コンテンツへスキップ

東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

COLUMN

事件は満月の夜に……

特任研究員 荒木達雄

 

 本日、2022年2月15日はちょうど旧暦一月十五日にあたる。一月十五日といえば元宵節、中華圏ではいまも盛大に祝われている。日本でも「ランタン祭り」として知られるように、この日を中心とした前後数日は様々に趣向を凝らした灯籠が飾られる。
 ご存じの方も多いだろうが、旧暦は月の運行を基準に月を定めており(わかりにくいですね。前者の月が“moon”、後者の月は“month”です)、毎月一日は必ず新月になる。ゆえに元宵節は一年で最初の満月のお祭りである。一般にこのお祭りをもって正月の一連の行事は終わりと考えられている。

現代の元宵節。その年の干支をテーマにしたものが多い。2015年未年台北
2016年申年台北
2016年申年金門、2018年戌年台南

 さて、この元宵節、文芸作品にもたびたびとりあげられている。そのなかで今回は、筆者がかつて修士論文執筆のために読んでいた明代(1368-1644)の通俗小説に現れる元宵節描写に注目する。これらのなかには、ストーリーのもっとも重要な出来事が元宵節に発生するものもあれば、元宵は物語のごく一部分にすぎないものもある。本稿ではストーリー全体を追うことはせず、元宵節の場面のみをひろいあつめることにする。ストーリー全体が気になるというかたがあれば、ぜひ原作にあたっていただきたい。

 まず、馮夢龍編著の短篇小説集『古今小説』(1621年ごろ刊行)巻四「閒雲菴阮三償冤債」の元宵節。時は北宋(960-1126)末の洛陽、元宵は国家の役人から下々の者までわけへだてなく楽しむ祝賀行事、道という道に灯籠が掲げられ、銅鑼や太鼓の音が喧しい。商人の子ながら雅な文芸、音曲に通じた(上層階級の嗜むべき文学、芸術は庶民とは異なるというのが旧社会の常識―建前―である)風流青年・阮華は、この夜を楽しむべく友人を呼び、楽器を奏で、歌をうたい、灯籠を鑑賞し、月をめでた。その音を聞いたのが向かいに住む陳太尉のお嬢さま。灯籠見物を楽しみ、もう休もうかというときに耳にした音楽と歌声に心動き、侍女に様子を見に行かせる。それ以来向かいの阮華が気にかかり、寝も寝られぬ。とうとう侍女をお向いにやり、大切な指輪を渡して気持ちを伝えさせた。以来、阮華のほうも朝な夕なに思うは陳のお嬢さまのことばかり。しかし相手は深窓の御令嬢、会うのはおろか、言伝もままならず、とうとう病に臥せってしまう。
 元宵のお祭り気分が身分違いの男女を引き寄せてしまった…という物語である。

