U-PARL特任研究員
澁谷由紀
◎古田元夫文庫のベトナム語・英語併記資料
別記事「古田元夫文庫」で触れているように、東京大学アジア研究図書館の古田元夫文庫に含まれる資料の多くは、ベトナム語で記述されている。ベトナム語はローマ字表記であり、比較的「とっつきやすい」言語であるとはいえ、アジア研究図書館の利用者の多くは、「古田元夫文庫の資料は自分と縁のないコレクションである」と考えてしまうかもしれない。
しかしながら古田元夫文庫の資料の中には、ベトナム語と英語が併記されており、ベトナム以外の地域を研究対象にする研究者にも広く利用をお勧めしたい資料がある。一例として、本記事ではタ・フィー・ロン(Tạ Phi Long)著 『南ベトナム革命期の切手・封筒からみた郵便史の特色』(日本語タイトルは本コラム執筆者訳、ベトナム語タイトルMột số nét lịch sử bưu chính qua tem thư thời kỳ cách mạng miền Nam Việt Nam / 英語タイトルSome features of postal history in the period of revolutionary South Vietnam)を紹介したい[註1]。
◎ 戦争・革命時の実効支配と切手・郵便事業
「郵便学」者である内藤陽介氏は、その著書『反米の世界史 : 「郵便学」が切り込む』の中で、ある地域で切手を販売して郵便サービスを提供するということは、その地域が切手発行国の政治的ないし経済的な影響下におかれていることの証であり、戦争や革命などの混乱期には、その地域の実効支配者は通貨に次いで切手を発行するのが常である、と述べている(内藤 2005: 6)。ベトナムを扱った同書の第6章「反米のシンボルとしてのベトナム」(内藤 2005: 175-216)[註1]や、(板橋 2014: 52-53)にまとめられているように、20世紀のベトナムでは、革命と戦争の中、さまざまな政府・組織によって郵便切手(以下、切手)が発行されてきた。
戦争のなかでもとくにベトナム戦争期について述べれば、ベトナム戦争の一方の担い手は、南の親米反共政権(当初はベトナム国、1955年以降はベトナム共和国[註2]と、それを支援した米国ならびにその同盟国であり、これと対抗したのが、南の親米政権を打倒し南北統一を達成しようとした北のベトナム民主共和国[註3]および南の南ベトナム解放民族戦線[註4]だった(古田 2021: 189)。
本コラムで取り上げる『南ベトナム革命期の切手・封筒からみた郵便史の特色』は、このベトナム戦争の構図の中で、南ベトナム解放民族戦線と、同戦線を基礎として1969年6月に設立された南ベトナム共和臨時革命政府[註5]が発行した切手や、それらの切手が貼られていたりそれらの郵便印(いわゆる消印)が押されていたりする封筒(カバー)を主な分析対象にした書籍である。
◎南ベトナム解放民族戦線の切手と「交連」
「解放戦線の切手」と聞けば、その本拠地が置かれたジャングルの中や解放区内でのみ流通した切手といった印象を持つ方が多いかもしれない。しかしながら、南ベトナム解放民族戦線が発行した切手は、当時よりベトナム国外の切手収集家に対して販売された(Tạ Phi Long 2012: 25)(後藤 n.d.)。今でも日本のオークションサイト上などで当時国外向けに販売されたものと思われる南ベトナム解放民族戦線の切手が出品されているのを見かけることがある。
本書第1章「歴史的背景の概略と南ベトナム解放民族戦線の郵便切手の誕生」によれば、南ベトナム解放民族戦線が最初に切手を発行したのは1963年10月5日であり、同戦線は1970年までに6シリーズ22種の切手を発行した。発行の主な目的は、(1)南ベトナム解放民族戦線の反響と威勢を国際的に固め、(後の)南ベトナム共和臨時革命政府樹立のための足掛かりにすること、(2)将来、解放区で利用したり、競合区においてサイゴン政権の発行するベトナム共和国の切手にかわって使用したりすること、の2点であった(Tạ Phi Long 2012: 14)。競合区とは南ベトナム解放民族戦線とサイゴン政権の支配力が競合している地域をいう。
一方で南ベトナム解放民族戦線の切手には、当時から、「現実には解放民族戦線は郵便切手を必要とするどんな類の郵便制度も有しなかった」(パイク 1968: 16)という指摘もあった[註6]。現在、ベトナム国外では、南ベトナム解放民族戦線の切手は政治宣伝のためだけに刷られ、郵便事業には使用されなかったというのが定説になっている(Tạ Phi Long 2012: 15)。
