コンテンツへスキップ

東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

COLUMN

虎の恩返し

虎の恩返し

特任研究員 荒木達雄

 

 2022年は(正確には2022年2月1日以降は)壬寅の年、いわゆる「とら年」となります。読者諸賢はトラに対してどのような印象をお持ちでしょうか……強い?かっこいい?獰猛?ネコ科……?日本に野生のトラはいないので、日本でごくふつうの生活を送る我々にとってのトラ像はおおむね物語やドキュメンタリー映像などにもとづくものでしょう。もちろんその舞台は外国ばかり。加藤清正の虎退治というのがありましたが、あれも朝鮮半島での出来事でした。現代の私たちはトラという動物が実在することを知っていますし、動物園で見ることもできますが、それでもやはり、現実味というよりはイメージ先行の、シンボル的な存在であると言えるかもしれません。

『水滸伝』より。母を食べた虎を退治する一場面。虎が人間の勇猛さと孝心を証明する引き立て役となっているエピソードのひとつと言える。
東京大学東洋文化研究所蔵『新刻全像水滸伝』所載
画像は「東京大学アジア研究図書館デジタルコレクション」にて公開予定。

 私はかつて中国のトラの話ばかりを集めて読み続けていた時期がありました[1]。中国には実際に野生のトラが棲息していた地域があり、人とトラとの接触も現実にあったせいか、実に多くのトラにまつわる伝承が存在します。類似のエピソード、アレンジされたエピソードも少なくないため、数え方にもよるのですが、読んだエピソードは五百種はくだらないのではないかと思います(もっともそのなかにはたった十数字、二十数字だけのエピソードも含まれていますし、そこまで行かずとも百字そこそこのエピソードもたくさんありますので、実はそう大した分量ではないのですが…)。ここには実にさまざまなトラが現れます、良い虎、悪い虎、普通の虎…。かの有名な「苛政は虎より猛なり」のような人が恐れる凶暴なトラのエピソードもあれば、トラを退治することが勇猛さや武力の証明となる、いわばトラが引き立て役となるエピソードもあります。しかしながら、せっかくのとら年、新年を祝したコラムゆえ、ここでは心温まるトラのエピソードをご紹介することといたしましょう。

その一

 老女が山中を歩いていると虎に遭遇した。虎は老女をくわえて谷底へ行った。そして老女のまえにすわると、「トゲを抜いてくれないだろうか」と言い、足を挙げて老女に見せた。見ると爪の下に竹のトゲがささっていたので抜いてやった。虎はおどりあがってよろこび、老女をくわえて出会った場所へ戻った。その間、傷つけることはなかった。その夜、鹿を一頭門のところへ置いて去って行った。

著者画

 数あるトラ話のなかで私がもっとも好きなものです。トゲを抜いてくれと言って(原文に「曰、『莫有刺、欲去否』」とあるのでセリフと考えるのが妥当だと判断しました)足の裏を見せる姿、とびあがってよろこぶ姿などつい想像してしまいます。この話柄、いろいろなパターンで伝わっています。トゲではなく、難産に苦しむトラを助けてやったらお礼をもらったというものもあります。単に「虎のトゲをとってやった、トラがお礼に鹿を贈った」というだけの僅僅12文字、トラがしゃべらない記述もあります(、というより、これに肉付けされることでさまざまな話が生まれたと考えるべきでしょうか)。尾鰭がついたバージョンも多々あります。さすがにトラの国へ連れて行ってくれるなどという話は見たことがないのですが、例えばこんな話があります。

獲物をくわえたトラ
大連獅虎園にて著者撮影

虎はトゲを抜いてくれた老女の家に連日ノロジカ、シカ、キツネ、ウサギなどを送り届けきたが、ある日なんと人の死体を投げこんできた。老女は殺人の疑いで取り調べを受け、事の経緯を説明してなんとか疑いが晴れた。家に戻ると、森のほうに向かって、感謝していますが、もう人は投げ込まないでくださいと叫んだ。お礼のつもりでもやりすぎるとありがた迷惑になります、というお話……。

 心温まる話のはずが雲行きがあやしくなってきてしまったので話柄を変えましょう。

その二

 父の喪に服している男のもとへ、近所の人に追われた虎が逃げ込んできた。男は虎をかくまってやり、追いかけてきた人に問われても「家の中に虎を隠せるはずがないでしょう」としらをきった。そののち、虎は男の祭祀に使う獣の肉を送り届けてきた。