 次も同じ『古今小說』から、第二十三巻「張舜美燈宵得麗女」。ここでは、マクラと本篇の双方に元宵の描写がある。
 マクラの舞台は北宋末、徽宗帝の世、都の汴梁(開封/東京)。元宵の時期になると朝廷の許しのもと臨時の市が立てられ、灯籠が飾られ、人々は繁栄を謳歌していた。とある役人の息子、若く、見目麗しく、未婚の十八歳、張生は寺に灯籠見物に赴いたところ、香り袋が結びつけられた赤い絹のハンカチを拾う。ハンカチには、これを拾った方は来年の正月十五夜に会いに来てほしい、としたためられていた。翌年の元宵、張生は約を違えず寺にやってきた。果せるかな、あのハンカチに書かれていたとおりの灯籠を下げた車がやってくる。張生と車中の婦人は詩を交わし、昨年の絹のハンカチがつないだ仲であることを知ったが、車はそのまま張生を置いて去っていった。翌日同じところで待っていると、同じ灯籠をかけた車が現れる。しかし中にいるのは昨日の婦人ではなく女道士で、ついてこいと手まねをする。ついていったさきは寺。ここでも灯籠を飾り、宴を開いていた。そこで女道士が道服を脱ぐと、これこそかの婦人。二人は二年越しの出会いを遂げたのであった。
 本篇の舞台は杭州、科挙のためにやってきた張舜美なる男。もちろん才覚すぐれ、美男で、独身である。試験に合格できずぐずぐず居残るうち、元宵も間近。にぎやかさに心ひかれ街へ出た。祭りのうかれた雰囲気に即興の詞を口ずさみながら道を行けば、きらびやかな灯籠の光のうちから現れいづるはあでやかなる令嬢。目と目が合うや、双方とも心は乱れ、目は眩み、足どりもおぼつかぬ。しかしただの一言も交わさぬまま互いを見失った。あくる朝、舜美が街へ出ると、あにはからんや、人ごみの中から現れたのはかの令嬢。相手も舜美に気づき、にっこり微笑むと、その着物の袖のなかから転げ落ちたのは「同心方勝」(布や紙で作った飾り物。ふたつの菱形を組み合わせた形で、愛情の印としても用いられる)。舜美が拾い上げ開いてみるとそこには手紙……。舜美は翌十五日、手紙に導かれるままにある屋敷を訪れると、そこにはあの令嬢・劉素香が待っていた…。二人は駆け落ちすることに決め、夜、家を出た。町の内外を隔てる城門は、入る人、出る人、押し合いへし合い。つないでいたはずの手が離れ、ふたりははぐれてしまった……。

 次の巻にも元宵が描かれる。巻二十四「楊思溫燕山逢故人」。まず描かれるのは北宋の都・汴梁はなやかなりしころの元宵のまつり。街には灯籠を積みあげた大きな飾り、音曲は絶えることなく、皇帝も街へ出て民とともに楽しむ。ところがその繁栄も北方の女真族により断ち切られた。場面は汴梁が陥落したあとの時代、女真族統治下の燕山(現在の北京附近)へとうつる。燕山でも元宵には灯籠の櫓が組まれ、貴賤問わず見物にあつまる。かつて北宋の皇族に仕えていた楊思温は、北宋滅亡の混乱でこの地に流れ着いた。かの汴梁の元宵を思えばこのような鄙びた地の元宵など…とは思うものの、気晴らしに人があふれかえる街へと出た。ふと、きらびやかに輝く寺が目に入り、足を踏み入れる。そこへ婦人の一団が参拝にやってきた。そのなかのひとり、どうも汴梁の人のように見える。どうにも気になり、ふたたび参拝に現れないものかと翌日も寺を訪れる。なんとこの婦人こそ誰あろう、兄弟の契りを結んだ兄貴分・韓思厚の妻にして同郷の人、鄭意娘であった…。

*      *       *

 やはり馮夢龍の手にかかる短篇小説集『警世通言』(1624年刊行)にも元宵の描写が見られる。
 巻十六「小夫人金錢贈年少」。場所はやはり北宋の開封。兄弟づきあいの仲である張勝と王二哥が連れ立って灯籠見物に出かけると、ちょうど皇帝下賜の御酒がふるまわれ、にぎわいの盛り。この人ごみでは灯籠が見えぬ、ほかにも立派な櫓を組んだお屋敷があるから場所を替えようと歩いて行ったが、そこもやはりたいへんなにぎわい。人ごみのなかで二人ははぐれてしまう……。

 同じく巻三十八「蔣淑真刎頸鴛鴦會」。朱秉中という男は、夫のある婦人に横恋慕していた。元宵の時期になり、めでたい季節のお祝いにかこつけてその家を訪ねると、うまい具合に夫は遠方へ商売に出ていて不在。しかし婦人はひっきりなしに訪れる来客の対応に暇なく、灯籠見物の夜に会おうと約して出てくるしかなかった。十三日の夜は町中で銅鑼や太鼓が鳴り響き、楽器が奏でられ、道には歌い踊り練り歩く人々、見上げれば煌々ときらめく灯籠。朱秉中が街へ出ると、かの婦人も門前にて甘ったるい声でなまめかしく応じる……。