本書もこの定説に対し、第2章「郵便切手」において、「南ベトナム解放民族戦線時代については、切手は郵便でほとんど使用されなかった」(Tạ Phi Long 2012: 29)、「当時、戦線は公開の郵便局網を組織できておらず、ほとんどすべての民間の信書は旧サイゴン政権の郵便局システムを通じて送達されており、一方軍隊の手紙については…(中略)…大部分は軍隊の郵便集配所から送られるか、交連(giao liên)ルートを通じて引き渡された」(Tạ Phi Long 2012: 53)と、南ベトナム解放民族戦線が切手を発行していた時期、すなわち1960年代には郵便制度が成立していなかったことを認めている。「交連」の正確な定義は明白ではないが、(Trần Bạch Đằng 1998; Trần Bạch Đằng 2022)等ベトナムの郵便史を扱った文献からは、公文書等を身に着けて運んだり、主に本や新聞を内容とする郵便物を運送したり、小型武器や爆発物、金銭、治療薬を移動させたりすること、(解放区/競合区/サイゴン政権支配地区の間を行き来する)幹部の道案内をすることだと理解できる[註7]。
したがって、本書はこの有名な「解放戦線の切手」やその郵便事業関して根本的な見直しを求めるような本ではない。また、実際のところ「解放戦線の切手」に割かれているページはわすか10頁にとどまる。
◎南ベトナム解放民族戦線から南ベトナム共和臨時革命政府へ
では、本書の内容の中心はどこにあり、何が新しいのか。本コラムの執筆者が考えるに、本書は、1970年代に南ベトナム共和臨時革命政府の発行した切手とその郵便事業に重点を置いた本であるという点で着目に値する。その一つの理由としては、南ベトナム共和臨時革命政府の切手や郵便事業は切手愛好家の間であまり知られていないことがある。しかしより重要な理由は、南ベトナム共和臨時革命政府自体、ベトナム国内において評価が一定していない可能性があるからである[註8]。
前述のように、南ベトナム共和臨時革命政府は南ベトナム解放民族戦線を基礎として1969年6月に設立された。革命勢力側が南ベトナム共和臨時革命政府を設立するに至った背景には、1968年5月よりパリ会談における外交交渉がはじまる中、会談内でまた国際的に南ベトナムの革命政権の持つ法的地位を高めるため、ベトナム南部の人民を代表する政体を持つ必要があったという事情がある(Nguyễn Đình Thống 2019: 116-117)。実際に、南ベトナム解放民族戦線は1969年1月からパリ会談(「四者」会談)に参加していたが、同年6月以降は南ベトナム共和臨時革命政府が同戦線に代わり会談に参加することになった(遠藤 2000: 54)。
パリ会談という外交の舞台でみられた南ベトナム解放民族戦線から南ベトナム共和臨時革命政府へという流れは切手の上にもあらわれた。「1970年、南ベトナム解放民族戦線の切手は発行され続けたが、「切手の名前とタイトル(tên và tiêu đề)」が『南ベトナム解放民族戦線』から『南ベトナム共和(Cộng hòa miền Nam Việt Nam)』に変わ」ったのである(Tạ Phi Long 2012: 14-15)。
この「切手の名前とタイトル」というのは、通常の国の切手であれば国名表記にあたり[註9]、現在ベトナムで発行されている切手であれば「ベトナム(Việt Nam)」、当時南の親米反共政権であるベトナム共和国が発行していた切手であれば「ベトナム共和国(Việt-Nam Cộng-Hòa)と表記されている部分に相当する。
「南ベトナム共和」をタイトルとする切手の発行は1976年6月24日まで続いた(Tạ Phi Long 2012: 14-15)。ベトナム戦争は1975年4月30日の「サイゴン解放」(サイゴン陥落)=ベトナム共和国滅亡で終結し、1976年7月2日には南北ベトナムが国家的に統一してベトナム社会主義共和国(現在のベトナム)が生まれた。要するに「南ベトナム共和」をタイトルとする切手はベトナム戦争終結を経てなお南北の国家が正式に統一する直前まで発行され続けた。
◎分断国家の統一過程における南ベトナム共和臨時革命政府の郵便事業の展開
以上、南ベトナム解放民族戦線の発行した切手に続き、南ベトナム共和臨時革命政府が発行した切手について概要をみた。しかしながら本書の内容の大部分を占めているのはこれらの切手そのものについての議論ではなく、南北ベトナムが統一していく過程において、南ベトナム共和臨時革命政府の郵便事業がどのように実際に展開していったのという議論である。そしてこの議論の論拠として切手とともにふんだんに使われている資料が、郵便印の押された封筒である。
