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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

COLUMN

【アジア研究多士済々】鴨下 顕彦 先生(アジア生物資源環境研究センター)

鴨下顕彦先生

アジア生物資源環境研究センター地域資源評価研究室准教授

アジアの人々とむすぶイネ研究

 

 

「アジアの人々との出会いが研究につながっていった」

― ご著書(共著『よみがえれ!科学者魂』)では、中学生のころにエチオピア大飢饉に関する報道をご覧になったことを「日本の時代と環境を相対化」した最初の経験として挙げていらっしゃいますが、その後農学、特にイネのご研究に進まれた経緯をお聞かせください。

学生時代、農学がバイオとか生命科学、いわば第二生物学のような方向に向かう流れがありました。勉強と食料問題がリンクせず鬱々としていましたが、当時の東大の指導教員の石井龍一先生にご相談して、オーストラリアのクイーンズランドに留学する機会を得ました。そこで、農業が社会の中で産業として力強く回転している国では、第二生物学とは違った発想が必要だな、この分野は確かに必要だなと思うようになったわけです。クイーンズランド大学の指導教員で東大の先輩でもある深井周先生に、例えば東南アジアで研究ができるかと聞いたら、割と簡単に「できるよ」と言われて、フィリピンのIRRI(国際稲研究所:International Rice Research Institute)でポスドクを3年間やりました。オーストラリアでもタイやラオス、カンボジア、あるいはインドネシアの留学生と会う機会がありましたし、フィリピンに行ってからは、IRRIに来るアジアやアフリカの人々との出会いがありました。

― 東南アジア・南アジアをフィールドとして研究されていますが、いままで対象とされた国や地域はどのあたりになりますか。

フィリピンにいたときにタイと、その後カンボジアに縁ができて、その後、ベトナムとインドが加わったという感じです。カンボジアには2003年に深井先生がオーガナイズしていた国際会議に数日間参加したのが始まりでしたが、カンボジアの研究者と立ち話しをしたら、あなたがカンボジアに来て何かやってくれるなら歓迎したい、というふうに言ってくれました。じゃあ行ってみようということになって、カンボジアでも仕事を始めました。そのときは東大の農場にいましたが、たまたま修士あるいは博士の学生で、2年、3年現地に行ってやろうという人もいて、学生といっしょにやったという感じでした。今、その一人は北農研、もう一人はJICAで仕事をしています。そのうち今度はベトナムから博士課程の留学生が来てくれまして、カンボジアとベトナムのどちらをフィールドにしましょうか、と話をしていました。当時、農学生命科学研究科長の林先生からカンボジアに詳しい弁護士の桜木和代さんを紹介され、お話を伺ったり一緒に現地訪問もしたのですが、彼女は過去のカンボジアとベトナムの戦争の歴史をよく知っているので、ご心配をいただいたのですが、ベトナム人留学生はカンボジアの農村で、現地の技術者・研究者・農家さんたちと、とても仲良く、熱心にやってくれました。そのベトナムの学生は卒業後もコンタクトをとってくれて、彼女の後輩がまた博士をやりに来てくれるというサイクルができて、ベトナム北部の紅河デルタでも仕事が始まるということになりました。出会いが研究対象地域の広がりに繋がっていったという感じです。

「3日間食べられなかった経験はあるか」

― カンボジアという国を長く見てこられ、また人々と接してこられたうえでの印象や思いをお聞かせください。

CARDI(カンボジア農業開発研究所:Cambodian Agricultural Research and Development Institute)のオーク・マカラ (Ouk Makara) 所長は、実はオーストラリアのクイーンズランド大学の深井先生のところの学友で、一緒に勉強した仲間でもあるのですが、彼に「3日間食べられなかった経験はあるか」と聞かれたことがありました。彼は1960年代生まれですので、ちょうどポル・ポト時代に少年期を過ごしているんですね。その彼に食べ物がない経験をしたことがあるかと言われたことが心に残っています。彼の上の世代は知識人に対する粛清で殺されているので、40代で若くして偉くなっています。アジアセンター(アジア生物資源環境研究センターの略称)が学術振興会のアジア・アフリカ学術基盤形成事業で、どこでセミナーをやろうかと議論していた時、私はカンボジアがいいんじゃないのかなと言って、CARDIのマカラさんにホストとしてやってもらいました。やはりカンボジアという国は小さい国で、その小さい国に、どれだけ多くの日本人が関心を持っているかわからないですけど、そこでの歴史とか農業復興・発展のための活動があり、今も続けられていることを、アジアセンターや東大のメンバーや日本の一般の人たちにも、知ってもらいたいという気持ちがあります。