 これら元宵の出来事に共通することを簡単にまとめてみると次のようになろう。
(1)男女の出会い、(2)男女の密会、(3)意外な人物との遭遇、(4)同行者を見失う
 なぜこのような事件が起きるのか。この5つの物語では、元宵節の灯籠まつりには貴賤の別なく、老若男女問わず、街へ出てめでたき日を夜通し楽しむといった文句が繰り返し現れる。普段街へ出ないような人々も街へ繰り出す。そこに、日常であれば接触し得ない人との出会いの可能性が生まれ得る。
 「普段街へ出ない」人々には深窓の令嬢も含まれる。旧社会では高貴な身分の婦人はめったなことでは外へ出ない。それは街へ出てはたらく必要がないからであると同時に、しかるべき相手にめあわせるまで外界との接触を断つためでもある。ここに、かの、纏足という、足の成長を力づくで止め、一人では長い距離を歩けぬようにするという風習が受け入れられる余地が生じる(もちろん、女を縛り付けておきたい男が受け入れ、受け入れさせるのである)。そのような籠の鳥のお嬢さまが外の空気を吸う数少ない機会、それが元宵節の灯籠見物……と、少なくとも物語の編著者である馮夢龍は考えていたことがうかがえる。男女のロマンス、わけてもお嬢さまの恋を描きたくば、理に適った場面設定の選択肢はそう多くはないということなのだろう。そして同時に、というべきか、逆に、と言うべきか、滅多に街へ出ないお嬢さまが、ただならぬ人混みにもまれることで別離のストーリーの舞台ともなるのである。
 ただし、家を出て外の空気を吸うと言っても、侍女たちにかしづかれて外出する貴婦人、御令嬢はよその男と直接口をきくものではないというルール(常識)も見てとれる。ゆえに、侍女に言伝をさせたり、絹のハンカチにメッセージを書いたり、飾りに手紙をしのばせてわざと落として拾わせたり、出家者に変装して手招きしたりと…遠回しなことをしなければならないのである。そして家族以外の男女が居合わせても納得できる数少ない場として用意されたものが、道観、仏寺である。
 以上は、まったく小説の描写から読みとった背景である。馮夢龍の小説には、昔から伝わる素朴な話――素朴なだけに実話であった可能性も考えられる――を軸に加筆、再編集してつくられたものがある一方、ほとんど創作にかかると考えられるものもある。個々の由来に違いはあれど、おおむね編著者によるフィクションが大部分であると見て大過ない。本当にハンカチにメッセージをしたため、まだ見ぬ貴公子が拾ってくれるのを待つなどという令嬢が存在したものかどうか、それはわからない。馮夢龍は道徳観念に縛られた表面的なよい子よりも、「真情」、心の奥から湧き上がる情動に素直であることを称賛した人であるから、現実に存在し得る以上に積極的な――むしろ無謀な――行動をとる豪胆なお嬢さまを作り出したのかもしれない(これも男の側から見た理想、いや、夢想の女の「真情」ではある)。加えて、これは多くの人が思うことだろうが、向かいに住む気になる歌声の主が、ハンカチの拾い主が、そう都合よく妙齢の、才覚すぐれ、容貌麗しき未婚の男などということがあるものか。
 しかし、小説に描かれたストーリーがフィクションならばすなわち舞台設定も偽りだということにはならない。筆者は、上にとりあげた作品は、基礎の基礎の部分は、少なくとも都市に住む、生活にある程度ゆとりのある読者の人々にとってはリアルに感じられる設定であったと思う。元宵とは……、公共のものはもとより、家々も競って灯籠飾りを出し、夜中まで煌々と明るく、いたるところに音曲演芸、解放感にあふれ、上の者も下の者も老いも若きも男も女も街に繰り出し、この日とばかりに普段は街で遊べぬ人々も現れ、街中に人々が満ち、雑踏で足の踏み場もなく、灯籠は見えず目に入るは人の頭ばかり……そんな光景を共通して脳裏に描き得る人々である。フィクションのストーリーを自然に読者に受け入れてもらうには、舞台設定はむしろ読者が余計なところにひっかかりを覚えない程度にリアルでなければならない。そうであればこそ、虚構であるはずの小説、戯曲が過去の社会を考えるよすがともなり得るのである。創作者が出会いと別れにまつわる“事件”を起こしたければ………元宵の非日常空間に頼るのは必然であったろう。
 もちろん、元宵が唯一の非日常であったとは思われない。街が人であふれにぎわう日、高貴な夫人が外出できる日等等はほかにもあり、それを舞台とする創作物も存在する。ただ、元宵の灯籠の輝きのまばゆさが読者である私の目まで奪い、強い印象を残すのだろう。

