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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
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COLUMN

地域研究を志す研究者への読書案内―好奇心・構想力・論理力・体力

末廣コラム2_banner-01

末廣昭
U-PARL兼務教員(社会科学研究所教授)

*本コラムは、独立行政法人日本貿易振興機構アジア経済研究所の許可を得て『アジ研ワールドトレンド』(アジ研流読書案内—研究者が薦める3冊), No. 199, 2012年4月, 17-18頁より転載したものです。

 

1. 地域研究を支える要件

新入生や研究者向けに「私が薦める本」といったエッセイを頼まれた時には、古典や本人に近い研究分野で感銘を受けた本を紹介するのが普通であろう。しかしながら、ここでは少し趣向を変えて、私が地域研究者(を志すひと)にぜひとも読んでほしいと思うものを3冊ほど取り上げたい。

私が「地域研究者」に必要不可欠だろうと思う要件は4つある。

  • 何でも知りたいという知的好奇心。
  • 好奇心を満たすための調査を実施する行動力と調査を設計する構想力。
  • 見たこと、聞いたこと、収集したデータを整理し、これに筋道を与える論理構成力。
  • 以上の3を支える体力。これら4つの要件が揃って、はじめて地域研究は成立する。

そうした要件を見事に示す本が次の3冊である。

 

2. 久米邦武編・田中彰校注『特命全権大使 米欧回覧実記』全5冊、岩波文庫、1979年(原著は1878年)。

日本人が書いた海外研究の古典で白眉が、「岩倉使節団」の記録をとりまとめた『特命全権大使 米欧回覧実記』である。著者は久米邦武(当時は太政官少書記)。1871年12月に横浜港を出た一行は、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、ロシア、ベルギー、オランダ、オーストリア、スイスの12カ国を回り、目に触れるもの、耳にしたものすべてを記録したうえで、1873年9月に帰国した。

使節団のメンバーは団長が右大臣岩倉具視(47歳)、副使が参議木戸孝允(39歳)、大蔵卿大久保利通(42歳)、工部大輔伊藤博文(31歳)などで、洋行経験のある書記官、随行者を合わせると50名、平均年齢30歳という若い集団であった。

注目すべきは、岩倉使節団が帰国して5年目に、全100巻の報告書を政府に提出している点である。この報告書は初版500部で一般の人々向けにも刊行され、最終的には3500部(4刷)が売れたという。当時の出版事情を考えると驚くべき数字であり、それだけ国民は海外に関する情報を渇望していたと言える。岩波文庫版はこの報告書を復刻したものであり、各巻に田中彰による詳細な校注と解説、そして旅行日程が加えられている。

岩波文庫版は、全部で2100ページにも達するが、とにかく面白い。そして、編者である久米の旺盛な好奇心、行動力、鋭い観察力に舌を巻く。地域研究者とはまさにかくあるべしと思わざるを得ない。なお、岩倉使節団の目的は、先の報告書の出版計画に添えられた次の一文にすべてが言い尽くされている。

「政俗ヲ観レハ人種ニ遡リ、地理ヲ観レハ運漕ニ及ホシ、野ニ農牧、山ニ礦坑、都邑ニ製作商売ノ景況ヲ采訪シ、其他人民ノ居所生計教育ノ模様スベテ我士農工商ノ生業ニ注意スヘキコトハ懇ニ記載シ、併セテ各都官衙ニツキ文治武備ノ制度ヲ察シ、緊要ノ所ニハ政治、法律、統計、歴史及ヒ理学、化学、重学ノ諸書ヲ参考シ、実際ト理論トヲ兼ネ、之ヲ東洋西洋ノ異同ニ稽へ、一一ニ論辨ヲ加ヘタリ」

要するに、欧米諸国の政治経済社会を「丸ごと理解する」という姿勢である。この姿勢は地域研究の基本だと私は思う。対象を細分化するのではなく、できるだけ詳細に観察し記録し分析する。そのお手本がこの本にはある。

 