例えば前述のように、南ベトナム解放民族戦線の切手の「実逓」性はほぼ否定されているわけであるが、南ベトナム共和臨時革命政府発行の切手=「南ベトナム共和」のタイトルの切手については、「実逓」性が確認できると本書は主張している[註10]。
その証左の一つしてまず挙げられているのが、南ベトナム共和臨時革命政府発行の10ドン切手が貼付けられ1974年5月13日の「カムロ郵便局-南ベトナム(Cam Lộ – Miền Nam Việt Nam)」の通信日付印が押された軍隊の私書箱(hòm thư quân đội)宛ての封筒である(Tạ Phi Long 2012: 31-51)。カムロというのは中部クアンチ省の一県であり、クアンチ省は1972年に革命勢力側の春季大攻勢が行われた地域として有名である。本書によれば、「1972-73年より解放軍はクアンチ省の一部地域にて完全な占領・支配をなしえ、初の郵便局が正式に設立されて運営が開始され、これらの郵便局は、県(または市)レベル以上(の単位)で組織され、郵便局の県名と「南ベトナム(MN. VIỆT NAM)」という文字の印を備えた」(Tạ Phi Long 2012: 29)という。
したがって、この封筒は、「その地域が切手発行国の政治的ないし経済的な影響下におかれていることの証」(内藤 2005: 6)となることを目指して革命勢力側の組織/政府が発行してきた切手が、革命勢力側がベトナム全土を掌握していく過程の中で、実際に郵便事業で使用されるようになった「証」と位置付けられる。
さらに第4章以下では、郵便印や額面、料金、使用された地理的範囲等などの各トピックについて、「実逓」資料を用いながら、南ベトナム共和臨時革命政府の郵便事業の姿を明らかにしている。各章の概要をまとめると下記の通りである。
第4章「郵便印とその他の印」では、「南ベトナム(Miền Nam Việt Nam)」の通信日付印が1973年半ば頃にクアンチ省で一部使用されはじめ、「サイゴン解放」から1977年まで(一部の省では1978年まで)中部から南部全域にかけて一般的に使われたこと、「サイゴン – ザディン市」が正式に「ホーチミン市」と改称されることが決まった1976年7月以前に「ベトナム – ホーチミン市」という通信日付印がよく使用されたこと、おそらくはすべての郵便局に「南ベトナム」の通信日付印を配るには数が足りなかったことにより、「サイゴン解放」後もいくつかの省や県でベトナム共和国時代の通信日付印が使われ続けたことなどが明らかにされる(Tạ Phi Long 2012: 64,68, 118, 121-126)。
さらに第5章「1975年4月30日以降の南ベトナム共和の郵便活動」においては、通信日付印や記念印から判明する「サイゴン解放」直後の郵便事業や、「サイゴン解放」直後の南から北への郵便物について扱われる(なお、この時期南北をまたぐ郵便物には航空扱ではない郵便物もすべて航空機に積載されたという)(Tạ Phi Long 2012: 150-154, 157-158)。
第6章「国内郵便料金」と第7章「国外郵便料金」は郵便サービスの料金システムや、使用された切手について記述された部分であり、前者では額面の切り替えの問題(Tạ Phi Long 2012: 163, 191-194, 202)、後者では「いくつかの社会主義諸国家またはラオス・カンボジア・中国などを含むベトナム民主共和国との間で優遇郵便協定を締結した近隣諸国家」<「社会主義陣営のその他の諸国家、とアジアの諸国家」<「ヨーロッパに属する諸国家」<「アメリカ(州)に属する諸国家」の順に料金が高額な設定であった等の問題が扱われている(Tạ Phi Long 2012: 236-238)。
第8章「南ベトナム共和臨時革命政府の郵便切手と関連する諸問題」は、同政府の切手がベトナム北部では使用されなかったこと等を補足している章である(Tạ Phi Long 2012: 259)。
なお第3章「1975年4月30日事件の前後における主な郵便活動」では、南ベトナム解放民族戦線/南ベトナム共和臨時革命政府の郵便事業に直接的に含めえないが、それに関係する主題が扱われている。うち、第1節では、「交連」ついて、その中でもとりわけ「135局(Bưu cục 135)を経由し南北間でやり取りされた手紙、公文、資料等について扱われている(Tạ Phi Long 2012: 52-53)。また第2節では、1975年3月30日にサイゴンから(3月26日に「解放」されていた)フエに発送され、「活動一時停止のため返送 75年3月31日」と手書きされて返送された封筒など、「サイゴン解放」直前のベトナム共和国の郵便事業の最後に関する資料が扱われる(Tạ Phi Long 2012: 57-63)。