現代も灯籠祭りは雑踏となる。2015年台北
廟にも灯籠飾り。2016年金門

*      *       *

 さて、馮夢龍は「真情」を重んじた人ゆえ、上に挙げた物語も愛憎劇に偏りがちであったが、最後にもうひとつ、別の意味で元宵という舞台装置を活用した物語を掲げておこう。『水滸伝』である。

 人殺しの罪で指名手配となり、各地を逃亡していた宋江。旧知の仲であり、清風鎮(鎮は小規模の町を表す行政単位)に武官として赴任している花栄のもとに身を寄せた。実は清風鎮へ到着する直前、山賊につかまり身ぐるみはがれ、殺されそうになったのだが、かの有名な山東の宋江だと正体が知れるや盗賊どもは却って平服。盗賊の砦で数日過ごすということがあった。清風鎮に到着し、花栄の下にも置かぬ歓待を受け、ようやく人心地つき、のんびり過ごすうちに季節ははや元宵。清風鎮でも家々が灯籠を掲げ、芸人たちは演芸の準備に余念がない。宋江も灯籠見物に出ることにした。花栄は公務ゆえ付き添えず、使用人をお供につけた。町中を歩き回り種々に趣向を凝らした灯籠を見物し、あるお屋敷の人だかりにまぎれて演芸を見物していると、あの山賊の親分を捕まえろ、との声が聞こえる。慌てて逃げだすも、あっという間にお縄頂戴と相成った。これがきっかけとなり、武器を携えての小競り合いにまで発展することになる。巻三十三「宋江夜看小鰲山 花榮大鬧清風寨」に描かれる元宵の事件である。

元宵に灯籠見物をする宋江
東京大学アジア研究図書館デジタルコレクション「水滸伝全本三十巻」[E46386]より。画像番号[E46386-01-23]

 これはどう贔屓目に見ても宋江がよろしくない。指名手配犯であることもさることながら、すぐそばの山賊の砦で山賊たちのもてなしを受け、そのさまを山賊につかまって引き立てられて来た人物にも見られているのである。その時、宋江は山賊を諭し、この人物を逃がしてやった。この人物が実は花栄と仲の悪い高官・劉高の妻で、灯籠見物中の宋江を見るや、「あれは山賊の親分だ」と夫に告げたのである。『水滸伝』では、「命の恩人を密告するとはなんたるあばずれ」と、もっぱらこの劉高夫人を非難するのであるが、客観的に見れば宋江の軽率さのほうがよほど問題である。これもまた、元宵のお祭り気分は人をして警戒心まで解かしめ、ついうっかり軽はずみな行動をとらせてしまう、という“リアル”が著者と読者との間に共有されていたということなのであろうか。ただし、これまでとりあげた作品はみな北宋、南宋時期を舞台としているけれども、作品として完成し世に問われたのは明代であるから、この“リアル”には明代の“リアル”が大きく影響していると考えたほうがよい。舞台が戦国時代であろうが江戸時代であろうが、現代の人情や感覚が投影されている現代日本の時代劇と同じことである。

