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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

COLUMN

母を尋ねて兎追ひしかの山

特任研究員 荒木達雄

ウサギ年になりました。いやいや、もう20日も経ってるだろう、とはおっしゃいますな。癸卯(みずのと・う)年は1月22日(旧暦一月一日)にはじまったばかりなので、まだタイムリーな話題なのであります(これは締切に遅れた際の常套手段)。

昨年度のトラにつづいて今年度はウサギにまつわるなにかを書いてみようかと思っていた矢先、下のような議論を目にした。

 

「毎日ことば」 <なぜ「ウサギ年」より「卯年」と書いた方がよいのか。>  https://mainichi-kotoba.jp/blog-20230115

 

飯間先生がテレビやインターネットメディアなどから用例を収集されているのがおもしろくて、私も時折Twitterなどで拝見している。これもツイートがきっかけではじまったやりとりで、それぞれの立場がよく表れていると思う。

こういう議論はいいですね。互いの立場から自説を主張するけれども、決して相手を説き伏せたり非を認めさせたりすることが目的なのではない。はやり(?)のことばで言えば“生産性”があるとでも言うのでしょうか。

立場は違えど広い意味で“ことば”の専門家同士が議論しているのであるから門外漢が立ち入る隙はないのであるが、これは「書きことば」「話しことば」の差異(ないし、これに対する見解の相違)を示しているように思う。私は、口頭で「うさぎどし」と言っているものを書面に書くなら「卯年」になるだろうなあと漠然と思ってきた。話しことばと書きことばとは性格が違うのだから、「うさぎどし」を想起させられる記号でありさえすればよいわけで、「卯年」はどうあっても「うどし」と読まねばならないということもなかろう(上記の議論もおおむねその方向で落ち着いている)。そんなわけで、拙稿では「ウサギ年」とあっても「卯年」とあっても同じことだと思ってください。

 

さて、日本のウサギにまつわるお話というと、「ウサギとカメ」であるとか、「因幡の白兎」であるとか、「ずるがしこいけれどぬけている」キャラクターが私には思い浮かびます(因幡の白兎は神に助けられて改心して縁結びの神になるのだそうですが。https://hakutojinja.jp/mythology/ 白兎神社のウサギの彫像がなかなかかわいらしい)。新しい年の記念ですからもうちょっとおめでたいウサギのお話を読んでみようと思います。日本にもおめでたいウサギの話はあるのだろうと思いますが、よく知らないので、かつて私が勉強として読んだ中国のお話をとりあげます。

 
(前回の卯年に南京で撮影した飼いウサギ)
 

『白兎記』は、元末明初の成立かと思われる戯曲です。後漢王朝(947~950。光武帝の後漢王朝とは別)を建てた劉知遠の出世譚ですが、その終盤に、劉知遠の息子が生き別れの母(劉知遠の妻)と偶然再会する場面があります。

 

劉知遠はもともと博打うちの無宿人であったが、お金持ちの李長者に見込まれて娘(李三娘)の婿として迎えられる。しかし李長者夫婦が亡くなると、李三娘の兄は劉知遠を追い出そうとさまざまに嫌がらせをする。劉知遠と李三娘の媒酌人を務めた叔父(李長者の弟)の勧めで劉知遠は家を出て軍に身を投じる。兄は李三娘を再婚させようとしたが拒まれたため、妹への嫌がらせをつづけた。李三娘は劉知遠の子を身ごもっていたが、へその緒を切るハサミすら貸してもらえず、生み落とした子のへその緒を歯で噛みちぎった。ここからこの子は「咬臍」と呼ばれるようになった。さらに、兄が生まれた子を殺そうとするであろうからと、生後間もない咬臍はすでに軍で出世していた劉知遠のもとへ送られた。

咬臍は、生き別れの母がいるとも知らぬまま立派な武芸を身につけた青年となる。ある春の日、狩りに出かけた。そこで白いウサギが目に入った。矢を射かけるが、刺さったまま逃げて行ってしまう。金をあしらった玉造りの矢であったために、とりもどすべくウサギを追いかけたが見失ってしまった。逃げて行った方向にいた婦人に尋ねるが、見ていないという。婦人がぼさぼさの頭に裸足であったのが気になり身の上を尋ねると、父や自分の身の上と符合するところがあまりに多い。帰って父にそのことを告げ、はじめてそれが生き別れの母であることを知る。劉知遠と咬臍はふたたび婦人のもとをおとずれて一家は十八年ぶりに団円したのであった。