― ご著書ではコンピンプイ地区のユニークな伝統農法について書かれていますが、詳しくお聞かせください。

稲にはいろんな植え方があって、田植えと直播の両方が可能ですが、カンボジアの北西部、コンピンプイ地区を含むバッタンバン州などは、直播の文化です。直播は田植えをしないので、労力は少なくて済むんですけど、何しろ雑草の種とイネの種が一緒に競争するので、競争力の強い雑草が覆ってしまいます。そうすると雑草と稲が混然となった状態になってしまいますが、コンピンプイの人たちは、半倒しにする農法を使います。つまり犂で表面の土だけをひっくり返し、稲がまだ緑の若いステージで、稲も雑草も倒してしまいます。雑草は、半倒しになった稲に覆われて枯れてしまいますが、稲は雑草より根が深いので完全には倒れない、それを利用するわけです。生態学的に理にかなっているのは、晩生の稲品種、つまり晩稲(おくて)を使っている点です。カンボジアやタイでは晩稲の収穫時期が11月の後半とか、中には12月中旬で、すごく作期が長いんです。だいたい8月、9月に半倒しにしますが、もし9月に半倒しにした後、11月収穫の稲だと、再生期間というのが1ヶ月半くらいなので、その間に倒れた状態から立ち上がってくるのはなかなか大変で、どうしても収量が減ってしまうんですが、これが12月収穫だと3ヶ月近くあることになるので、そうすると倒れた稲が元気よく再生することができるわけです。考え方によってはこの農法は持続可能で、非常に植物生態学的に理に適っていて、面白いなと。ただ国の産業化を推進するという観点からすると、生育期間を短縮できる早生品種を奨励して、除草剤を使い、灌漑をフルに活用した稲の二期作体系を構築する、という仕方で、農業開発を進めるので、そのようなかたちに変わって行くんだと思うんですが、コンピンプイの地域で生きている人たちにとってみると、どうしてそうしなくちゃいけないのかなっていう疑問は出てくるじゃないかなと思いますし、新しいシステムが仮に優れているとして、新しいシステムに移行する場合、新しい農作業の仕方にも習熟できるための配慮が必要でしょう。

― こうした伝統的な農法というのはカンボジアの農学研究者の間では話題になることはないのでしょうか?

ないんです。というのは今のカンボジアの農学の守備範囲に、文化的な価値を保存するというところまでは入れられないんですね。日本の農学だと多面的機能が大事だという一定の共通認識はあると思います。農業というのは食料生産以外にも、例えば、地下水を涵養したり、子どもの教育に役立ったり、夏の気温を下げるとか、文化の継承や景観の維持とか、いろいろな機能があって、日本や先進国だとそれを多面的機能とか、生態系サービスとかいう言葉で積極的に評価しています。一方カンボジアだと、マカラさんと話をしても、どうしたら収量を増やし農家の収入を増やして、社会を安定させて、売れるコメも作って国を豊かにしていけるのかっていうところに、高い優先順位があります。1990年から2000年は内戦の後の復興のための食料の自給、2010年からは米の輸出による経済成長が重要な課題です。実際その通りだと思うのですが、それに加えて小さい働きでもいいので、伝統農法の価値も見直されると良いように思います。

「カンボジアからも留学生が来てくれました」

― 内戦や知識人に対する粛清によって、農業技術に関する知的財産が失われたことも書かれていますが、そのような困難を克服しようとしているカンボジアの農業のこれからについて展望・期待をお聞かせください。

