先ほどカイロのとある道端でかわいい顔をしたねこが寝そべっているのを見つけてしばし眺めていた。ところがこのねこ、何かがおかしい。近くに寄って見てみると、後ろ足2本と尻尾を含む後ろ半身がぺちゃんこにつぶれているのである。ちょうど横にねそべっている状態で後ろ半身だけをアイロンでプレスしたように真っ平らな状態なのだ。私が近づいたことで警戒したそのねこは、前足2本を立ててむくっと起き上がり、やはり前足だけを使ってぺちゃんこの後ろ半身を重そうに引きずりながら目の前のアパートに入っていった。アパートの門番によれば、そのねこはエレベータの下敷きになってこのような姿になったのだという。エジプトのエレベータといえば、未だに20世紀前半の代物が現役で動いている。安全装置などついているわけもなく、人が乗る部分だけはかろうじて箱状に囲われているが、それ以外の装置はすべてむき出しである。さすがにエレベータ周りには柵が設置してあるが、それも鉄格子なのでねこであれば簡単に通り抜けられる。きっとあのねこは物心つく前に鉄格子をすり抜けてエレベータが昇降するスペースの下でねそべっていたのだろう。しかし、不自由な身でちゃんと生きていけるのだろうか?そう呟くと、門番はアパートの正面玄関を入ってすぐのところにある10段ほどの階段を指差して、「あのねこの住処はこの階段を上がって右にいったところにある。そこでご飯をもらっているから大丈夫」と答えた。あの状態でこの階段を上るのか。段差はかなりある。たくましい限りである。エジプトでの生活はねこも人間もなかなか容易ではない。
私は無類のねこ好きである(*1)。ねこなしの生活は考えられない。現在、ねこ4匹(+エジプトから連れてきた犬1匹)を実家で飼っているが、しばらく彼女たち(我が家のペットは皆女性である)に会えないと「ねこ欠乏症」になるほどである。
実はエジプトにもねこ好きが多い。歴史的には、古代エジプトの人々がねこを神(バステト)として崇拝したことを知っている人は多いだろう。また、かの有名なヘロドトスも『歴史』のなかでエジプト人のねこ好きを異常と言わんばかりに叙述している。エジプト人のねこ好きは今も変わらない。汚れた野良猫であっても邪険にせず、餌を与える人々の姿をよく見かける。先の身体が不自由なねこもこのようなねこ好き人間に助けられながら生きているのだろう。
カイロの定宿で飼っていたねこ。彼は成長して昨年この宿を巣立っていった。
ところで、人間社会に目を向ければ、エジプトはこの数年間に大きな政治的変化を経験した。2011年に革命(通称「アラブの春」(*2))が起こり、2012年の大統領選挙によってムルシー政権が誕生した。ムルシー大統領の時代は政治的に難しい舵取りが続き、長続きせずに1年で幕を閉じた。その後は2014年6月に軍人出身のシーシーが政権をとり、今年2年目を迎えたところである。私はこの間、1年に1回ないしは2回の頻度でエジプトを訪れ、その時々の社会の変容を断続的ながら見てきたのであるが、そのなかで特に印象に残っているのはムルシー政権末期の混乱である。ムルシー政権発足前の2012年2月、時の暫定政府は反政府運動から政治的拠点を護るために、カイロの中心部に位置するタハリール広場周辺の路上に3メートル近いブロック塀を所々に設置した。ムルシー政権成立後もこの壁は取り除かれることはなく、ただ政治家たちの基地を守るために置かれた壁はただでさえ流れの悪いカイロの交通を阻害し、激しい渋滞が朝から晩まで続いた。カイロの街中は車の排気ガスで真っ黒に汚染され、普通に呼吸をしているだけで喉に刺激を感じるほどであった。カイロの上空がどんよりとしたスモッグに覆われたように、人々の心には先行きの見えない不安や何一つ改革を進められないムルシー政権に対する不満が重くのしかかっていた、そんな時期であった。
激しい反政府運動が繰り広げられたムハンマド・マフムード通りに積み上げられた「壁」
革命時の人間社会の様子についてはこれまでに日本語で読める本が出版されているので是非そちらを参照することをおすすめしたい。この記事では、是非ともねこ目線で革命を振り返ってみたいと思う次第である。さて、ちょっと視点を変えてみたときに先のムルシー政権末期において顕著だったのは、路上に野良猫と野良犬が異様に増えたことである。この時期、街中を歩いてねこと犬を見かけないことはほとんどなかった。ねこも犬も同じゴミの山をあさり、餌を探している。ゴミの山ごとに野良猫と野良犬が必ずといっていいほどたかっていた。特に犬は集団で移動をするので、夜など歩いていると5,6匹の犬が徒党を組んで移動している場面によく出くわしたものだ。幸いエジプトの犬は穏やかな性格らしく、襲われたことは一度もないが、それでもやはり警戒はするものである。ひったくりもこわいが、犬にも注意をせねばとカイロの道端を歩きながら、「なるほど政治体制が緩むとそのほころびがこのようなところにもあらわれるのだなぁ」とぼんやり考えていたことを思い出す。