以上、本書の概要を述べてきた。全271頁の本書に掲載された405点の図版とそれぞれに付された解説を追っていくと、戦争・革命時の実効支配と切手・郵便事業との関係についてまざまざと実感することができる。本書は郵便の歴史を考えるうえで非常に重要な本であるといえよう。
ベトナム近現代史に興味を持つ方や切手愛好家の方のみならず、国家とは何かという問題に関心を持つ方にも一読をお勧めしたい。
なお、東京大学OPAC等で世界各地の切手や郵便に関する資料を検索する際は、件名「Postage stamps」や「Postal service」での検索が有用である。思いもかけない資料が学内外の図書館に所蔵されているかもしれないので、件名を活用した検索を一度お試しいただきたい。
<註>
[註1]『南ベトナム革命期の切手・封筒からみた郵便史の特色』と異なり、『反米の世界史 : 「郵便学」が切り込む』の第6章では、北のベトナム民主共和国の切手を主に扱っており、またベトナムの抗米戦争支持をモチーフにした中国と北朝鮮の切手、キューバ、ソ連、ハンガリーで印刷されたベトナム民主共和国の切手等についても言及がある(内藤 2005: 202-204)。
[註2]サイゴン政府、サイゴン政権ともいわれる。1955年10月にアメリカが擁立したゴー・ディン・ジェムによって成立が宣言された。
[註3]1945年9月ハノイでホー・チ・ミンにより成立が宣言された。1976年7月にベトナム民主共和国政府と南ベトナム共和臨時政府が正式に統合され、国号はベトナム社会主義共和国に改められた。
[註4]1960年12月に結成された反米・反ジェムの民族統一戦線。
[註5]パリ会談での南ベトナム解放民族戦線の立場を強化するため同戦線を基礎として設立された。日本語では南ベトナム共和国臨時革命政府、南ベトナム臨時革命政府とも表記される。本コラムでは1975年7月15日の国連加盟申請時の電報(フランス語原文)の国連による中国語訳(UN. Secretary-General 1975)を参考に南ベトナム共和臨時革命政府と表記する。
[註6]なお、パイクはこれらの切手の売り手をベトナム民主共和国であるとしている(パイク 1968: 16)。
[註7]革命勢力側の「交連」とベトナム共和国側の郵便制度については、桜井由躬雄文庫に含まれている『ホーチミン市郵便史:草稿』(Lịch sử bưu điện thành phố Hồ Chí Minh : Sơ khảo)(OPAC登録準備中、国内では東京大学アジア研究図書館のみ所蔵)にも詳述されているので参照いただきたい。ただし『ホーチミン市郵便史:草稿』においては、「交連」ではなく「交郵(giao bưu)」という用語が使用されている(Trần Bạch Đằng and Nguyễn Bá 1995)。
[註8]南ベトナム解放民族戦線旗/南ベトナム共和臨時革命政府旗について、(Nguyễn Đình Thống 2019: 317)では「南ベトナム解放民族戦線の旗、のちの南ベトナム共和国旗」とまで謳っている一方、本書の中には旗の印刷色の修正がシール貼付で済まされている箇所が散見される(Tạ Phi Long 2012: 5, 17, 51, 63, 149, 162, 235, 258)。なお、前者はホーチミン市出版、後者はハノイ出版であり、後者はベトナムの情報通信省の下部組織である(Bộ Thông tin và Truyền thông n.d)。
[註9]ベトナム民主共和国、南ベトナム解放民族戦線はいずれも万国郵便連合(UPU)に加盟していなかった。『国連年鑑』によれば、UPUの加盟国はベトナム共和国(1974年12月31日時点)⇒南ベトナム共和(1975年12月31日時点)⇒ベトナム社会主義共和国(1976年12月31日時点)と変化した(UNYB 1974: 1018; UNYB 1975: 1067; UNYB 1976: 1012)。
[註10]本書のこの主張はアメリカ郵趣協会(APS – American Philatelic Society)機関誌The American Philatelist上でも注目されている(Telelp 2015: 934)。
<参考文献>
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【書誌情報】
Tạ Phi Long著
出版地・出版社:[Hà Nội]: Thông tin và Truyền thông
出版年:[2012]
ISBN:9786048000417
November 8, 2022
Last updated November 9, 2022