荒木達雄
東京大学人文社会系研究科アジア文化研究専攻中国語中国文学専門分野博士課程
筆者は2013年夏より1年間、博士候選人(博士学位論文執筆中ないし執筆準備中の状態にある者をさす呼称)として中央研究院中国文哲研究所(文哲所)に所属させていただいた。中央研究院は台湾最大の専門研究機構で、生物化学研究所、物理研究所、台湾史研究所など、さまざまな専門分野の研究所、研究センター(現在あわせて31あるとのこと)で構成され、ほとんどの研究所が各自の図書館、図書室を有している。
これら図書館のなかでもっとも頻繁にお世話になっていたのは言うまでもなく、専門分野であることはもとより、研究室から近く気軽に行ける文哲所図書館であったが、ほかにも歴史語言研究所傅斯年図書館(傅斯年は歴史語言研究所の創設者・初代所長の名)、人文社会科学研究センター図書館、民族学研究所図書館、人文社会科学聯合図書館なども利用した。筆者の専門分野は中国明代(西暦1368~1644年)の通俗文学であるが、近代以前の中国は文学、史学、哲学といった現在の区分とは異なる学問体系を有していて、文学を専門としていても現在では歴史学、哲学に分類されるような資料まで参照しなければ研究にならない。このため必要な資料は複数の図書館にまたがって存在することが普通である。複数の図書館が同一の資料をそれぞれに有していることも少なくない。また、そのことで助かることも多い。院内の各研究所図書館は書籍の貸出期間が長い。博士候選人は3か月であり、期間の延長もできる。専任の研究員ともなれば借り出した本を一年間手元に置いておくことも可能であり、必要な本がすでに借り出されていて、返却期限がずいぶん先になっていることもままある。このようなとき、院内の他の研究所へ行きさえすればおなじものが借りられる(可能性がある)のはたいへんありがたいのである。
文哲所以外の図書館でたいへんお世話になったのが傅斯年図書館であった。筆者の必要とする本が多く、文哲所図書館と重複する本も多かったためである。まえおきが長くなってしまったが、上記のような次第であるため、中央研究院内の図書館のうち、筆者がもっともよく利用した二館、文哲所図書館と傅斯年図書館の概要を以下にご紹介する。
文哲所図書館と傅斯年図書館とは図書の配架方法に大きな違いがある。文哲所図書館はまず参考図書(辞書、目録、叢書など)と一般図書を分け、次に図書の内容によって分類して配架してある。類似した内容を扱う書籍であれば言語や出版地に関わりなく並べて配架される。また、東京大学で筆者が所属していた中国語中国文学研究室はまずおおきく原文(テキスト)と研究書をわける配架方式であったが、文哲所図書館では原文と研究書とを区別しない。つまり「唐詩に関する本」の分類番号の棚へ行けば、そこには『杜工部集』も郭沫若『李白與杜甫』も吉川幸次郎『杜甫詩注』もなかよく並んでいるというわけである(平凡社「中国古典文学大系」のようなシリーズものは叢書の区画にまとめて配架されている)。
一方、傅斯年図書館は一般の図書をその内容のまえにまず言語および出版地によって分ける。すなわち、「中文図書」(台湾で出版された中国語の書籍)、「大陸図書」(中国大陸で出版された書籍)、「西文図書」(ヨーロッパ言語の書籍)、「日文図書」(日本語書籍)、「韓文図書」(韓国・朝鮮語書籍)である。これはひとつには蔵書量が膨大であるため(貴重書、参考図書、一般図書、雑誌を含めた蔵書数は文哲所図書館が約37万点、傅斯年図書館が約83万点)、分類方法を細かくしておかなければ類似の番号の本が増えてしまい管理にも利用にも不便になってしまうからではないかと思われる。だが、事情はともあれ海外の図書館のワンフロアにずらりと日本の書籍が並ぶさまはなかなか壮観である(日本人・日本語の資料が多い要因のひとつとして過去の日本による統治があることは忘れてはならないけれども)。筆者はかつて中国大陸の大学に留学した経験があるが、知る限りでは図書館にあれほどの日本の書籍はなかった(もっとも一昔前のことなので現在では状況が変わっているかもしれない。それに、中央研究院と比べるのなら地方の大学ではなく北京大学や社会科学院を引きあいにしなければアンフェアかもしれない)。日本人にとっては便利なことこのうえない。そして日本語の図書以上に豊富なのは当然ながら中国大陸で発行された中国語図書である。1980年代以前の図書には「匪賊の偽書につき貸出し禁止」なる印が捺されているものがあり、かつての台湾と大陸の緊張状態をいまに伝えているが、「匪賊の偽書の購入はまかりならぬ」のではなく、名目はともあれ出自に関わらずとにかく入手して図書館におさめ閲覧に供するという態度は台湾の学問的な健全さを示すものと筆者は考えている(「匪賊」云々は建前にすぎず、実際には研究に必要な書として買い求めおおいに利用していたという可能性もあろう。確認したわけではなくあくまで推測である)。現在でも大陸や日本の図書・雑誌は続々と購入されていて、最新の動態に触れることができる。