その三

 朱泰という男は貧しい暮らしのなかで必死に働き母を養っていた。ある日、山中で木を切っているとき、虎につかまった。朱泰が「私を食うのはかまわん。母が寄る辺のない身になってしまうことだけが気がかりだ」と言うと、虎は朱泰を置いて去っていった。


 これにも類話があります。まず、家族構成がちょっと違うもの。
 母を養っていた木こりの姉弟がいて、弟が虎に追いかけられた。姉は虎の尾をつかみ、「私を食え。弟が死んだら母を養えなくなる」と叫んだ。虎は立ち去った。
 つぎに、さらに記述が詳しくなったもの。
 章恵仲という男が、妹の婿とともに科挙に赴く途上、船の事故にあい義弟だけが死んでしまった。章は試験に合格し役人になったが、その後実の弟も死んでしまったと聞いた。ある夜、馬に乗っていたとき、あやまって谷に落ち、虎につかまった。章が虎に、弟も義弟も死んでしまい、自分一人だけで八十の老母を養っているのだと訴えると、虎は章を捨てて立ち去った。
 その二、その三に共通するのは「孝」です。「孝」は中国の旧社会で最も重んぜられた徳目のひとつで、「親孝行だから」が役人にとりたてられたり出世したりする理由として成立するほどでした。その心は虎をも動かすものだということなのでしょう。その意味では、その二、その三の重点は人の心の正しさにあり、トラは引き立て役にすぎないと言えるかもしれません。
 しかし、トラが主体的に人類の善悪を判断して動いているように見える話もあります。

その四

 水害に見舞われた地域から、ある農夫が母と妻子とを連れて逃げ出した。食料も乏しくなり、川を渡ろうというところで農夫は妻に、ここで母を見捨てて行こうと告げ、子を抱いて渡った。妻は忍びなく、母を支えて後から渡ったところ、子だけがいて、夫がいない。夫は林のなかで虎に食われて死んでいた。

その五

著者画

 川を渡ろうと船を雇った夫婦がいた。船頭は妻に横恋慕し、よからぬ心をおこした。対岸に着くと船頭は妻を船に残し、夫と二人で上陸し、陰で夫を殴り殺した。船に戻り妻に、旦那さんは虎に殺されてしまったから私と一緒になりなさいと言った。妻が、夫の遺体を確かめてからだと言うので仕方なく連れて行くと、その途上虎が飛び出して船頭をさらっていった。妻は、本当に虎がいるのだから夫も死んだのだろうと泣き叫んだが、実は夫は生きていて、再会できた。

その六

 九人の男が連れ立って山道を歩いていた。道中雨が降ってきたので洞穴に入った。すると虎がやってきて出口にすわった。八人はひそかに一人を犠牲にして逃げようと画策した。虎はその追い出された一人をくわえてどこかへ連れて行き、一頭でもどってきてまた洞穴の出口にすわった。まもなく洞穴は崩れ、八人は死に、あの一人だけが助かった。

 その四、その五、その六は、トラが主体的に人の善悪を判断し、助けたり懲らしめたりしているように見えます。このような、人間世界の道徳、善悪観にかなう行動をとるトラを「義虎」と呼ぶことがあります。なぜ、昔の中国に多くの義虎の物語が生まれ、広まったのでしょうか。

その七

 若くして夫を亡くした女性がいた。彼女は貞操を守り、独り身のままでいた。近所にすむ木こりがその美貌にひかれ、ものにしようとねらっていたが果たせないままでいた。ある夜、木こりは商売道具の材木をその寡婦の庭へ投げ込み、翌朝、材木を盗まれたと役所へ訴え出た(このあたり、事情の説明がないので私にもよくわかりません。言い寄ってもはねつけられ、かわいさあまって憎さ百倍に至ったということなのでしょうか)。寡婦は玄壇神に助けを求めて祈った。すると夢に玄壇神が現れ、「わが虎をつかわそう」と言った。ほどなくしてこの木こりは山中で虎にさらわれたきり姿を消した。

 トラは神の使いゆえ、人の善悪を裁くのだというように読めます。実際、いまでも廟へ行くと、トラに跨る玄壇神を見ることができます。上に掲げた話には背後に神さまの影が感じられないものもありますが、もしかしたらそのような思想が隠れているのかもしれません。しかし考えてみれば、「トラは神の使いである」は、「トラはなぜ人の善悪を裁くのか」に対する説明にはなっていても、人の善悪を裁く獣としてそもそもなぜトラが選ばれたのかの説明にはなっていません。

