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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

COLUMN

思えば遠くへ来たもんだ——書物の旅(1)

特任研究員 荒木達雄

筆者は現在U-PARLにおいて「アジア研究図書館デジタルコレクション」構築の任に当たっている。といっても、特に資料のデジタル化に造詣が深かったわけでもなく、ましてやデジタル化技術に長けているわけでもない。部門に着任して以来、デジタルコレクション構築に関する手続きをとりまめる任を与えられているというだけである。デジタル画像に附す原資料の書誌情報を「メタデータ」と呼ぶのだということすらこのお役目を拝命してから初めて知ったというありさまである。

U-PARLの教員、研究員の研究対象はアジア全域に広がっている。部門内でデジタル化にふさわしい資料の選定作業を行えば、当然アジア全域からさまざまな資料が候補としてあがってくることになる。デジタル化作業担当者となった結果、筆者はこれまでの個人的な興味の範囲では決して見ることも触れることもなかったであろう書物とも出会うことになった。まさに役得である。

 

このほど(2022年8月)、「アジア研究図書館デジタルコレクション」は3点のアジア関連資料を追加公開した(参照:『東京大学アジア研究図書館デジタルコレクション』に3件のコンテンツが追加されました。2022年8月23日)。うち2点は中国の小説『水滸伝』であり、筆者にとっては馴染み深いものである。もう1点はドイツ語で書かれたエジプトとエチオピアに関する資料、とのこと。内容のことはさっぱりながら、もちろん担当者として撮影に立ち会った。資料的価値を紹介することは筆者には到底できないが、精緻で、色づかいも美しいスケッチが多数収められているので、高精細デジタル画像で楽しむには恰好の素材であると感じている。

 

 

「東京大学アジア研究図書館デジタルコレクション」“Denkmaeler aus Aegypten und Aethiopien”より

 

さて、上に述べたように、画像をデジタルコレクションにて公開するにはメタデータを作成する必要がある。はじめは聞いたこともない横文字に戦慄を覚えたものだが、よく見れば要するに書誌情報であり、少なくとも中国、日本の書物に関しては筆者も少なからず馴染みのあるものだ。

前近代の中国、日本の書物の書誌情報を整理するにあたって注意すべき項目は多数あるが、そのひとつに蔵書印がある。他地域のことはよくわからないが、近代以前の中国、日本の蔵書家は書物を手に入れると自身の印を捺す習慣があり、これを見ることによってその書物がこれまでいつ、どのような場所を経由し、どのような人に読まれ、そしていまここにあるのだということがわかる。まさしく書物の内容ではなく外部から附加された情報、メタデータである。たとえば今回デジタルコレクションに追加公開した『水滸伝全本』三十巻は、「有水可漁」の印があることから、東京大学(厳密には東京帝国大学)に入る以前にはかの幸田露伴の手元にあったことがわかる。もちろん、蔵書印を捺さない人もあり、捺した部分が破損などで失われていることもあり、誰の蔵書印であるかわからないこともあり、その旅路を完全には追えない書物も少なくないのだが…。

 

こうした習慣に馴染んでいたこともあり、今般追加公開したエジプト、エチオピア関連資料『Denkmaeler aus Aegypten und Aethiopien』(以下、本書と記す)を撮影前の状態確認のために手にした際にも(……実際にはさっと“手にする”ことができるようなサイズではないのだけれども…。サイズもメタデータに記載されているので、ご興味のおありのかたはご確認あれかし)、何の気なしに印が捺されていそうなところをめくってみた。

捺されていた印は2種。ひとつは「東京帝国大学図書印」。東京大学附属図書館で資料デジタル化作業に従事していればしょっちゅう目にするものである。詳しい職員に調べていただいたところ、東京大学に本書が資産登録されたのは昭和7年7月とのことであった。東京帝国大学の印が捺されているのは当然である。

もうひとつの印が、筆者ははじめて見るものであった――「大蔵省賠償金特別会計所属図書」。なんだこれは?賠償金?大蔵省?それがなぜ東大総合図書館に?

