【アジア研究この一冊!】陳国勤・張晏瑋著『東沙藤壺及海蛞蝓図鑑』

成田健太郎
U-PARL特任研究員

東京大学附属図書館では、海外の図書館と図書の国際交換を行っており、その一部はアジア研究図書館において受贈し、蔵書構築に活用しています。図書館を愛しアジア研究の発展に寄与いただいている海外の友人に厚く感謝いたします。

さて、台湾の国家図書館にも、毎年多くの図書をご寄贈いただいていますが、最近アジア研究図書館で受贈した本のなかから、標題の一冊『東沙藤壺及海蛞蝓図鑑』をご紹介したいと思います。

「東沙」とは、南シナ海に浮かぶ東沙環礁のことで、英語名を Pratas Atoll といいます。環礁のうち満潮時も水没しないのはごく一部で、その部分は東沙島と呼ばれます。東沙島には実効支配している台湾当局によって飛行場が建設され、2007年には環礁全体が台湾で7つ目の国家公園に指定されました。

「藤壺」とはつまりフジツボ、甲殻類のフジツボ亜目に分類される海棲動物の総称で、一方の「海蛞蝓」すなわち「ウミナメクジ」とは、英語名 Sea Slug の直訳で、和名ではウミウシとよばれる軟体動物の一分類群です。

『東沙藤壺及海蛞蝓図鑑』は、色とりどりのフジツボとウミウシがサンゴ礁の海に棲息する様子を美しい写真によって多数紹介しています。ド文系の筆者ではありますが、中央研究院における生物多様性研究の貴重な成果をご寄贈いただいたものと理解しています。

ところで、日々中国語を使って仕事をしている筆者ではありますが、フジツボの中国語名が「藤壺」であることははじめて知りました。それにしても、和名のフジツボとの関係は気になります。

そこで、倉谷うらら著『フジツボ : 魅惑の足まねき』(岩波科学ライブラリー159)というド文系でも読めそうな本をひもとくと、以下のような記述が見つかりました。

フジツボの漢字表記に、「富士壺」と富士の字があてられるようになったのは、おそらく鎌倉時代以降。紫式部が藤壺の宮からフジツボを連想したかは不明だが、源氏物語が書かれた1000年前、海のフジツボを表す漢字は「藤壺」だった。おそらく漢字と一緒に中国から藤壺という言葉が伝わり、海辺のFには藤壺という漢字があてられていた。台湾のフジツボ研究者ベニー・チャン博士に問い合わせてみると、中国語でフジツボは藤壶(または藤壺)と書くそうだ。(pp.69-70)

ここに見える「台湾のフジツボ研究者ベニー・チャン博士」、じつは『東沙藤壺及海蛞蝓図鑑』の著者陳国勤氏(Dr. Benny K. K. Chan)のことなのです。『フジツボ』にも、陳氏から提供されたフジツボの写真が多数掲載されており、世界のフジツボ研究者のネットワークには驚嘆させられます。「アジア研究この一冊!」の対象にはなりませんが、豊かな知とフジツボへの愛に満ちたこの一冊も、楽しく読了しました。

さて、上掲の倉谷氏の仮説に、歴史的仮名遣いでそれぞれ「ふじ」「ふぢ」と書き分けられる「富士」と「藤」とは、平安時代には同音ではなく、そののち中世(鎌倉~室町時代)の間に「じ」と「ぢ」がだんだんと合流していったという日本語学の知識を補って時系列に整理すると、こうなります。

1. 中国でフジツボに対する「藤壺」の呼称が成立する
2. 「藤壺」の語が日本に伝わり、「ふぢつぼ」と訓読みされる
3. 「じ」と「ぢ」の音が合流する
4. 新たに「富士壺」の字が宛てられる

日本人は中国から古来たくさんの知識を吸収してきました。フジツボの名もその一つだったのかもしれません。しかしながら中国学研究者のはしくれとしては、少なくとも1の中国における「藤壺」の実在を確かめない限り、気になって夜も眠れやしません。今回は手っ取り早く、U-PARLが2014年に購入して東京大学にて利用可能となった中国古典籍データベース「中国基本古籍庫」で検索してみましょう。

その結果、フジツボを意味すると思われる「藤壺」の用例は一件も見つかりませんでした。「中国基本古籍庫」は、紀元前から20世紀に至る中国古典籍(漢籍)を約1万種収録しており、そのカバー率は時代を遡れば遡るほど100%に限りなく近づきます。筆者の経験から言いますと、「中国基本古籍庫」に無い以上、平安時代やそれ以前に漢籍を通じて「藤壺」の語が日本に伝わった可能性は限りなく小さいと判断せざるをえません。

つぎに、2の日本における「藤壺」の受容は、筆者の専門外となりますが、手っ取り早く『日本国語大辞典』(第2版、小学館)を繰ってみますと、フジツボには「富士壺」の表記のみ付し、最も古い用例としては、岩川友太郎『生物学語彙』(1884)に「Balanus フシツボ属」とあるのを引いています。日本人が漢籍から「藤壺」の語を受容した痕跡をここから認めることはできません。『フジツボ』に引用されている江戸時代に発行された海棲生物の画譜『目八譜』(1845)や『梅園介譜』(1827-1849)には、「藤壺」の名のもとにフジツボの図が描かれており、『日本国語大辞典』により古い用例として補遺をせまるものではありますが、『フジツボ』には同時に以下のようなことも書かれています。

『目八譜』では普通のピンク色をしたアカフジツボを藤壺、白いアカフジツボを夕顔と呼んでいる。『目八譜』の他にも多くの貝類図譜の中で、藤壺、夕顔という呼び名が使われていることから、源氏物語の藤壺、夕顔にちなんで呼んでいたのかもしれない。(p.70)

さらに深読みすれば、すでに「じ」と「ぢ」が完全に合流していた江戸時代に、「富士壺」が「藤壺」と再解釈され、「夕顔」と対をなす雅な名称として命名しなおされたということもあるかもしれません。つまり上記とは真反対の、以下のような順序も仮説として検討すべきではないでしょうか。

1. 日本でフジツボの殻の形状に注目して「富士壺(ふじつぼ)」の呼称が成立する
2. 「じ」と「ぢ」の音が合流する
3. 源氏物語にちなんで新たに「藤壺」の字が宛てられる
4. 「藤壺」の語が中国へ伝わる

このような仮説を補強する論拠を筆者はなんら持ち合わせていませんが、じつは中国人も、近代には日本語からたくさんの新しい知識を吸収していました。日本人が西洋の概念を翻訳した「哲学」「帰納」「社会」「憲法」といった多くの語彙が、現代中国語に採りいれられたことはよく知られています。「藤壺」という中国語名も、じつは近代に日本から伝わった自然科学の新知識であったのかもしれません。

以上フジツボに関する2冊の本から、はからずも東アジアをめぐる知の往来に思いを馳せてみました。

【書誌情報】
陳國勤,張晏瑋作
ISBN:978-986-05-28343
出版地:臺北
出版者:中央研究院生物多樣性研究中心
出版年:2017年
133ページ
大きさ:21cm