虎にまたがる玄壇神(中央)
湖北武漢・白雲観にて著者撮影

 まず白状しておきますと、私自身は中国の古い物語類型を収集し整理しているにすぎず、宗教学も社会学も文化人類学もからっきしの素人です。ここから先お話しすることは単なる妄想です。
 宗教史学者の中沢新一さんは、アイヌ、イヌイット、北米、北欧などの熊にまつわる伝承を「対称性」ということばで説明されています(中沢新一『熊から王へ』、講談社選書メチエ、2002年)。かつて人は大自然の連鎖のなかの一部にすぎず、人自身それを自覚していた。森は人に恵みをもたらすとともに禁忌を犯せば情け容赦なく敵対する。森で最も大きく、強い存在であるクマは、森の首長としてヒトと相対する存在である。ヒトとクマはときに譲りあい共生し、ときに命のやりとりをする。ヒトにとってクマは畏怖する相手であると同時に親しみをもつ相手でもある。そのような社会では人と熊との間に明確な境界線はなく、人と熊との異類婚姻譚や、人が熊に熊が人にという変身譚など、人と熊の間を自由に行き来する伝承が豊富に残されている、と。
 言われてみれば、中国には、凶暴な虎、親切な虎だけでなく、人語を解する虎、虎が人へ、人が虎へと変身する話も数多く残っています。日本人には中島敦「山月記」のもとになったとされる「人虎伝」が有名でしょうか。もしかしたらトラはかつての中国人にとって「対称性」をもつ存在であり、それゆえに人の感情、価値観等を反映するかのような伝承がつくられたのかもしれません。人はいつしか己が世界の支配者であると思いあがるようになり、自分たちも「食われる」存在になり得ることを忘れてしまいます。しかし一方で、無意識裡にも、その行いを戒めてくれるトラに対する、忘れないよ、すぐそばに君がいることを、という記憶のこめられた伝承を残しつづけたのかもしれません(もっとも、中国における異類婚姻譚、変身譚ではサルもトラに負けず劣らずさまざまな物語類型を持ちますから、ただちにトラをもって中国の自然界の代表者と見なすことはできないのですが)。

福建、台湾、東南アジアなどの廟に見られる「虎爺」。祭壇の下に設けられた横穴や、供物を捧げる机の下などに身を隠すようにして祀られている。いろいろなところをのぞきこんで虎爺さまを探すのもお参りのときの楽しみ。
ただ、やりすぎると不審者になってしまうのでほどほどに…。
すべて著者撮影

 さて、専門外の与太話はここまでにして、私がある意味「義虎」の完成形態だと考えている話をひとつだけご紹介します。1627年に刊行された小説集『醒世恒言』に収録される「大樹坡義虎送親」です。これはもはや伝承ではありません。明らかにそれまでの伝承を踏まえて創作された小説です。これまでご紹介したものと比べ非常に長い話なので、お時間のある方は私の下手な要約よりも原作をお読みになることを強くお勧めしておきます。

「大樹坡義虎送親」

入話(本篇のまえのマクラ):韋德という男が妻・単氏とともに故郷へ向かっていた。途中雇った船頭が単氏を奪って妻にしようとたくらんだ。まず単氏を残して韋德と二人で陸に上がって山道に入り、斧で韋德を斬りつけた。船にもどり単氏に、韋德は虎に食われてしまったから自分の妻になるように言った。単氏が夫の骨を拾いに行きたいと言うのでやむなく山中へ連れてゆくと、本物の虎が飛び出してきて船頭をくわえて去った。虎を目の当たりにした単氏は、夫は本当に食われてしまったのだと信じ泣き叫んだ。そこへ血だらけの人間がやってくる。それはなんと韋德だった。頭をきりつけられたものの、気絶しただけで死んではいなかったのだった。二人は神明が虎を遣わして船頭を食わせたのだと思った。