 

「東京大学アジア研究図書館デジタルコレクション」“Denkmaeler aus Aegypten und Aethiopien”より

わからないままなのはなんだかすっきりしないので、この件について少しばかり調べてみた。以下はその経過報告である。なお、筆者はドイツ語資料も、エジプト研究も、日本近代史も、法制度も会計もなにもかも門外漢なので、専門の方から見れば「なにをそんな簡単なことを」と言われるようなことでひっかかっていたり、基本的な誤読や誤解をしていたりする可能性がある。読者諸賢におかれましては、お気づきのことがあればU-PARLウェブサイト内「CONTACT」よりご教示賜れれば幸いです。

 

さて、大蔵省賠償金特別会計というからには、日本が得た賠償金に関係あるものだろう。筆者の中学生レベルの日本史の知識をフル稼働させて考えてみると、たしか日清戦争の賠償金で八幡製鉄所を建てたという話があった。それと同様、戦争の賠償金を使って購入したものだろうか。昭和7年登録となるともっとあとの戦争、となると第一次大戦後か。それにしても製鉄所と、ドイツ語で書かれたエジプト、エチオピア資料とではかなり趣が異なる。

割れ鍋に綴じ蓋、デジタル化資料にデジタル化資料、幸い国立公文書館デジタルアーカイブに大正9年8月2日に公布された「賠償金特別会計法」が収められていた。第一次大戦後、敗戦国ドイツから得ることになった賠償金は、一般会計とは別に特別会計で処理するという法律である。その第六条(全六条中の最後の一条)に「獨逸國等トノ平和條約賠償條項ニ基キ受領スル有價證券其ノ他ノ物件ハ本會計ノ所屬トス」とある。敗戦後のドイツが重い賠償を課せられたこと、大不況に陥ったことはそれこそ中学校の歴史でも学習する。つまりは、賠償金を現金ではなく物納でも受けるということなのだろう。第二条には「(前略)……、法令ノ定ムル所ニ依リ支出スル交付金、事務取扱費其ノ他ノ諸費ヲ以テ其ノ歳出トス」とあり、この特特別会計で書籍、研究資料を購入することはなさそうに思えるから、本書も賠償金代わりに物納されたものなのだろうか。しかし、ここまで来たからには本書を受領した記録、本書と言わないまでも書籍を受領した記録を確認したいところである。

 

東京大学経済学部に『第四十六議會賠償金特別會計参考書』なる冊子が保管されている。まとめたのは大蔵省理財局国庫課賠償掛。表紙には「大正十二年一月調」とあり、「秘」の印が捺されている。いわゆる書籍ではなく、内部資料であろう。第46回帝国議会は大正11年12月27日に召集され(ずいぶん半端な時期に始めたのですね)、大正12年3月26日に閉会している。ここで賠償金特別会計について報告する必要があったのか、特別会計法の改正なり特別会計に関わる新しい法案の審議があったのか、ともかく議会のために、これまでの賠償金特別会計に関わるさまざまをまとめておく必要があったのだろう。なお、東京大学にある(少なくともOPAC登録されている)賠償金特別会計参考資料はこの1点のみである。ほかの年には作成されなかったのか、作成されたが失われたのか、筆者にはわからない。

 

