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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

COLUMN

【アジア研究多士済々】 永田淳嗣 先生(総合文化研究科)

永田淳嗣先生

総合文化研究科准教授

活気あふれるアジアのフロンティア地域の農村社会を描く

 

 

―ご専門は人文地理学ですが、そこに進まれたきっかけを教えてください。

もともと知らない世界に興味があり、研究であれ仕事であれ、海外に関わりたいと思っていました。サラリーマンの家庭に育ったため、農村というのも未知の社会として興味がありました。人文地理学に進学したのも、世界の隅々を見て回りたいと思ったからです。学部のころ、イギリス、アイルランド、スペイン、ポルトガルなどの大西洋沿岸地域や、旧ソ連のグルジア、アゼルバイジャン、アルメニア、キルギス、ウズベキスタンなどを回りました。人文地理学研究室でも、未知の世界に行ってみることが流行していました。学部4年の時には卒業式もそこそこに、中国の雲南、四川、四川のチベット族地域などを回りました。

研究としても、途上国の農村をやりたいと思っていました。当時の研究室では、学部・修士のうちは日本で調査技術を身に付け、それ以降海外で調査をしなさいという雰囲気でした。そこで、卒論では沖縄を調査地としました。沖縄は小学生のころ住んでいたところで、日本とアジアの要素がまじりあうと同時に、政治経済的には周辺的な地域でした。周辺的な地域とは、黙っていては人やお金が逃げて行ってしまうような地域です。そこに人はどうやって生活の基盤を作っていくのか。多分に日本の他の地域とは異なる要素があるとはいえ、調査が日本語でできるという面もありました。注目したのは、離島部のサトウキビのモノカルチュア経済です。1970年代後半~1980年代前半にかけて、返還後の沖縄の砂糖産業は活気づいていました。多良間島に2か月滞在し、40軒程度の集落を悉皆調査しました。製糖工場に住み込んで自転車でまわりました。修士課程では、南大東島で調査し、台湾や韓国からの労働者受入が停止した後の、大型収穫機械を用いた生産構造を調べました。

商品作物に特化した農村への関心

その後、海外に出るチャンスをうかがっていました。沖縄で調査した砂糖は、コメのような自給作物とは対照的な国際商品です。日本人による海外のモノグラフは稲作農村を対象としたものが多く、商品作物に特化した社会の研究はあまりありませんでした。ミンツの『甘さと権力』(平凡社、1988年、原著は1986年)にも触発され、現代のプランテーションを取り上げたいと思いました。候補は、サトウキビのプランテーション、植民地の混成社会の名残があったカリブ海や、カカオ・アブラヤシなどの商品作物プランテーションがある西アフリカなどでした。「ポリティカル・エコロジー」という概念に触れて、社会・自然の脆弱な地域における生存戦略についても関心を持ちました。

博士課程には進学せずに助手となったのですが、その時に駒澤大学の茭口善美先生からマレーシアの調査にさそわれました。最初は、マレーシアはもはや先進国に近く、農業において大きな問題はないのでは?と気が進みませんでした。ただ、プランテーションがある社会でしたので、行くことを決めました。東京外大の宮崎恒二先生の多民族社会における異化と同化を考える共同研究に参加し、調査の準備をしました。

1992年頃、レンタカーでマレーシア(マレー半島部)全土を回りました。半島南部・ジョホール州の調査地は、特に理由があって決めたわけではありません。ただ、これまでの日本人の調査研究が稲作地域、マレー人の研究はゴム小農の地域が多く、ジョホールのような開拓的な社会はあまり調査されていませんでした。調査地は1900年前後に開拓されたのですが、主力作物はココヤシから調査当時はアブラヤシに変化しており、稲作は最初からありませんでした。住民もマレー系はジャワ、ブギス、バンジャルなどインドネシアから来た人々で、華人も多くいました。移民が定住し、マレーシア化していったという点で、東南アジアのフロンティア社会の典型でした。

調査では、農村に滞在するかたわら、ジョホール州の文書館にも行って公文書にもあたり、歴史学的な研究手法もとりいれました。狭い意味での地理学という方法論だけではなく、社会科学として地域を研究し、できる限り立体的に地域社会を描くことを目指したのです。

マラヤ大学で研究員となって長期滞在し、調査を行いましたが、出てきた結果は農村の空洞化でした。プランテーションは、海外から労働力を入れて維持を図っていました。興味深かったのは、農業に対する社会の見方は日本に比べて非常に冷めていて、空洞化というような現象にもあまり悲壮感はありません。たとえば、日本でよく問題とされる耕作放棄地について、ココヤシ農園が野鳥の楽園と化したりしていますが、村の親世代の人たちも若者が都市の産業に移るのは自然の成り行きで、よいことだといいます。後継者問題というのもありません。家という概念が弱いマレー人の社会では、農業経営やそれに必要な土地を家で継承するという意識がありません。相続も均等に近いため、農業を始めようとする人は、親から土地を受け継ぐのではなく、ゼロから始めるのが当たり前なのです。日本と違い、こうした農村の状況にあまりネガティブな意識が持たれていなかったのは新鮮でした。

これはこれで面白かったのですが、マレーシアで農業が産業として活性化しているかというとやはりそうともいえない。ちょうど調査地で私が滞在していた主人の農園で働くインドネシア人の労働者から、折に触れスマトラのプランテーションの拡大について聞き、スマトラのリアウ州で調査をすることにしました。2000年代初めの頃の事です。調査の段取りや調査許可の取得については、マレーシア以上に複雑でした。2~3年準備にかかりました。スマトラでは、プランテーションの拡大にともない、大量に流入した労働者の社会経済変容を調べました。

―調査をするうえで、マレーシアとインドネシアの違いについてはいかがでしょう。

マレーシアとインドネシアは似ていると言われますが、違いは大きいです。マレーシアでは農村に滞留している人は少なく、中産階級が出現していますが、インドネシアではアブラヤシをビジネスチャンスととらえる人もいれば、下層労働者も多く、社会の流動性も高いように感じます。マレーシアでは政治家は表のメンツにこだわりますが、インドネシアでは社会のルースさがあり、比較的自由にものが言えます。ただしその背後には、官僚や軍など、重層的で巨大な組織の動きを感じます。言葉も同じと言われますが、意外に違いが大きいです。ただ、両国に関わりをもつと、インドネシアの人にマレーシアのことを教えてあげたりして、コミュニケーションのきっかけにもなります。双方を相対化する視点も持てるという点でも、プラスに作用していると思います。

参与観察、資料調査…あらゆる方法を駆使して論をたてる

―現地での資料調査について教えてください。

メインはフィールド調査なのですが、文献資料は調査で浮かび上がったストーリーを補強する材料になります。公文書によって、地域の開発の過程をある程度再構築できるためです。資料としての土地台帳は土地局にあり、原本をみることができたので、地籍をデータベース化しました。登記はその当時も有効だったのですが、紙が劣化しているものもあり、触ると崩れてしまったりして扱いが大変でした。スタッフと仲良くなり、利用しながら整理してあげたりもしました。日本占領期の土地台帳に書かれた日本語の意味を教えてあげたこともあります。土地台帳では、ジャワ系の開拓者がすぐに土地の権利を華人に売ってしまったり、インド人のチェティアールに担保に出したりする様子がわかりました。地理学は、時には人類学的な参与観察を行うこともあれば、歴史学的な資料調査をくみあわせることもあります。自分の論をたてるために手段は選びません。
マラヤ大学では、カード目録を繰って資料を調査しました。現地で歴史研究者と交流する機会もありましたが、地道な作業をつみあげていく点には感心しました。アカデミックな確実性を保証するため、95%までいっても、最後の5%をつめる作業が難しいのですね。収穫が少なくとも、網羅的に調べることによってアカデミックな確実性が保証されることの価値を感じました。

―図書館に期待することを教えてください。

個人的には、目に見えるのが良いと思います。単に自分の関心がある本を探すというだけではなく、歩いて棚を見て、網羅的に全体を見ることで、新たな関心を発見することができます。開架であれば、実際に眺められます。現在は図書館同士の連携も深まっているので、ターゲットが決まっていれば資料は探しやすいのですが、発見がしにくい。
あと、地理学だと統計を使うことも多いのですが、分散してしまっています。新しいものはオンラインで入手できますが、古いものはできないので、まとまっているとレファレンス的に使いやすいです。

―おすすめの図書を教えてください。

自分が昔読んで面白いと思った本として、大野盛雄編著『アジアの農村』(東京大学出版会、1969)があります。こういうモノグラフを書きたいと思いました。これは、東大の地理学教室出身の4人が各国での村落調査をまとめたものです。古い本ですが、村落を閉じたミクロコスモスとしてとらえるのではなく、社会全体の中に位置づけ、その構造を考える素材としてとらえています。村落は連鎖的に繋がった社会の一部ということです。4人の著者はそれぞれの地域について、一人の人物から村落、地域、さらに広い社会へとフォーカスを広げていっており、議論の仕方が参考になります。学生の皆さんに言いたいことのひとつは、これはという研究をみつけたら,最初はどんどん真似をしたらよいということです。よいものをまねつつ、自分の中身を入れていくのです。よいモノグラフを見つけて、スタイルを身に着けてもらえればと思います。

―ありがとうございました。

(2017年12月、インタビュアー:坪井・澁谷)