CARDIのマカラさんなんか本当によく働いているので、彼の健康が壊れなければいいなと思いながら見ています。実際、カンボジアの統計を見てみると、米の収量と生産量が延び、輸出も増え始め、良い方向に進んでいるんじゃないのかなと思います。ただ、国道が整備されて、その周りに中国資本の繊維工場や、キャッサバをエタノールにする韓国資本の工場が建ち、風景が変わってきています。急速な開発が、社会の歪みや環境に対する過大な負荷をもたらさずに、進んでいけばいいなと思います。カンボジアの香り米は、近年国際的な賞をとったりして、優良米として認知されてきています。
今までなかなかカンボジアから留学生を取れなかったんですけど、いま1人、王立プノンペン大学卒業の修士の留学生が来てくれています。留学生の教育・大学院レベルの研究を通して、卒業生を送り出せればと思っています。

― アジアをフィールドとして研究をされるうえで、社会科学・地域研究まで広範囲にわたる必要な文献をどのように入手されていますか。

日本でも情報発信されている方がいますので、そこから取り入れて学んだりするという感じです。東大だと多分野にわたる多くの研究者がいるので、学内連携のような形をとりながら教えてもらうこともあります。カンボジアの場合、IRRIやオーストラリアのグループからの研究情報もあります。生物資源環境学分野では、東大の農学部図書館は資料が充実しています。統計資料などは現地の共同研究者に頼んで送ってもらうこともあります。現地のJICA図書館の資料なども利用します。

― データや蔵書をどのように共有し、オープンしていますか。

データは先ほど見ていただいた試料(サンプル)などがあります。他にも資料はたまるのですが、マンパワーがなくてオープンできていないのが現状です。現地でインタビュー調査することもあって、例えば絵を描いてもらったりもしています。子どもには未来の農村はどうなっていると思いますかとか、それを絵で描いてもらったりします。大学生には好きな風景、嫌いな風景とかで写真を撮ってもらったり。そうした資料はたまるんですが、箱に入れたままで、眠らせてしまっている状態です。資料をアーカイブ化し、メタデータを付けるとしても、相当の負担になりますし、資料整理をしてオープン化したとしても需要があるのかという問題もあります。

― 「図書館」の課題は何だと思いますか。期待することはなんですか。

論文などは図書館を通してオンラインで入手しています。紙の本に対するニーズもありますが、私たちの研究室は西東京キャンパスにあって、弥生・本郷まで行くのが大変なので、ここまで送ってくれたら助かる、と学生たちとも話したりしています。現地で集めてきた資料なんかはたまるのですが、図書館にそれらを提供するにしても、ニーズがあるのかという問題もありますし、こちらにメリットがあるのかなという考えもあります。図書館の関係者に、研究資料を大事にしていくとこんないいことがある、というメッセージを発信していただけるといいかもしれません。

― おすすめのアジア関連書籍をおしえてください。

まずは、東京大学アジア生物資源環境研究センター編『アジアの生物資源環境学:持続可能な社会をめざして』東京大学出版会、2013年です。それぞれの教員が自分の分野で、生物資源環境学の研究を分かりやすく執筆したもので、森から、田畑から、海に至るまで、多様な環境や、資源、生物に関する研究内容が、どのようにアジアで持続可能な社会を実現できるか、という大変大きなビジョンに向けてまとめられています。
もう一冊は、堀江武編著『アジア・アフリカの稲作:多様な生産生態と持続的発展の道』農山漁村文化協会, 2015年です。若手の研究者・学生たちがアジア・アフリカに行って稲作改良のためにこんなことをしたんだということがまとめられています。京都大学名誉教授、農研機構元理事長の堀江先生の独自の視点で、日本と世界の稲作について、粗放的な段階から、集約的な段階、環境調和的な段階に至るまで、整理されて書かれていて、いい本だと思います。

― 本日はどうもありがとうございました。

(2017年10月、インタビュアー:成田・中尾)