この『第四十六議會賠償金特別會計参考書』(以下、『参考書』と略す)を読んでみると、官僚というのは実に細かいところまで考えるものだなあと感に堪えない。たとえば、ドイツから賠償物件を受けとる。これを日本の港へ送る。ドイツの物品が日本の港に入るわけだから関税がかかる。筆者のような素人からすると賠償物件に関税がかかること自体が意外なのだが、ともかく、現行法のままでは関税がかかる。そこでこんな理屈を考える。――曰く、輸入関税は一般会計に計上される。その関税はどこから支出するか。特別会計である。つまり、国の財布から国の財布へ税金が移動するだけのことである。そのために手間ひまをかける必要性がない。ゆえに賠償物件には輸入関税をかけないことが適切である――。――亦た曰く、賠償で得た船舶を民間会社に委託して日本へ廻航させることにする。廻航中にかかる費用はその会社の負担とする代わりに、廻航中にも運賃、運送料などで収益を得ることを認めよう。しかし、官有財産を用いて民間に利益を得しめることは違法である。本件は特別であるとして勅令の制定が必要だ――。こうしたことを考え、これを閣議決定してほしいといって案をつくる、法案を出してほしい、勅令を発してほしいといってその下書きもつくる…こういった資料がすっかり『参考書』に収められている。どのような経緯で、どのような事情で閣議決定がなされ、法案を作成したか、どこからつっこまれても説明ができるようになっている。実に用意周到だ。やましいところはなにもない、逃げも隠れもしない。官僚の矜持と言ってはおおげさだろうか?

 

上に、特別会計法で日本は物件を受領することになっていると記したが、『参考書』を見て驚いたのは、大正11年7月末日時点で日本は現金での賠償を一切受けていないことであった。全体から見て日本の取り分が少ないのは当然だが、日本が受けた賠償は、現物と、ドイツの有していた権益(主に山東省の鉄道、炭鉱、鉄鉱)だけである。連合国の賠償要求があまりに酷であったことは世界史などで教わることではあるが、本当に現金がなかったのだろう。

ついでに見ると、賠償物件のとりたてもなかなかに酷である。賠償物件は主に船舶、染料、薬品なのだが、戦勝国が要求するだけの量の船舶、染料、薬品をドイツは現に保有していない。ならばあきらめるのかといえばそんなことはなく、今後毎年ドイツ国内で建造、製造する分の何割を賠償物件として納めよ、と差し押さえてしまう。ドイツ国民ははたらいてもはたらいても作ったものの何割かは確実にタダで召し上げられてしまうわけで(戦勝国側にとっては戦争で受けた損失の代償なのだからタダではなかろうという理屈なのだが)、これはたまったものではないだろうと同情してしまう。ちなみに、『参考書』内の「賠償金特別會計ノ設置ヲ必要トスル理由」なる項には、理由の一つとして、ドイツが賠償金の支払いを終えるまでに30年はかかるであろうから一般会計と切り離して取り扱うほうが便利であるという点が挙げられているから、この「召し上げ」は30年はつづく見込みであったのだろう。

 

『参考書』によれば、日本は、賠償物件の船舶の一部は現地で売却し、大部分は日本へ廻航して売却したり貸与したりして現金に換え、染料、薬品はほとんどを民間に払い下げるつもりであったらしい。この染料の払い下げの様子がまた興味深い。染料は大正10年2月から大正11年11月にかけ、20回にわたって払い下げられている。大正10年11月の第4回までは調子よくさばいている。予定払下価格も上回り、利益すら得ている。ところが大正11年2月の第5回から雲行きが怪しくなる。一度は予定価格に達せずに入札をやりなおしている。結局は予定価格より高く払い下げることができたのだが、大正11年3月の第6回からは入札しても随意契約としても予定払下価格を上回ることがほとんどなくなる。第16回(同年5月)の項では、予定払下価格を下回ってしまったが、輸入品であればとられるはずの関税がとられていないことを考慮すれば実質利益があがったといえるという苦しい言い訳をしている(ほかのところでは関税をとろうがとるまいが政府の歳入は同じだと言っているのに)。第7回(同年4月)の項にすでに「市場不況」の語が見え、政府もこの状況に鑑みて当初1マルク=3銭2厘換算で予定価格を定めていたものを徐々に下げ、最後は1銭1厘まで譲歩している。たった1年10か月ほどで恐るべき後退である。大戦景気の後の戦後恐慌とは話に聞いたことはあれども、このように当時の資料で語られると実に生々しく感じられる。もっとも、業界によって違いがあるのか、薬品のほうは予定払下価格を大幅に上回る価格で順調に買い手がついていたようである。