 

おおむね上のような内容ですが、ご興味のある方はぜひ私のヘタクソな要約ではなく原文でお楽しみください。いろいろと省略しましたが、全三十三出(おおむね現代劇の「幕」に相当)の長い物語だけに、ところどころに笑わせようとする要素なども混じっています。

 

ウサギの導きでどこかへ行く物語といえば『不思議の国のアリス』が思い出されるのではないでしょうか。よく知らないのでちょっと調べてみると、19世紀後半に創作されたものなのだそうです。とはいえ、ヨーロッパにもそもそも動物が人を導いてどこかへ連れて行く、なにかに出会わせるというモチーフがあり、ルイス・キャロルも意識的にか無意識的にかそれを用いたという可能性も考えられます。このあたり、ヨーロッパの文学や伝承に詳しい方にうかがってみたいものです。

ウサギに限定しなければ、見たことのない不思議な生き物を追いかけているうちに木々のトンネルをくぐりぬけ、これまた見たこともない巨大な生物に遭遇したという『となりのトトロ』も思い出されます。そういえば、この時メイちゃんが追いかけた先にいたのはトトロでしたが、最後のクライマックスには、トトロとネコバスの導きでサツキ・メイの姉妹は長い間会えなかった入院中のお母さんのもとへ行くのでした。これは偶然の類似でしょうが。宮崎駿も日本の古い物語にくわしいのだとどこかで読んだような気もします。

物語の中で人をどこか別の場所へ移動させようとするのなら、なにかをおいかけているうちに知らず知らずにというのが便利かつ自然なパターンだったのでしょうか。

だんだんこじつけくさくなってきますが、「桃花源記」の漁師は魚をとろうと川をのぼっていくうちに異郷へたどりついたのだし、浦島は亀の導きで竜宮へ行くのでした。

とりたてて根拠も論理もなく、好き勝手にこうした妄想を繰り広げているあたりまでは楽しいのですが、さすがに公式ウェブサイトでこれ以上は無責任にすぎるのでやめておきましょう。

 

話は戻って「白兎記」です。ウサギはほんの一瞬登場するだけなのですが、生き別れの夫婦、母子を再会させ、李三娘を長年の苦境から救い出す重要なきっかけであるために全体の名にもなっているのでしょう。

このストーリーは、この戯曲の作者の創作というわけではありません。

劉知遠の出世物語は古くから人気があったようで、元以前の語り物の内容を反映しているのではないかと思われる「新編五代史平話」でも詳しく語られています。この五代史平話、唐滅亡から宋成立までの間の短命王朝、後梁、後唐、後晋、後漢、後周の興亡を描いたものなのですが、後梁、後唐、後晋までは、誰と誰がケンカした、誰と誰が結んで誰を攻撃した、誰が裏切った…という経緯の描写が中心である一方、後漢の前半は劉知遠一人のストーリーで、かなり毛色が異なります。もともと独立していた有名な物語をもってきて組み込んだのでしょう。無頼の徒であった劉知遠が見込まれて婿となり、義父母の死後、家を出て軍人となり、出世して妻を迎えに戻り、自分と妻を虐げた義兄を懲らしめようとする…という筋は「白兎記」と同じなのですが、白ウサギが出てきません。終始劉知遠の出世譚に焦点があります。ちなみに、この物語には時代の近いほかの英雄物語と共通するパーツ(博打好きの無頼の徒、才能を見抜く援助者、主人公を虐げる親戚の者など)が多く、かつて好まれていた武人の出世譚、英雄譚のパターンを知る手がかりともなっています。

そう考えると「白兎記」は、“無頼の英雄の出世物語”と“動物の導きによる出会いの物語”との融合でできていると言えそうです。

ところで、ウサギはなぜこうも都合よく劉咬臍の前に現れ、かくも見事に母のもとへ連れて行ってくれたのでしょうか。

 

