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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

COLUMN

高郵への旅

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旅行で南京に逗留していたとき、ちょっと変わったところへと、日帰りで高郵を訪れたのは2009年の大晦日。中国は新年を旧暦で祝うので、12月31日とは言ってもただの平日である。

中国学研究者であれば、高郵と聞いてすぐにピンとこなくても、王念孫・王引之のふるさとと聞けばたいていの人が「ああ~」となるのではないだろうか。中国清時代には、清朝考証学とよばれる実証的学問が盛んになったが、王念孫(おう・ねんそん、1744-1832)・王引之(おう・いんし、1766-1834)父子こそはその代表選手である。彼らは中国古典に今風にいえば言語学的な分析を加え、その真意を解きあかし、近代的な文献研究の土台を築いた。念孫による『広雅疏証』23巻、『読書雑志』82巻、引之による『経義述聞』15巻、『経伝釈詞』10巻は、現代の中国学研究者にとってもなくてはならない読書の指針となっている。

中国の伝統的な著作(漢籍)には、著者の名の前にその本貫(本籍地)を記す習慣があり、これらの著作を手に取ったことのある人ならば、王氏父子の名を高郵という町の名とセットで記憶している、というわけだ。20世紀の碩学吉川幸次郎(1904-1980)も、高郵の王氏旧居を訪れたことを随筆に記しているが、インターネットでちょちょいと調べてみると、その王氏旧居は「高郵王氏紀念館」と名を改めて健在であるらしい。清朝考証学の「実事求是」(「論より証拠」みたいな意味)の精神に学ぶ研究者のはしくれとして、これは行かずにはいられない。

南京から長距離バスに揺られ、高郵に着いた。何の変哲もない地方都市である。観光客の多い都市であれば、バスターミナルの周辺に地図の売り子がうじゃうじゃいて、ある意味便利なのだが、高郵に観光に来るのはよほどの考証学マニアくらいなのか、地図は手に入らない。市内を走るバスも、どの路線に乗ればよいかすぐに分かるとは思えない。そこで、道行く人に「王氏紀念館怎麼走?(王氏紀念館はどう行けばよい?)」「有公交車嗎?(バスはあるか?)」「能走過去嗎?(歩いて行けるか?)」といった質問をぶつけつつ、町をぶらぶらしはじめることにした。それにしても、第一の質問に対して「不知道(知らない)」との答えが一定数返ってくるのはどうしたことか。市政府は市民に王氏父子の偉業を周知する政策をなぜ実施しないのか。

そんなこんなで、結局小一時間ほど歩き通して、王氏紀念館に到着した。紀念館は王氏旧居を改装したもので、こぢんまりとした質素な煉瓦造りである。そのうち一棟が展示室になっており、王氏父子の生涯と業績を掲示するとともに、ガラスケースにはマニア垂涎の手稿本が惜しげもなく……と思いきや、ふつうに出まわっている本のゼロックスコピーばかりであった……

IMG_1947王氏父子の著作のゼロックスコピーによる展示。紫外線の紙に対する劣化作用が学べる。

屋外(もとの庭)には王氏父子の銅像が鎮座しているのだが、その脇ではなぜかおばさま方が野菜を切っている。この館の管理人というわけでもなさそうである。館にはそもそもスタッフを置いていないらしく、入館するのにチケットももぎりも何もあったものではない。彼女らは「おキヨちゃん(仮名)や、王氏紀念館へ野菜でも切りに行かんかね」などとお誘い合わせの上の常連さんなのだろうか。

IMG_1928王氏父子の銅像。後ろに立つ方が子の王引之。親子だけあってよく似ている。

IMG_1953王氏旧居の庭の様子。父子像のそばに近所のおばさまとその荷物が見える。

王念孫・王引之の学問が大きな実を結んだその場所には、今も父子が寄り添い、毎日近所のおばさま方の四方山話を聞いていると思うと、なにやら不思議な気分である。中国の地方都市のなかには、地元出身の偉人を前面に推し出しすぎて、なんだかなあという感じになっているところも少なくない。王氏紀念館には、もちろん最低限の保守はあらまほしいけれども、これからもこのひっそりとしたたたずまいを保ってほしいと願う。

U-PARL特任研究員 成田健太郎