【アジア研究多士済々】村松伸 先生(生産技術研究所)

村松伸先生

生産技術研究所教授

建築・都市をローカルな生態系として捉えるグローバルな建築史学

 

 

 

 

 

自分のいるところを抜け出して、中国に異なるものを探しにいった。

―アジア建築史を志したきっかけについて教えてください。

高校生のとき、大阪の万博で建築家の黒川紀章さんの作品を観たのがきっかけです。

東大では理一に入ったのですが、当時の理一は数学や物理、化学をあえて難しく教えていました。私は理系ながらそれらの科目が全然わからなくて、困惑しました。それでもともと関心のあった言語学はどうかと思って、言語学者の柴田武先生に会いに行きました。そうしたら、「文学部は親が泣くから止めたほうが良い」と説教されてしまい、せっかく理系に入ったので理系に留まることにして、理系と文系の中間ということで建築学に進んだわけです。

しかし建築学は私があまり得意でない設計が中心でしたので、そこでも挫折し、建築史に進学しました。私が入ったときは西洋建築史の研究が盛んで、かといって日本建築史の緻密な研究にはなじめなかった。再び、逃走して中国建築を研究対象に選ぶことになってしまいました。数年日中学院などで中国語を勉強して、その後中国政府の奨学生に応募して、その3期生として清華大学に留学しました。

―もともと中国を研究しようと思われたのですか?

中国は自分のアイデンティティーの発露であると同時に、フロンティアのようなものでした。西洋に対するコンプレックス、都市、そして、東京に対する疎外が一緒になっていたのを何とか突破したいという強い意識からだったのでしょうね。そんなとき晴海でおこなわれていた中国の物産展に行きましたら、中国製のトラクターとかテレビの展示が目につきました。そのスイッチのオンオフには「開」「閉」と漢字で書かれていたのです。テレビというものは、モダン、英語が普遍的なものだと思っていたのですが、中国では漢字で書くことがある、お、ここには何か違うものがある、という驚きでした。自分のいる日本、東京を抜け出して、中国にまったく異なるものを探しに行こうと咄嗟に考えたのです。

中国を研究し始めたときはアンチ近代みたいな考え方が私の根底にありました。が、中国留学ののち、韓国に留学したり、アメリカにいったり、中国の周囲の国の都市や建築を観察しつつ、地球を広く見ていったら、それぞれの地域に固有のものや論理があるということがわかってきました。中国には中国、東南アジアには東南アジアのやり方があって、それを私たちは相互に理解すると同時に、さらに他の国や地域同士が理解し合うことも手伝っていく必要があるのではないかと今考えています。そのためにはアジアだけでなく世界各地のことについてもう少し深く知らなければなりません。

現在は、建築や都市における地域生態圏という概念を提示し、北方ユーラシア、サブサハラ、南北アメリカなどの都市や建築を見たうえで、それぞれの位置付を考える、ということを行っています。今は、人類の発生から全球に広がる窓の進化系統学を研究しています。窓は環境と人とをつなぐとてもよい建築の装置だからです。一般に「アジア」とひとくくりにしてしまう窓の類型は、他の地域にも類似の機能や形態をもつ窓があることがわかりました。一方、北京や朝鮮の北部は中緯度半乾燥帯に属し、「アジア」のなかでも窓の様相が違うわけです。かつて私は、欧米に対抗する、オルタナティブなものとして中国やアジアをとらえる傾向があったのですが、現在は全球のどの地域も、等価であると考えており、その集合体として各地の建築や都市をみています。

―先生は、建築を物理的実体としてだけではなく、人間行動との相互関係として見ているような印象を受けましたが、実際のところはいかがでしょうか?

