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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

COLUMN

あの輝きは餅の欠片?

 今年の仲秋の名月、即ち旧暦八月十五日は明日、9月29日にあたる。日本では仲秋の名月、お月見といえばススキに月見団子、月ではウサギが餅をついているというのがもっとも広く知られたイメージであろうか。そして今年は癸卯年、いわゆるウサギ年である。われわれはまもなく12年に一度のウサギ年の仲秋の名月をめでることになる。

 月の模様がなにに見えるかの違いはよく知られた異文化対照の話題のひとつであろう。

 お隣の中国でおそらくもっともよく知られた月の伝承は「嫦娥奔月(じょうがほんげつ)」なのではなかろうか。

 紀元前2世紀に編まれた『淮南子』の「覧冥訓」に、「后羿(こうげい。神話に登場する、弓の名手として知られる人物)が西王母(せいおうぼ。崑崙山に住むといわれる女神)から不死の薬をもらったものの、后羿の妻・嫦娥が盗み出して月へ逃げて行ってしまった」とある。

 嫦娥はその後月でどのように暮らしていたのだろうか。

 7世紀、唐代はじめごろの類書(過去の文献の記載を集め、分類し、項目を立てて記載した書物。用例を主とする百科事典のようなもの)『芸文類聚』の巻一「天」部(天に関連する記載を集めた部)の上(上下巻、などの「上」)に、『淮南子』からの引用として、「羿は西王母に不死の薬をもらったが、姮娥が盗んで月宮へ逃げてしまった。姮娥とは羿の妻である。薬を飲んで仙人となり、月に身を寄せて月精となったのである」という。「姮娥」は「嫦娥」と同じ人。「月宮」へ行き「月精」となったというと、なんだか高貴で優雅な生活を送ったのかなという気もしてしまう。しかし、8世紀の類書『初学記』の巻一「天」部を見ると、そこにはやはり『淮南子』からの引用として「后羿が西王母から不死の薬をもらったものの、后羿の妻・姮娥が盗み出して月へ逃げ、月に身を寄せたが、ヒキガエルになってしまった」と記されている。こうなると高貴で優雅どころではない。嫦娥がヒキガエルになったことは、『後漢書』「天文志」の注釈に引用される後漢・張衡(78~139)の『霊憲』や、4世紀の干宝『捜神記』巻十四などにも記されていて、かなり広まっていたらしい。さすれば『初学記』の引用する「月精」もヒキガエルを遠回しに言っただけなのかもしれぬ。

 それでは中国から月を見るといつもヒキガエルが見えるのかといえばさにあらず。もう一種、有力な動物がいる。

 戦国時代の楚地方の歌謡を集めた『楚辞』の「天問」篇に「夜光何徳 死則又育 厥利維何 而顧菟在腹」とある。目加田誠氏は「月には何の徳あって 死んではまた生まれるのか 何のまたよいことあって 兎がその腹に宿るのか」と訳す(『中国古典文学全集第1巻 詩経・楚辞』、平凡社、1960年)。紀元前3世紀ごろ、月にウサギが住んでいると考えられていたことになる。もっともこの「菟」をウサギと解釈しない説もある。しかし、『芸文類聚』巻一「天」部に、3世紀の傅咸の作「擬天問」から「月中何有 白兔擣藥」(月にはなにがいるのか 白い兎が薬を搗いている)なる句が引かれている。「擬天問」は『楚辞』「天問」にもとづいたものにちがいないから、「天問」の「菟」をウサギと考える人はあったのである。

 ヒキガエルとウサギ、どちらが月の住民の主役なのだろう?どちらを信じる人が多いのだろう?

 この問いはおそらくあまり意味をなさない。というのも、ヒキガエルもウサギも両方住んでいると考えられていたようであるからだ。

 1世紀、後漢の王充の著書『論衡』巻十一「説日」篇に「儒者曰『日中有三足烏,月中有兔、蟾蜍』」(儒者は言う。「太陽には三本足のカラスがいて、月にはウサギとヒキガエルがいる」)とある。王充は『論衡』のなかで、当時信じられていたさまざまな説に対して論理を展開して検証し、批判を加えている。「三本足のカラス」「ウサギ」「ヒキガエル」は批判の対象で、「太陽は火なのだからその中にいたら焼けただれてしまう」、「太陽が火なら月は水で(太陽と対にしてそう考えられていたらしい)、水のなかには生物はいるが、ウサギやヒキガエルはずっと水の中にいたら生きていられない」と述べている。つまり王充自身は「月にはウサギもヒキガエルもいない」と主張しているのだが、「いる」という説がよく知られていたからこそそう言っているのである。前述の『初学記』巻一「月」部には「蟾並兔」なる句があり、『五経通義』(紀元前1世紀の人・劉向が書いたとされる儒教の経典の注釈。すでに伝わらない)の「月のなかにウサギとヒキガエルがいるのはなぜか。ウサギは陰であり、ヒキガエルは陽である」という句を引いている。

 文献以外にもウサギ、ヒキガエルがなかよく住んでいたことがうかがえるものは多い。たとえば、陝西省西安にある大唐西市博物館(http://www.dtxsmuseum.com/)に収蔵される唐代の銅鏡には嫦娥、ヒキガエル、ウサギ、月桂樹が鋳込まれている。

世界博物館日丨銅鏡中的嫦娥玉兔,原來有這樣的寓意 – 每日頭條 (kknews.cc) https://kknews.cc/culture/gx6rab8.html

 なかなかにぎやかな月である。嫦娥とヒキガエルが同時にいるのは理屈から言えばおかしいのであるが、「嫦娥がヒキガエルになった話」をひとつの平面上で表現しているのだろう。このような、ヒキガエルとウサギが同時に描きこまれた絵は多く見られるという。

 そしてこの銅鏡でウサギがなにをしているかといえば、後ろ足二本で直立し、前足で長く太い棒を持ち、下に置かれた壺のような容器の口に垂直に突き下ろしている。日本の餅つきによく似た動作であるが、これが傅咸の言う「擣藥」(薬を搗く)なのだろう。つまり、ウサギは漢方薬の材料を砕き、混ぜ合わせる作業をしているのである。どんな薬を作ろうとしているのか。嫦娥が不死の薬を盗んで月に逃げたという伝説もあることだから、不死の仙薬なのかもしれない。
 おもしろいのは、日本では「なぜウサギが餅をつくのか」に対し、「もちつき(望月)」だからだというしゃれが言えるが、中国語では「満月」と「擣藥」とはまったく似ていないことである。かの国では「ウサギの薬搗き」はすくなくとも音声的にはかかっていない。

 中国はいまやアメリカにならぶ宇宙大国となりつつあり、月の探査にも積極的だ。その中国が飛ばした月探査機の名が「嫦娥」、そこから降ろされて月面を走り回る探査車は「玉兔」である。「嫦娥」は5号機まであり、「玉兔」は2号機まで出ている。いまでも(壊れさえしないかぎりは)不死のウサギとヒキガエルが次々生まれ、月へと向かっているわけである。

 中国の人々にとっての月は、ゲコゲコ、ザクザク、ドンドンとにぎやかなようである。

 September 28, 2023

※トップページに掲載している図像は寺島良安編『和漢三才図会』(国立国会図書館蔵、請求記号: