“After you”の精神に基づく学問風土の醸成に向けて — オープンデータ化と学問のイノベーションへの期待 —

“After you”の精神に基づく学問風土の醸成に向けて
— オープンデータ化と学問のイノベーションへの期待 —

永井正勝(U-PARL特任研究員)


U-PARL特任研究員の永井です。

私の専門は言語学、文字論、人文情報学です。主な分析資料が中東の言語であるため、特にエジプトには学部生の頃より何度も訪れていますし、留学していたエルサレムの街は第二の故郷という思いでおります。

しかし、この8年間ほどはイギリスを中心とするヨーロッパの博物館で毎年資料調査を実施していることもあり、徐々に、ヨーロッパに惹かれています。特にロンドンに行くと、今年も帰ってきたな〜という懐かしさを感じるほどです。

イギリスの良いところは、まずはアイリッシュ・パブです。ロンドンには興味深いパブがたくさんありますが、実は地方のパブの方がご当地のカスク・エールが充実していることが多く、また地元の人とすぐに仲良くなれるため、地方でのパブ・クロールはとても魅力的です。しかし、今回は楽しいパブの世界は横に置いといて、イギリスのもう1つの良さである“After you”の精神について触れたいと思います。

“After you”とは、「お先にどうぞ」という譲り合いの精神です。ドアの前で互いに“After you”、人とかち合いそうになると互いに“After you”。“After you”が根付いているイギリスでは、車内で肩がぶつかったなどの理由で喧嘩をしている人を見たことがありません。たとえぶつかったとしても、互いに“Sorry”と声をかけあっているのでトラブルになりません。紳士の精神である“After you”が社会に浸透している土壌は、なんとも心地よいものです。

先日、東洋文化研究所で開催された第173回東文研・ASNET共催セミナーに出席してきました。講師はU-PARL特任准教授の冨澤かな氏です。タイトルは「人文学の「デジタル」の裾野を考える ——アジア研究図書館計画・宗教学・インド研究から——」でした。このセミナーで、東洋文化研究所助教の藤岡洋氏がコメンテーターを務められました。そのコメントで、ヨーロッパに行くと「なぜ資料を公開してくれないの?」と問われることがあるという体験が紹介されました。これを聞いて感じたのが、学問における“After you”の精神です。

人文学では文献資料を扱う研究が多いのですが、文献研究では、文献資料の実物を見るという行為そのものが研究の質を左右することがあります。それゆえ、新資料を入手した際には、自分が資料を見て成果を出さないうちは、他人に資料を見せたくないと思うものです。また、学問的な使命に基づき、翻刻(文字の判読)、資料(史料)批判、校合などの基礎研究を行わないうちは、資料を公開するのが恥ずかしいと感じられることもあるでしょう。

しかし、先の藤岡氏のコメントを聞いて強く思ったのは、「基礎研究>資料公開」という手順ではなく、「資料公開>基礎研究」という手順が人文学で浸透しても良いのではないか、という発想です。

幸いにして、学問を取り巻く世界では、オープンサイエンスが加速度的に進んでいます。オープンサイエンスを支える2大支柱の1つであるオープンアクセスはかなり浸透してきました。もう1つの支柱であるオープンデータについても、今後、加速度的に浸透していくことでしょう。それどころか、オープンサイエンスの精神は、学者が嫌だと思っても、避けることのできない構造として制度化されていくことでしょう。「資料公開>基礎研究」という手順の浸透も、近い将来に実現するかもしれません。

実際、「資料公開>基礎研究」という方向を達成されているグループもあります。その一例が「みんなで翻刻」です。

また、オープンサイエンスについては、「オープンサイエンス時代の研究データ管理」という無料のWeb講座が2017年11月15日に開講され、身近に学ぶことができるようになりました。

「基礎研究>資料公開」という従来の流れにおいて、基礎研究の方向づけは学者が決めていきます。というのも、資料に対するアクセス権を学者が握っているからです。それに対して、「資料公開>基礎研究」という流れは、学者が優先的に持っていた資料への半ば独占的なアクセス権がキャンセルされ、一般の方にも資料が開かれることを意味しています。その結果、従来の学問では思いもよらなかった考え方が生まれてくることが期待されるのです。つまり、学問のイノベーションへの期待です。

とはいうものの、データのオープン化は闇雲に行われるべきではなく、どのようなデータをオープンにすべきなのかが問われなくてはなりませんし(「オープンイノベーションに資するオープンサイエンスのあり方に関する提言」)、データ公開のフォーマットについては、二次利用を可能にする形式を模索する必要があります(「オープンデータとは(総務省)」)。

オープンサイエンスの動向が徐々に構造化されつつある現在、「データを出したらアイデアを盗まれてしまうのではないか」「相手に先を越されてしまうのではないか」というような自分中心の考え方を忘れて、“After you”の先にある、データ共有によるイノベーションの創造のことを思うと、大変に心地よく感じます。

この心地よい学問風土の醸成のために、人文学者の一人として、考え、行動していきたいと思っています。

2017年11月16日
文責・写真 永井正勝