。たとえば書店の「経済」の棚にあるのは、ほとんど経営学のハウツー本で、起業や企業実務に関するものだ。歴史書、歴史上の秘話を題材にした私小説、経済分析などのうち、一般受けもする内容のものが運よく手に入るくらいである。というのもベトナムでは、研究書がほとんど書籍市場に流れないという事情がある。第一に、研究書は発行部数も少なく、図書館への納本、大学や研究機関への販売など販路が限られている。さらに、博士論文をはじめ研究成果の公刊の類は、公的機関である出版社の名をかりた自主出版に近いもので、出版社の営業・販売部さえ把握しないまま、関係者間での献本など内部流通することも多い。また、一部の国家機関委託の出版事業などは、市場に流すにも当該国家機関の判断を要する。したがって、研究書を入手するには、そうした類の書籍の特殊な流通情報を、現地研究者や出版社などから得なければならない。

U-PARL特任研究員:藤倉哲郎