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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

【水滸伝コレクション解題】

【水滸伝コレクション解題】

新刻全像水滸傳 二十五巻一百十五回

*本解題は、

東京大学附属図書館アジア研究図書館上廣倫理財団寄付研究部門(U-PARL) 2020₋2021年度協働型アジア研究「東京大学所蔵水滸伝諸版本に関する研究」成果報告集 pp.5-8

に掲載されたものです。引用の際は出処をご明記くださいますようお願い申し上げます。

(ページ数は原掲載書のものです)

(レイアウトは原掲載時と異なります)

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p.5

新刻全像水滸傳 二十五巻一百十五回

東京大学東洋文化研究所雙紅堂文庫蔵

請求記号 特:雙紅堂:小説:122-1~122-8

 

一帙八冊。刊本。長澤規矩也(1902―1980)旧蔵。水滸伝の文簡本系統に属する版本。通称「劉興我本」。

縦二十四・七×横十四・一センチ。

外題は「水滸傳」。

巻首題は「新刻全像水滸傳」。ただしこれとは首題が異なる巻もある。題名について詳しくは後述する。

封面なし。

第一冊:序、目録、巻一~三

第二冊:巻四~七

第三冊:巻八~十

第四冊:巻十一~十三

第五冊:巻十四~十六

第六冊:巻十七~十九

第七冊:巻二十~二十二

第八冊:巻二十三~二十五

表紙裏に長澤規矩也による「天下孤本\千葉文庫旧儲 南氏、文淵閣を経て\遂ニ予が挿架ニ帰す」と書き込みがある。本書は千葉掬香(1870―1938)の旧蔵であることが窺える。千葉掬香、本名は鑛蔵。歌舞伎座の創立者千葉勝五郎の子で、蔵書家としても知られていた。

第一冊は、まず序「敘水滸忠義志傳」が二葉ある。最後に「戊辰長至日清源汪子深書于巣雲山房」と清源(福建泉州)の汪子深による署名がある。ここから本書の刊行年は崇禎元年(1628)と推定される。

次に目録「鼎鐫全像水滸忠義志傳目録」が六葉ある。第六葉表の目録の終わりには「全像水滸忠義志傳目録終」とある。目録についての詳細は後述する。

第一冊の第九葉から正文巻一が始まる。

巻一首葉の第二・三行には、「錢塘 施耐菴 編輯」「富沙 劉興我 梓行」とある。通称はこの出版者に由来する。富沙とは福建の建陽であり、序に見られる清源も福建に属することを考え合わせる

p.6

と、本書は建陽で出版されたのであろう。

形式は嵌図式上図下文本。単辺、界線なし。内框は縦二十一・六×横十二・一センチ。各葉本文の上部中央に図がある。図は縦四・九×横八・七センチ。図の上部の框廓外に横八字の図題がある。図題に框廓はない。毎半葉十五行で、図の左右は各二行、行三十五字。図の下は十一行、行二十七字。版心は、上部に「全像水滸傳」とあり、単魚尾、巻数と葉数が記されている。

印章は次の五種がある。

「東洋文化研究所圖書」各冊とも表紙裏。

「南氏文庫」蔵書印主未詳。南氏は表紙裏の書き込みのものと同一人物と思われる。各冊とも第一葉表の右上。

「士倫曽蔵」長澤規矩也の蔵書印。第一冊は第九葉表(正文首葉)、ほかは第一葉表。いずれも右下。

「雙紅堂」長澤規矩也の蔵書印。第一冊は第一葉表および第九葉表、ほかは第一葉表。いずれも右下。

「静盦蔵書」長澤規矩也の蔵書印。各冊とも第一葉表の右下。

破損や虫損が多い。また巻四の末尾(おそらく一葉)が欠けている。

以下、先送りにした題名と目録に関して詳説する。

(一)題名にやや異同が見られる。巻首題は次の二種類ある。

「新刻全像水滸傳」巻一~三・五・六・十四~十九・二十二~二十五(計十五巻)

「新刻全像水滸志傳」巻四・七~十三・二十・二十一(計十巻)

違いは「志」字の有無のみである。両者の出方に極端な偏りは認められない。また各巻末葉の末行の表記は、次の三種類がある。

「全像水滸傳」巻一・五・六・十四・十六・十八・十九・二十二(計八巻)

「全像水滸志傳」巻八~十・二十(計四巻)

「新刻全像水滸傳」巻七・二十一(計二巻)

巻によっては表記がない。

(二)目録の版式が一葉のみ異なる。全六葉のうち、第二葉のみ界線がなく、ほかの五葉には界線がある。

(三)目録の回目と正文の回目の不一致が確認でき

p.7

る。例えば、目録では正文の第百十三回の分が欠落し、正文の第百十四・百十五回の回目が一つずつ繰り上がり、第百十三・百十四回として刻されている。つまり目録上では百十四回しかないことになる。このほか第三十五回の回目が、目録では「鄆哥知情報武松 武松怒殺西門慶」の七言二句だが、正文では「鄆哥報知武松 武松殺西門慶」(以上傍点筆者)の六言二句など、微細な違いが見られる。

(四)目録に書き込みが見られる。上述した第百十三回~第百十五回の不備を修正する書き込みがある。もとの百十二回と百十三回の回目の間に「◯」を付し、その上部欄外に「◯第百十三回」、欄内に正文の回目が書かれている。またもとの「三」「四」字の左に小さな丸がつけられ、その上部の空白に「四」「五」と書かかれており、正文と合致するように改められている。

最後に、本書と同じく文簡本系統に属する藜光堂本(東京大学総合図書館所蔵、解題参照)と比較してみる。両者は版式こそ少し異なるものの、上図下文のレイアウトはほぼ同じである。また目録は題名・回目題および既述した正文との不一致も含めて共通点が極めて多い。正文でも一致する箇所が多いことも鑑みると、両者は非常に親密な関係にあるといえる。一方で藜光堂本には本書には見られない独自の不備が多く確認でき、その大半は基となったテキスト(本書と同質と推測される)を写す際の人為的なミス(「微」を「獄」に作るような、似た文字の取り違えなど)に由来すると考えられる。したがって本書は藜光堂本より先に作られたと推定できる。

本書についてまとめると、多少の不備は見られるものの無難にまとめられた版本である。水滸伝は明末には広く流行しており、書籍を求める需要も高かったと推測される。したがって本書はその需要にいち早く応えるために、正確性を犠牲にしてでも速度重視で出版されたのではないだろうか。

(馬場昭佳)

 

〔参考文献〕

石崎又造「水滸傳の異本とその國譯本(一)」、『圖

p.8

書館雑誌』一五八号、1933年

石崎又造「水滸傳の異本とその國譯本(二)」、『圖書館雑誌』一五九号、1933年

丸山浩明「水滸伝簡本浅探――劉興我本・藜光堂本をめぐって――」、『日本中国学会報』第四十集、1988年

馬幼垣「嵌圖本水滸傳四種簡介」、『漢學研究』6卷1期、1988年(『水滸論衡』聯經出版社、1992年所收)

鄧雷「建陽刊嵌圖本《水滸傳》四種研究」、『中國典籍與文化』2017年2期