「建築の本にはたいてい人が希薄ですね」と多くのひとに指摘されるのですが、建築は人がつくったものなので、人が出てこないと評する姿勢を私は逆に疑問に思っています。建築を規定しているものは政治・経済・環境などいろいろとありますが、それらの相互関係も含めて全体を分析対象とするのが建築史の役割だと思っています。それでより関連が強い都市のことも含めて研究しています。

アジアに関していえば、ずいぶん前ですが、『アジア建築研究』という本を作りました。これは、アジアの建築について当時若かったいろいろな人が集まって作成したものです。私より前の世代の方は現地に行って研究するという感じではなかったのですが、私の世代から現地に行くようになり、後の世代になると文化人類学的に調査を行ったりする人も出て来ています。そのような様々な視点や人をまとめるのも大事かなと思って編集しました。新たな『続・アジア建築研究』を現在考えています。

―アジア研究の魅力はどのようなところにあると思いますか?

この質問にはいくつかの疑問がでてきます。たとえば、アジア研究は、西洋研究に対比するものなのかとか、日本研究はアジア研究に入るのかとか。かつて中国研究は日本人研究者の独壇場でしたが、もうずいぶん前からそうではなく、中国とかアメリカで盛んに行われています。まして、欧米の植民地であった東南アジア研究は、私たち日本人にははるかに及びません。そこで必要なのは、広い視野です。とりわけ、建築や都市に関して言えば、地域に分断された研究を越えて、東アジア、東南アジアなど広域に研究しても研究者の層が薄いことから誰も文句はいいません。それを逆手にとれば、新しい知見が生まれる可能性はまだまだあります。ですから、アジア研究の魅力、というより、アジア建築・都市研究の魅力と言い換えるとすると、それが回答です。

与えられた資料から研究するのではなく、図書館などの雑多な資料から何かを作っていく

―文献はどのように利用していますか?

私が北京に留学したころは80年代初頭でしたから文献があまりなかったり、見せてもらえなかったりしました。ただ、出版される本が少なかったので、出る本は全部買って積読することで広い視野を獲得していました。料理の本とか体操の本とかも買いました。中国から帰国する時、大変でしたが。

博士論文を書くときは、まだ、インターネットのない時代でしたから、電子的なデータベースがなく、図書館に行って文献を探しました。中国のさまざまな図書館を直接訪ねて文献を調査しましたし、研究者たちにインタビューもしました。東洋文庫に行ってカードを引いて文献を全部見てみるとか、東大の総合図書館に行って書庫に入って見るとか、いろいろなことをしました。そうすると目前の研究とは直接関係ない余分な本の存在がわかりますよね。それが結構重要でした。与えられた資料から研究するのではなく、図書館などの雑多な資料から何かを作っていくという方法は、現在の私にとって宝です。

―フィールドワークで得たデータはどのように管理されていますか?

私は記録の整理は得意でなく、データは本にすることで公開しています。日本で最初の近代的建築史研究者の伊東忠太は、記録をよくしていて彼のフィードノートは全て残っています。それは現在、日本建築学会に所蔵されているのですが、生の思考が赤裸々に残存していて日記やフィールドノートは残すべきではない、と実感しているからでしょうか。

―これからの図書館に期待されることはありますか?

どこでも自由にアクセスできるというのが理想ですね。自分のところには辞書みたいなものをおいて、あとはデータバンクにある、というような感じです。ただ、一方でハードな史料への身体的アクセスも重要だと思います。図書館にある知識の「魑魅魍魎」に触れて、体験できるというのも大事です。電子的データから簡便に得た史料のみに頼るのではなく、未知との出会いや遊びを残しておくのが大切だ、と私は思います。

―それでは、おすすめの本をあげてください。

吉川幸次郎全集』、『宮崎市定全集』、『中尾佐助著作集』、恩師の『稲垣栄三著作集』など、全集を最初から最後まで読めと私は教わりました。そうすることで、その人の良いところ、欠点など全体がわかると思います。吉川幸次郎からは多くの影響を受けました。中国留学の時は陳舜臣の『中国の歴史』などを暇に任せて読みました。中国の歴史に関する基盤を構築する上で役に立ちました。あ、そうそう、最近の私たちの研究成果『メガシティ』(全6巻)もお勧めです。

―本日はありがとうございました。

(2017年8月、インタビュアー:永井・辻)