3. 立花隆『サル学の現在The Frontiers of Primatology』平凡社、1991年。

立花隆のルポルタージュは、テーマの選択、聞き取りの作法、事前の情報の仕込み、調査結果の整理の仕方のいずれをとっても第一級の仕事であり、地域研究者にとってはすぐれた手引書になる。田中角栄研究や日本共産党研究が有名であるが、地域研究者にとって刺激に満ちた本は、『農協』(1980年)と『サル学の現在』の2冊である。

後者の本の構成は、序章、⑴フィールドの発見、⑵ヒトにせまる、⑶知られざる社会生態、⑷なぜ子殺しか、⑸ヒトはどこから来たか、⑹分子から見た霊長類深化、終章のサルからヒトへの社会進化である。テーマごとに、前半では立花による研究動向や研究のポイントの紹介があり、後半では立花が25名の研究者に行ったインタビューの記録が収録されている。

それでは、なぜサル学なのか。「人間性とは何か、ヒトと動物を区別するものは何かを知るためには、サルのサル性を知らなければならない」。その意味で、霊長類研究はすぐれて人間学の総合的研究でもある、というのが立花の主張である。日本の霊長類研究は世界に誇りうる参与観察型の研究の典型である。同時に、サル学は最先端の遺伝子工学や脳科学、社会学などの研究者が結集する、ディシプリンを超えた文理融合型研究の典型でもある。総合性、学際性、参与観察のいずれをとっても、地域研究と重なるところが多い。

本書は700ページ(それも2段組み)を超える大部の本であるが、本の厚さがまったく苦にならない面白さと刺激に満ちている(のち文春文庫)。サル学の研究者の好奇心、驚きのアイディア、素晴らしい行動力もさることながら、彼らから研究のエッセンスを引き出そうとする立花の好奇心の旺盛さと情報の事前仕込みの周到さに圧倒される。ちなみに、巻末文献には日本語と英語を合わせて189点が収録されている。

 

4. 小池和男・洞口治夫編『経営学のフィールド・リサーチ:<現場の達人>の実践的調査手法』日本経済新聞社、2006年。

最後は、主として経営学の分野で、フィールド調査やアンケート調査を精力的に進め、その成果を企業組織や企業戦略の研究に見事に生かした研究者が、「調査の手の内」を明かした本である。この本は法政大学の洞口が、2年間にわたってさまざまな研究者(現場の達人)に対して行ったインタビュー記事をまず編集し、それに本人が手を加えたうえでまとめたものである。

選ばれた達人は計7名。地域研究者の私も末席に加えていただいた。この7名とは、藤本隆宏(東京大学)、和田充夫(慶應義塾大学)、三品和弘(神戸大学)、櫻澤仁(文京学院大学)、佐藤郁哉(一橋大学)、川喜多喬(法政大学)、末廣昭である。各人の章はリサーチ・デザインとフィールド調査方法のヒントに溢れているが、同時に巻末に付された洞口自身の「解説」が秀逸である。

例えば、自動車産業の企業戦略やアーキテクチャー論で有名な藤本隆宏の章の面白さは、「自動車産業という目に見える、可視的な産業において、目に見えない製品開発という部分を(藤本が)研究テーマとした」ことにあり、「目に見えるものの観察から、目に見えない制度とそれを支える論理を発見する」プロセスが生き生きと語られている点にある。

この点はフィールド調査の真髄であると同時に、地域研究の真髄でもあると私は思う。対象が政治、農業、産業、企業に関係なく、地域研究者が目指すのは見てきたことの記録だけではなく、目に見えない制度や仕組みの解明であり、その背後にある論理や価値観の解明にあるからだ。いくら統計手法が発達しても、この目に見えないものを的確に把握するのは、調査者の確かな観察力、豊かな発想力、他者とのコミュニケーション能力の高さにかかっている。このことは「岩倉使節団」の記録が示しているとおりである。

結局のところ、地域研究とは外国の事情研究ではなく、すぐれて総合的な人間研究であり、自分たちとは異なる環境や文化のもとで育った「他者」を理解する学問である。そして、この他者理解は自分自身や自国に対する理解の見直しに向かう。ここに掲げた3種類の本は、そうしたことを考えるうえで最良の本と言えるだろう。