 

気づけば長々と感想文(かつ、専門家の著書を見ればより正確に詳述されているであろうことばかり)を書き連ねてしまったが、このように筆者の能力の及ぶ限りで『参考書』をひととおり読んでみた結果、賠償物件として書籍を得た、あるいはこの会計で書籍を購入したという記述は一切見出すことができなかった。

もちろん、本書を取得ないし購入したのはこの『参考書』以降のことであったという可能性はおおいにある。「国立国会図書館デジタルコレクション」に収める「第五十六回帝國議會ノ協賛ヲ經タル財政及經濟ニ關スル法律竝其ノ要綱」によれば、昭和4年(1929年)3月28日に賠償金特別会計法の改正法が成立している。その要点は、これまではこの特別会計の歳出は一次大戦に関する補償とその手続き、人件費に関するものに限定していたものを、「國際聯盟、移殖民事業、航空事業等ノ經費ニモ使用シ得ルノ途ヲ拓ク」ことであった。ここに「文化事業」なり「研究開発事業」なりが出てきてくれればよかったのだが、ともかく、この特別会計で戦争補償とは無関係の支出ができるようになったのであるから、書籍が購入された可能性もある。そして、同じく「国立国会図書館デジタルコレクション」に収める「第五十九回帝國議會ノ協賛ヲ經タル財政及經濟關係ノ法律竝其立法要旨」によれば「賠償金特別会計法廃止法律」が昭和6年(1931年)3月27日に成立しているから、賠償金特別会計でさまざまなものが購入できていたのは昭和4年度と昭和5年度(1930年度)の2か年ということになる。本書がこの時期に購入されたのであれば、昭和7年に東京帝国大学に入ったという事実とも平仄は合う。

 

現時点で筆者の想像は以下の2案である。

① 本書は昭和4年度~5年度のうちに、特別会計からの支出で購入された。

② 賠償物件としてドイツから引渡された。

筆者の気持ちは①のほうに傾いているのであるが、ドイツで刊行された資料であるということがひっかかり、②の可能性も完全には捨てきれずにいる。

それにしても、上のどちらであるにせよ、なぜ本書が選ばれたのかも不思議である。筆者は大正末から昭和初年にかけての日本におけるエジプト研究の状況はとんとわからない。しかし、特別会計から支出して購入したにせよ、ドイツから直接取得したにせよ、こうした研究資料が存在し、それは日本の研究者にとって有用であることを助言、主張した人物がいたはずである。またそれを理解し、実行に移した官僚がいたはずである。それはいったい誰なのか、どのような意図があったのか、いつか真相を知る機会があればと思う。

なお、先に白状しているとおり、本コラムは、筆者が全く無知なジャンルについて、目途し得たわずかな資料からつれづれなる感想をつらねたものであり、いったいどこまでゆくのやら、いまだ先は知れない。ここまで我慢してお付き合いくださった読者がいらっしゃれば、ぜひお知恵をお貸しいただきたいと切に願っている。情報をお持ちの方、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

…と、ここまで述べ来ったところで、やはり東大にはほかにも「大蔵省賠償金特別会計所属図書」の印が捺された書籍群があるらしいことがわかってきた。上に述べた通り、国書・漢籍の習慣とは異なり、そのことがOPACには登録されていないだけのことのようである。つまり、インターネットの世界をいったん抜け出し、書架をめぐり、書籍群を点検していくことでより多くの手掛かりがみつかる可能性があるということだ。

そんなわけでここでいったん安楽椅子探偵はお休み、筆者自身も書物の海へ旅に出ることにしたい。

事件はデジタル空間で起きてるんじゃない、書庫で起きているんだ!

September 22, 2022