昨年8月に調査でカイロを訪れた時は、タハリール広場周辺に設置されていたブロック塀はほぼ取り除かれ、交通機能は回復していた。タハリール広場近くに常宿がある者としてはこのことは実に大きな前進のように感じられたが、相変わらずねこも犬もそこかしこにいた。ところが今年再びカイロを訪れると、なんとカイロの街中を歩いていても野良猫や野良犬を一向に見かけないのである。特に高級住宅街のザマレクでは野良を見つけるのに一苦労なほどであった。それに、そういえば道路がきれいである。清掃が行き届いているようでゴミが落ちていない。昨年までそこかしこにあったゴミの山と野良猫・野良犬のセットがきれいさっぱりない。そのことに気づいた瞬間、ある記憶が鮮明な画像とともに蘇ってきた。それは、昨年の調査滞在中にザマレクにあるスポーツクラブで起こった出来事であった。そのスポーツクラブのオーナーがバルタギーと呼ばれるチンピラ集団に敷地内のねこの駆除を依頼し、依頼を受けたバルタギーがある夜ねこたちを襲い、殴打の末、殺処分したのであった。ねこ好きのエジプト人がこのことを知って黙っているわけがない。報道でも大きく取り上げられ、大きな議論を呼んだ。そんな記憶が頭をよぎったのは、かなり計画的にシーシー政権が野良猫・野良犬の駆除を行っているのではないかという疑念がわいたからであった(ただし確証はない)。
振り返ればシーシー政権は最初からビジュアル戦略を重視してきた。彼が政権について一番にしたことは何かといえば、タハリール広場に面している建物の塗装である。タハリール広場といえば今回の革命の舞台であった。広場に面している建物は破壊されたり、落書きされたりして汚れ、傷ついていた。また革命後もさらなる革命を求めて広場でテントを張って寝泊まりする人が居続けた。しかし、シーシーはそのような人々を「駆除」し、タハリール広場をきれいに塗り替えた。今では新たな記念塔が立ち、高々とエジプト国旗が掲揚されている。そしてシーシー政権が目下取り組んでいることは、カイロ市内のメインストリートをきれいにすることである。数日前、ザマレクの大通りやナイル川沿いの歩道の敷石が1日にして一気にはがされた。新たな敷石も一気に敷かれると良かったのであるが、思うようにならないのがエジプトである。敷石が取り除かれた後には砂地が露出し、歩道が砂浜、否砂漠のようになっている。砂に足をとられてうまく進めないので、ほとんどの人が車道の脇を歩いているような状態である。さて、この工事によって、カイロの街中はどう変わっていくのだろうか。
現在すっかりリニューアルしたタハリール広場。中心に立っているのは記念塔。
このように眺めてみると、先のムルシー政権は壁をつくって都合の悪いものは壁の外に置いて隔離したのに対して、シーシー政権は都合の悪いもの/汚いものは「ゴミ」として処理/駆除するという特徴が浮かび上がってくる。シーシー政権が目指す新しい街づくりは見た目には美しいだろうが、その背後には一方的な暴力によって抹殺された無数の命が亡霊となって夜な夜な歩いているかもしれない。しかし、人間社会はひとまずのところ革命後の混乱状態からは脱したように思える。これはシーシー政権の、この国が前を向いて進んでいることをビジュアルでわかりやすく示すという方策が功を奏していることの表れであろう。あとは観光客が戻ってくるとこの国も活気を取り戻すのだが、それにはもう少し時間がかかるのかもしれない。ねこも好きだがエジプトも好きである。エジプトが1日でも早く元気になる日がくることを願ってやまない。
2015年9月6日 カイロにて
U-PARL特任研究員:熊倉和歌子
*冒頭の写真は、2012年6月の大統領選挙でムルシーが大統領に選出された日のタハリール広場。速報を聞きつけたムルシー支持者たちが続々とタハリール広場に集まった。
*1 ただし、ねこが好きといっても、ねこに洋服を着させたり、カートに乗せてお出かけするような人間ではない。最近、動物が好きというと、動物を人形のように扱って満足している人が多いが、率直に言えば私はそのような動物との付き合い方は不適切であると考えている人間なので、ここで強く主張しておきたい。
*2 すでに研究者たちが指摘していることではあるが、報道等でよく使われる「アラブの春」はエジプトにおいては使われていない。彼らは一連の政変を「革命(サウラ)」と呼ぶ。したがって私もこの言葉を使いたい。欧米では、春という季節は、厳しい冬が過ぎ去り暖かい日々がやってくる「雪解けの季節」であるが、そのような季節感と中東地域の春は若干異なる。中東地域では短い春の後に暑く厳しい夏(時に簡単に人の命を奪ってしまうほどの!)がやってくるわけであるが、「アラブの春」の呼称を使い続けている人のなかに、このことに自覚的である人がどれだけいるのだろうか。