本篇:勤自勵という男は武術の稽古が好きで、無頼の徒ばかりとつきあっていた。ある日虎狩りに出たところ老人が現れ、「人が虎を害そうと思わなければ虎も人を害さないものだ」と諭された。その後、罠にかかっている虎を見つけ、今後人を害さないかとたずねると虎はうなづいたので罠をはずしてやった。その後、自勵の家はどんどん困窮していき、父母は自勵が相変わらず無頼の徒とつきあっているのを嫌がった。それを知った自勵は、軍の徴募に応じて出征することにした。自勵には林潮音という婚約者があった。自勵が軍に入ったきり三年帰ってこないので林家は婚約解消を申し出たが、自勵の父の説得によりもう三年待つことになった。三年経てもなお帰ってこなかったので林氏の両親は娘に、自勵はもう死んだと嘘をつき、ほかへ嫁がせようとした。潮音が三年間自勵の喪に服したいと願ったのでさらに三年待ち、いよいよほかへ嫁がせる時が来た。潮音はいまだ頑固に拒否するので両親はこっそり他家と縁談をまとめ、潮音をだましてかごに乗せ、婚礼へ向かわせた。だまされたことに途中で気づいた潮音が泣き叫んでいると、虎が飛び出して来て潮音をくわえて去って行った。ちょうどそのころ勤自勵が戦場からもどってきた。家に着き、潮音が他家へ嫁ぐことになったと聞くや、激怒して林家へ向かった。道中雨が降ってきたので大木のうろに入った。なかにいると外で大きな音がし、さらに人のうめき声が聞こえた。その人を助け、名乗りあったところ、その人は林潮音といい、二人は互いが婚約者同士であることを知った。そのとき外で虎の声がした。勤自勵は十年前の虎が恩返しに来たのだとわかり、虎に感謝の言葉を述べ、潮音を連れて林家へ戻り、結婚を果たした。

 ここではトラはもう人語を話しません。また、平常であれば凶暴な存在であるとして人々から恐れられています。しかし慈悲の心をもって接すればその恩を忘れることなく、また、婚約を無理やり解消し他家へ嫁がせるという不道徳な行いを阻止し、君と誓った約束乗せて行くよとばかりに駆けつけてくれるのです。人とトラとの長い付き合いにもとづく記憶と、不断に生まれ、アレンジされ、広まってきた数々のトラにまつわる伝承という分厚い蓄積とのうえにようやく誕生した物語であると言えるのではないでしょうか。

虎爺と動物信仰に関する国際学会。2017年の会にはコメンテーターとしてお招きにあずかりました。
虎の神さまからのご褒美でしょうか。
著者撮影

 なお、中国の虎伝承にはさまざまなトラの異名が現れます。たとえば「山君」。「山の王者」くらいの意味でしょうか。中国の「百獣の王」はトラだったのですね。

北京タイガース(黒)の選手たち
2005年上海体育宮棒球場にて著者撮影

また、「斑子」という呼び名も出てきます。「斑」は訓読みでは「まだら」ですが、中国語ではシマウマを「斑馬」と呼ぶように、縞模様を指すこともできます。つまり「シマシマちゃん」とでもいうような愛称なのでしょう。なんだかかわいらしく思えてしまいます。

 ちなみに、1962年寅年には阪神タイガース(NPB)がセントラル・リーグで優勝、1986年寅年にはヘテ・タイガース(KBO、現・起亜タイガース)が韓国シリーズで優勝しています。CPBLにはそもそも「タイガース」がいません。デトロイトタイガース(MLB)、北京タイガース(CBA)は、優勝経験は多いにも関わらずトラ年の優勝はありません。さて今年はどうなるか、見守っていきたいものですね……、え?「勝手にしやがれ」、ですか?

January 6, 2022


[1] その経験を活かし、「李逵殺虎故事成立の背景」(『中国―社会と文化』第25号、2010年)という文章を発表しました。ただしp.134上段15行目で「妹をとり返し」とあるのは「父をとり返し」の誤りであり、これにともない同18行目「では父を救ったことになっていて、対象は異なるものの」は「でも同様の活躍が語られていて」としなければならないところです。同時期に読んでいたほかの話と混同してしまっていたようです。この機会に訂正いたします。さらにこの文章を加筆修正したものを、博士論文「百回本『水滸伝』編纂の方針」に第三章「李逵殺虎故事成立の背景」として収めました。

また、2010年には、日本中国学会第62回大会にて「虎を見る目の変化――『醒世恒言』卷五「大樹坡義虎送親」と『水滸傳』から」という口頭報告を行いました。こちらは文章化する機会なくいままで来てしまいました。もしもご興味お持ちの方がいらっしゃれば、当時の配布資料をPDFファイル形式にて進呈いたします。