 元宵の大事件といえばもうひとつ外せないのが巻七十二「柴進花簪入禁院 李逵元夜大鬧東京」である。すでに梁山泊には宋江を頭に百八人の豪傑が居並び、勢い当たるべからずという有様であった。そんななか宋江は都の汴梁へ灯籠見物に行きたいと言う。いったい何を言い出すのか、以前ひどい目を見たのを忘れたのかと思うが、梁山泊の面々は粛々と準備を進め(こういう上司に仕えると苦労しますね)、宋江以下数人、お祭り騒ぎの都城にもぐりこむことに成功する。この灯籠見物の旅では、柴進が宮中に潜入することに成功し、宋江たちは徽宗皇帝の贔屓の妓女・李師師との初めての面会に成功するなど、大きな成果もあったが、最後には短気で乱暴者の李逵が騒動を起こし、官軍が出動し、梁山泊からも救援の軍勢が駆けつけてにらみあい…という一触即発の危機を引き起こす。宋江たちはいちはやく危地を脱し梁山泊へ駆け戻る。残された李逵は官軍と一勝負してやろうと武器を手にとるが、宋江がお目付けに残した燕青に押しとどめられ都城を離れる。このあとしばらくは李逵が主役となる話がつづく。これは、李逵が梁山泊を下り、宋江ら豪傑たちと離れて自由な行動をとる場面を用意するべく元宵節というイベントを利用したのであろうと思う。李逵は『水滸伝』が現在の形になる以前から有名なキャラクターで、李逵を主役とする物語も多数存在していた。その、李逵が活躍する有名なストーリーを、読者サービスになんとか『水滸伝』にも埋め込んでやろうと編纂者が工夫した結果がこの形なのではないか。このことは博士論文「百回本『水滸傳』の編纂方針」にも書いた。

 友との出会いや別れも、令嬢の恋も、豪傑の大暴れも、元宵は創作者にとって恰好の舞台装置であったと言えそうだ。


*本稿はあえて創作物、文芸作品の元宵描写のみをとりあげたが、より実情に近い元宵のさまを知ることができる文献も数多くのこっている。アジア研究図書館、総合図書館開架では以下の資料が利用できる。
☆アジア研究図書館
[1-01 J:東洋文庫:598] 孟元老著・入矢義高、梅原郁訳注『東京夢華録 : 宋代の都市と生活』(東洋文庫598)、平凡社、1996年
[1-01 J:東洋文庫:674.1-3] 呉自牧著・梅原郁訳注『夢粱録 : 南宋臨安繁昌記』(東洋文庫674)、平凡社、2000年
☆総合図書館
[222.05:Mo11] 孟元老著・入矢義高、梅原郁訳注『東京夢華録 : 宋代の都市と生活』、岩波書店、1983年

**U-PARLが購入し、本学関係者向けに提供するオンラインデータベース「中華経典古籍庫」でも、孟元老撰・鄧之誠注『東京夢華錄注』(「中國古代都城資料選刊」、中華書局、1982年)、孟元老撰・伊永文箋注『東京夢華錄箋注』(「中國古代都城資料選刊」、中華書局、2007年)、闞海娟校注『夢粱録新校注』(巴蜀書社、2015年)、孟元老撰『東京夢華錄』(「全宋筆記 七」、大象出版社、2019年)、耐得翁撰・湯勤福整理『都城紀勝』(「全宋筆記 十三」、大象出版社、2019年)、西湖老人撰・黄純艷整理『繁勝録』(「全宋筆記 十三」、大象出版社、2019年)、呉自牧撰・黄純豔整理『夢粱録』(「全宋筆記 十四」、大象出版社、2019年)、周密撰・范熒整理『武林舊事』(「全宋筆記 十五」、大象出版社、2019年)など、かつての都市の様子や年中行事を記した資料を多数閲覧することができる。

February 15, 2022