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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
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COLUMN

【アジア研究この一冊!】関根康正『ケガレの人類学――南インド・ハリジャンの生活世界』 (+島薗進ほか編『宗教学文献事典』)

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U-PARL副部門長・特任准教授
冨澤かな

今回の「アジア研究この一冊!」は、私が修士論文を書こうとしていたころのいろいろな迷いに、大きな指針を与えてくれた『ケガレの人類学』です。刊行されてから早20年以上がたっている(!)ということに少々しんみりしていますが、今もこの本の意義と新しさは衰えていないと思っています。

当時私はインドの宗教において悪がどうシンボライズされ排除されるのかに興味をもち、オフラハティの The Origins of Evil in Hindu Mythology などを読んでおもしろく感じていたのですが、そういった研究の積み重ねと「ほんとうのインド」の関係をどう理解してどうアプローチしたらよいのやら、さっぱりわからないとも感じていました。その中で、『オリエンタリズム』をめぐる議論の影響などを経て、見る側=研究者と見られる側=「ほんとうのインド」とを単純に分けて考えること自体の不自然さを感じるようになり、研究の視線の、特に「同化」と「排除」の問題と、インドの中のそれとを、同時に・同列に考えることができないか…、と漠然と考えつつありました。その頃出会ったのがこの『ケガレの人類学』です。本書について2007年刊の『宗教学文献事典』に書いた拙文を、弘文堂さんのご厚意により以下に転載いたします。

図書館に関わる仕事をしていて、「文献についての文献」の価値を感じる機会が一層増えています。『ケガレの人類学』とともに『宗教学文献事典』も、みなさんぜひ見てみてください。

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関根康正(1949-)

『ケガレの人類学――南インド・ハリジャンの生活世界』

東京大学出版会, 1995

本書は南インドの村落の、特にハリジャン(不可触民)に関する民族誌であり、新たな「ケガレ」概念によるハリジャン理解、インド理解を提起するものである。カースト制で厳しく整序された階層社会というインド像は根強く、中でもインドを「浄・不浄」の二項対立からなる一貫したヒエラルキーと捉えたデュモンのインド論は、繰り返し批判されながら、存在感を示し続けている。「浄」という一元的価値に貫かれたデュモン流のインド像に対して、関根は「ケガレ」のイデオロギーの存在とその重要性を主張する。浄の否定型としての「不浄」ではなく、独自の価値としての「ケガレ」のイデオロギーである。ブラーマン(バラモン)らが担う「浄の聖」が安定的で支配と規格化につながるのに対し、ハリジャンが大きな役割を果たす「ケガレの聖」は、非日常的で境界的で、創造性とともに危険性をもはらむ。それゆえ、日常的には「浄」のイデオロギーが「ケガレ」のイデオロギーの優位に立ちこれを抑圧する。しかしハリジャンは、優位な「浄」のイデオロギーに組み入れられ否定的な価値付けを与えられてはいても、同時に「ケガレ」イデオロギーの主体として、実はそれなしには成り立ち得ない世界に対し、積極的・主導的な主体ともなっているのである。

さらに関根は、「ケガレ」のイデオロギーの周縁性それ自体に他者理解の可能性を見る。そこに支配の論理の固定的規格化を無力化し、自他の別を無化する契機を見出すのである。支配イデオロギーへの同化とそこからの分化の狭間で「非決定に宙吊りされた」状態にあることがハリジャンの戦略を支えており、そしてその「非決定」のあり方の共有にこそ、他者を固定的な自己から「理解」するのではなく、自己変容とともに「了解」する「地続きの地平」が求めうる――との主張は、近著『宗教紛争と差別の人類学』(2006)でも深められている。

●冨澤かな

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【『ケガレの人類学』書誌情報】
関根康正著
ISBN:9784130501309
出版地:東京
出版社:東京大学出版会
出版年:1995年
判型・ページ数:A5・400ページ
定価:5,400円+税

【『宗教学文献事典』書誌情報】
島薗進・石井研士・下田正弘・深澤英隆編
ISBN:9784335160486
出版地:東京
出版社:弘文堂書店
出版年:2007年
判型・ページ数:A5・620ページ
定価:12,000円+税
http://www.koubundou.co.jp/book/b157246.html