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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

COLUMN

【アジア研究この一冊!】歴史学研究会編『世界史史料8 帝国主義と各地の抵抗1 南アジア・中東・アフリカ』

U-PARL特任研究員 須永恵美子


 アジアの研究を志そうとした時、第1の関門となるのはその多言語性であろう。

 例えば、パキスタンやインドなど、南アジアの20世紀初頭の独立闘争史を描きたいとする。政治指導者らが演説で使っていた言葉はウルドゥー語やヒンディー語、統治していたイギリス側の政府資料は英語、民衆の言語はパンジャービー語やスィンディー語やベンガル語やタミル語などなど、知れば知ろうとするほど、異なる言語で残された資料の読解が必要になる。

 いずれ大学院やその先で研究を進めていくならば、いくつかの言語に取り組む必要が出てくるだろうが、その前の段階では日本語で歴史の概要を掴んでおきたい。どんな史料があったのか知りたい、先行研究で必ず引用されるあの条文の全訳を知りたい、という時に便利なのが、この本である。

 本書は、岩波書店の世界史史料シリーズで、その名の通り、世界史のなかでも重要な史料を精選し、和訳したものである。同シリーズでは、古代から現代まで、日本からアジア、アフリカ、ヨーロッパに至るまで、各地の様々な性格の史料が取り上げられている。碑文や岩絵、パピルス文書、甲骨文字、年代記、交易の記録、外交文書、法令、条約、協定、講義、ファトワー、軍の日誌、書簡などが日本語訳され、その解説も附されている。

 第8巻の紹介文は次のとおりである。「18世紀後半から20世紀初頭、労働力や交易品を求め、ヨーロッパ諸国は競って南アジア、中東、アフリカに侵出。従属を強いられた地域では植民地支配への抵抗運動が起きると同時に、社会改革・近代化の動きも見られた。各地の動揺を、条約や議会文書、法廷文書、商人や探検家・宣教師の記録など、多様な史料でたどる」。こうした趣旨のもと、第1章では南アジア、第2章では中東、第3章ではアフリカの史料計200点が選定されている。

 

 近年、インドやパキスタンの都市部では、社会的上昇のために英語教育が必須であり、より良い私立学校を目指す「お受験」が加熱する一方である。英語熱の悲喜こもごもはボリウッド映画の『ヒンディー・ミディアムHindi Medium』や、『きっとうまくいく 3 idiots』でも描かれ、社会現象となっている。

 この現代のテーマに取り組もうと思ったら、180年以上前のイギリス人が書いた「インドの教育に関する覚え書き」を避けては通れない。これはインド政庁の役人であるマコーリーが、総督ベンディングに宛てた提言書である。当時、イギリス人の間では、インド人の教育言語について、現地の社会文化を尊重し、古典語であるアラビア語やサンスクリット語で教育を施すか、イギリス流に英語を使用するかで論争があった。マコーリーのこの覚え書きにより、インドの高等教育に英語を導入することが決定づけられたのである。

 本書には、覚え書きの和訳、書誌情報、和解説が載っている。特に役に立つのがこの解説で、マコーリーの覚え書き自体は非常に有名な史料のため、初学者向けの和書でも見かけるが、本書では当時の社会背景や覚え書きの意義付け、なぜこの史料が重要なのかが歴史学者の言葉で簡潔にまとめられている。
マコーリーの他にも、本書では「ベンガル・アジア協会の設立」(1784年)、「ウィリアム・ジョーンズによるインド・ヨーロッパ語族の発見」(1786年)、「サティー(寡婦殉死)の禁止に関する論争」(1830年)、「全インド・ムスリム連盟の創立」(1906年)など、南アジア関連で61点の史料が掲載されている。

 

 「世界史史料」シリーズでは、特にアジアやアフリカといった、非ヨーロッパ地域の史料を多く扱っている。第8巻でも、なかなか世界史の授業で時間が割かれない、ネパールやスリランカの政治を扱っている点が頼もしい。

 ほとんどの史料が原典から新たに翻訳し直されたそうで、翻訳や解説には530名の歴史研究者が携わっている。読み物ではなく、あくまで資料集であるが、眺めているだけでも世界史の幅広さを再認識できよう。

【書誌情報】 東京大学OPAC
・責任表示 歴史学研究会編
・ISBN: 978-4-00-026386-3
・出版地: 東京
・出版社: 岩波書店
・出版年: 2009年
・ページ数: 340+12ページ
・大きさ22cm

シリーズ全12巻は以下の通り。

1 古代オリエントと地中海世界
2 南アジア・イスラーム世界・アフリカ 18世紀まで
3 東アジア・内陸アジア・東南アジアⅡ 10世紀まで
4 東アジア・内陸アジア・東南アジアⅡ 10-18世紀
5 ヨーロッパ世界の成立と膨張 17世紀まで
6 ヨーロッパ近代社会の形成から帝国主義へ 18・19世紀
7 南北アメリカ 先住民の世界から19世紀まで
8 帝国主義と各地の抵抗 Ⅰ 南アジア・中東・アフリカ(本稿)
9 帝国主義と各地の抵抗 Ⅱ 東アジア・内陸アジア・東南アジア・オセアニア
10 20世紀の世界Ⅰ ふたつの世界大戦
11 20世紀の世界Ⅱ 第2次世界大戦後 冷戦と開発
12 21世紀の世界へ 冷戦の終結・湾岸戦争 日本と世界 16世紀以後

2021.9.28