配架方法の違いが利用法になにかおおきな違いをもたらすものかと言えば、実はそれほどの違いは生じない。図書館にせよ書店にせよ、必要のある、あるいは興味のあるジャンルの書架を見て回るうちにそもそもは探していなかった、時には存在すら知らなかった本に出会うということがあり、それが図書館や書店に行くたのしみのひとつだと思うのだが、現在ではインターネットでの検索システムがたいへんに発達しており、必要な本を事前に検索し、場所を特定したうえで図書館にはその本をとりにいくだけということが多いことと思われる(実際筆者もそういうことがおおい)。検索は書名の一部やキーワードのみでも可能であるから、かつては実際に書架をまわって得られた偶然の出会いすら検索システム上で十分に起こり得る。書架は必要な本をとりにいくだけの場となりつつあるのだとすれば、どのような分類でどのような順序で配架されていても番号さえわかればたくさんだということになろう。しかし、そのような趨勢を承知のうえであえて個人の好みを言わせていただけるのであれば、筆者は文哲所方式、つまり言語や出版地に関わりなく内容分類のみで配架する方法を支持する。自分の関わりの深い分野の研究の現況や体系が一目でわかり、同じ分野なのに言語や出版地が異なるというだけであちこち駆け回る必要もない。偶然の出会いも多くありそうな気がする。ものぐさだと言われてしまえばそれまでのことではあるが。
専攻が中国文学ということで、台湾にいると他分野の研究者や研究者以外の方から「なぜ中国大陸に研究に行かないのか」と問われることもしばしばある。理由はいろいろ(以前大陸に留学しており、違うところへも行ってみたかったという単純な興味も)あるが、だいたいは「資料の収集やそれにもとづいた研究の量や質を考えれば中央研究院の環境はたいへん恵まれていて大陸に優るとも劣らないから」と答えている。日本にも長い歴史を有する分厚い漢学の伝統があり、資料も研究も無数にあるが、上記のとおり中央研究院でもかなりの量の日本の研究に触れることができる。日本にいても大陸にいても台湾にいてもその環境には一長一短あり、どこがもっとも優れているかなどと単純なことは言えないが、図書館に関しては中央研究院がもっとよい選択肢のひとつであることは間違いない。
話が図書館利用からそれはじめてしまったのでここで軌道修正し、最後に中央研究院をはじめとする台湾の図書館の缺点にも触れておきたい。缺点というのは失礼であるから、宿命的な不自由さとでも言いかえたほうがよいかもしれない。それは古籍閲覧である。古籍とは文字通り「古い書物」のことで、中国関係の研究分野では主に近代以前に刊行された書籍をさす。近代以降に出版された洋装本(現在出版されるほとんどの本が採用する装丁方法)とは別に管理されることが多い。
近代以前を専攻とする場合、古籍を見たいと感じることはしょっちゅうである。実物を見なければわかりにくい情報がつまっていることももちろんあるが、自分の研究対象とする時代、その時の人々がどういうものを見ていたのか、文字で伝えられてきた内容だけではなくできれば書物という「かたち」までふくめてその人々にできるかぎり近い体験をしたいという興味もおおいにあるゆえである。しかし古い書物というものは文学研究の視点から言えば資料であるが、また別の方面から言えば立派な骨董品、歴史文物である。活用すると同時に保護もしなければならない。筆者も中央研究院をはじめ、台湾大学図書館、故宮博物院などで古籍の閲覧を申請したが、原本が提供されたことは極めて少なく、マイクロフィルムなどでの閲覧がほとんどであった。