浙江省にいまも伝わる木偶戯(人形芝居)にはその理由がちゃんと示されています。

公益財団法人東洋文庫がその動画を公開してくれています(http://124.33.215.236/movie/baba/index_movie_baba.html)。むかしはこうした村の祭りで行われる劇は外にはなかなか知られることがなく、書籍として広まることも稀だったのですが、今では、苦労して現地に調査に行った方の撮影したビデオを誰でも簡単に見ることができます。なんとも便利な時代になったものです。

こちらをありがたく拝見しますと、物語の筋は「白兎記」とほぼ重なりながらも、随所に神さまが現れるのが大きく異なります。劉知遠も、李三娘も、咬臍も、将来は出世する定めなので、どんなにひどい目に遭おうとも、ぎりぎりのところで必ず神さまが助けてくれていることがはっきり演じられているのです。「エラくなる人ははじめから違うのだなあ」と人々に思わせる、あるいはそう思っていた人々がうけついだストーリーのようです。

母子再会の場面では、土地の神さまが二人を出会わせるべく、ウサギに姿を変え、咬臍の放った矢をくわえ、追いつかれず見失われない程度に走って咬臍を母のもとへ誘導します。母子は偶然出会えたのではなく、神さまに案内されていたのが真相だというわけです。

 

地方で行われた、なかでも祭祀の際に行われる非商業的な語り物や演劇などはしっかりしたテキストが残っているわけではないので、なかなか大元のところはわかりません。ただ、元や明の時代に文字化され、かなり地方の祭祀や伝承のころの姿を残しているだろうと思われる作品を見ると、劉知遠や李三娘同様に、はじめは貧しくとも将来富貴を得る―「発跡」と称されます―運命の人は常に神に見守られ、援助されているという筋立てのものが多く見られます。浙江省の人形劇も、古くからあるこの筋立てを現代にまで伝えてきたものなのでしょう。(李三娘をいじめる兄は「五代史平話」では李洪義、「白兎記」では李洪一とするテキストや李弘一とするテキストなどがあり、口頭でこの物語が広まったことを示唆しています)

まったくもって余談ですが、『水滸伝』の宋江は、こうした発跡物語の英雄が大がかりな手術を施されたうえでとりこまれたものだと私は考えています。

 

そうなると、「白兎記」はあえて神さまの部分を省いたもののようです。これは“ウサギのみちびき”以外の部分についてもそうです。その結果、“偶然”見かけたウサギが、“偶然”矢を背負って、“偶然”李三娘の近くを走ったかのように読めます。

こうした超自然的な力を物語から排除―少なくとも見えにくいように―していこうという思想は、明、清に刊行された、比較的高級な読み物――作者や読者の社会的地位が高く、文体が読み物として整備されていて、書物としてもお金をかけたつくりになっているもの――にはまま見られます。「白兎記」は演劇ですが、読み物としてこうした読者の鑑賞に堪えるように仕立てられています。

 

ここで、そうか、高級な書物を読む人々は迷信をきらうから非科学的なものはとりいれないのだな……などといっては早合点です。「白兎記」においても、李長者が浮浪者時代の劉知遠を将来有望なやつと見抜いたのは、寝ている劉知遠の鼻や耳を龍が出たり入ったりし、あたりに紫の雲気が立ち込めていたからですし(これはたとえば漢の高祖・劉邦の伝記などと共通する)、劉知遠が西瓜畑に住む瓜の化け物と戦い宝刀を手に入れるという、ドラゴン〇エストかファ〇ナルファンタジーかと思わせるようなエピソードもしっかり入っています。

明・清の時代の人々の思う「非科学的」「迷信」の基準は、当然のことながらわたしたちのそれとはずいぶん違っています。物語の改編の様子からわたしたちとは異なる世界観を考えてみるのも意義のあることだと言えましょう。

 

さて、私も帰り道に動物を見かけたら追いかけてみましょうかね。今年は何に出会えるだろうか?

 

※民間の語り物・演劇の思想と、“高級な”読み物の思想との違いについては、

田仲一成『中国演劇史論』(総合図書館・開架・772.22:T84)

田仲一成・小南一郎・斯波義信『中国近世文芸論』(総合図書館・開架・386.82:T84)

井上泰山・大木康・金文京・氷上正・古屋昭宏『花関索伝の研究』(総合図書館・開架・923.5:Ka11)

小松謙『中国歴史小説研究』(総合図書館・開架・923.5:Ko61)

などが広く扱っている。

January 23, 2023