特に中央研究院傅斯年図書館はマイクロフィルムのない資料について次々とデジタル画像を作成していて、申請さえすればすぐさま閲覧室備えつけのコンピューターで画像を見ることができるようになっている(傅斯年図書館で明代刊行の古籍の原本が出てきて驚いたことがあるが、これはまだデジタル画像を作成していない資料であったがゆえの例外と考えるべきだろう)。また、傅斯年図書館、台湾大学図書館はマイクロフィルムについてはその場ですぐに必要なページをプリントアウトできるようになっている。傅斯年図書館のデジタル画像も申請をすれば二週間ほどで印刷してくれる。このような点は資料を「読む」ことに関しては非常に便利である。しかし、古籍に「触れる」機会はたいへんに限られる。また、その触れ得ない書籍の範囲がはなはだ広い。これは「貴重書」の定義がそもそも日本とおおいに異なるためであろう。たとえば傅斯年図書館では日本の昭和初期の辞書が、文哲所図書館では1920年代の中国の本が閉架書庫に配架されており、申請を出して図書館員に出してもらい閲覧した。どちらも東京大学総合図書館であれば開架図書ないしは書庫(学内の大学院生にとっては実質開架図書同様)におかれるものである。台湾大学で珍しく古籍の原本を出してもらえた時は、「これは嘉慶年間(1796~1820年)の貴重書ですからね」と何度も念を押され、手袋にマスクをしてようやく閲覧できた。これも東大であれば総合図書館書庫や文学部漢籍コーナーの書架にならびそうなものである。東京大学では明代後期以降(17世紀以降)、江戸時代後期以降の書籍でも書架に並び、実際手にとって選びとれるものが実に多いのであるが、それが台湾ではおおむね貴重書としてしまいこまれている。
筆者は決して台湾の図書館の方法がよくないと言いたいのではない。ましてや嘉慶の書籍でも現代の書籍同様気兼ねなく扱えるようにすべきだと主張しているのでもない。古籍は物品であり、時を経るだけで劣化するうえに、人が手で触れ、開いたり閉じたりを繰り返せばよりいたみもすすむ。先人から受け継いできた書籍をやすやすとだめにするわけにはいかない。台湾の図書館は古籍を歴史文物として保管するほうにより重きを置いているということであり、我々もそれを理解し、利用すべきである。日本の図書館でもどこでも東大のように古籍を閲覧できるわけではない。歴史文物として保存することを重視し、積極的に閲覧に供しない図書館もいくらもある。しかし台湾の図書館の現状の背後には台湾がかかえている宿命があることも見逃せない。
台湾は中国語(北京語)を国語と定め、中国文学・中国哲学・中国史などを国学とする。しかしその歴史的経緯から、その国学の粋たる古籍で現在台湾に存するものには限りがある。先に台湾の資料や研究は大陸に優るとも劣らぬと述べたが、それは台湾にはなく大陸や日本などに存する古籍の写真版や活字版が近年陸続と刊行され、台湾の図書館が熱心に購入し続けていることと無縁ではない。抗日戦争、国共内戦をくぐりぬけてようやく安住の地を得た国学の粋を後代に残すべく劣化が進まぬよう厳重に管理し守り続けていく方向に台湾が舵をとったのは自然なことであっただろう。結果として多くの古籍は人々の手の届かぬものとなる。筆者はこちらで中国古典文学専攻の大学院生たちの研究発表を聞かせてもらう機会を得たが、古籍原本を見たという学生はほとんどおらず、マイクロフィルムや写真版を利用したという学生もさほど多くはなかった(大学院生だからということもある。専門の学者はもちろんさまざまな手段で古籍資料を利用している)。これは実に残念なことである。
東京大学では総合図書館書庫や文学部漢籍コーナーなどにおいて、一部の貴重書をのぞけば、大学院生ないし関連学科の学生であれば自ら書架をみてまわり、清代なり江戸時代なりの古籍を手にとって読むことができる。これは非常に得難い(台湾の人にとってはとんでもない)環境であることを筆者は台湾の図書館であらためて実感した。日本国内でも同様の環境を有する図書館はそう多くはないはずである。近く東京大学では大規模な図書館の改編があるとうかがっているが、できることならばどうか、学生院生が身近に古籍を感じることのできるようにしておいていただきたい。無論、古籍はいたむものであるから、いつまでも、なんでも自由に使わせるというわけにはいくまい。しかし、なんらかの制限(手袋を着用する、専門の学生の利用を優先する、大学院生を優先する、一人あたり一定期間に閲覧できる数量を制限する…など)を設けてでも、この豊富な古籍を有する東京大学だからこそできる贅沢な環境を残してほしいと切に願っている。