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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

COLUMN

「ペルシアン・スケール」はペルシア音楽の音階か?

特任助教 徳原靖浩

はじめに

エレキギターの教本などをみていると、「ペルシアン(ペルシャン)・スケール」というスケール(音階)についての記述を目にすることがある。私は若い頃に読んだギター雑誌の解説記事でこの音階の存在を知り、その遠い異国の情緒を漂わせる響きに感動したのだが、それは、「ビザンティン・スケール」の別名であると書かれていたように記憶する。

どんな音階かと言えば、要するに映画『パルプ・フィクション』(1994年)のオープニングで流れるあの曲、といえば分かる人も多いのではないだろうか。ディック・デイルのギター演奏で知られるサーフ・ミュージックの定番曲、『ミザルーMisirlou』(1962年発表、当初のタイトルはMiserlou)である。

ウィキペディア上にサンプル音源がある: https://en.wikipedia.org/wiki/File:Dick_Dale_-_Misirlou.ogg

その当時は知らなかったが、この曲はオスマン帝国時代の東地中海地域に由来するとされ、ギリシアや中東に広く伝わる民謡「ミスィルルーMisirlou」(エジプト人を意味するトルコ語Mısırlıに由来)をアレンジしたものである。アメリカで生まれ育ったデイルは父方にレバノン人の祖父母をもち[1]、ウード(リュートの元になった中東由来の撥弦楽器)を弾くおじたちからこの曲を教わったという[2]

この音階が「ビザンティン」と呼ばれることに、当初は違和感をもったのだが、ミスィルルーという曲の来歴を知ると、合点がいかないこともない。しかし、「ペルシアン」という別名についてはどうだろうか。というのも、音楽は専門ではないとはいえ、大学以来イランの文学や文化に触れるなかでたびたび耳にするイラン音楽を通して、おぼろげながら私が抱いているそのイメージは、この「ビザンティン」な響きとはどうも違うように思われるのである。

大学院に入ってからこのかた、この手の話題からすっかり遠ざかっていたのだが、最近、少し思い出すことがあり、そういえば「ペルシアン・スケール」ってイランの音楽っぽくないな、そんなことを思ってしまった、それがこのコラムを書くに至るきっかけである。そしてそれは出口の見えないほど奥の深い伝統音楽の迷宮への入口だったのである。

 

ペルシアン・スケールとは?

 

さて、この素朴な疑問から始まる自由研究は、二つのプロセスを踏むことで完成すると思われる。一つ目は、「ペルシアン・スケール」がどのような音階かを確認すること、次に、実際のペルシア(イラン)音楽で、「ペルシアン・スケール」が使われているかどうかを確認することである。

まずは冒頭に述べた「ミザルー」のメロディーを構成する音階について改めて確認しておこう。この曲はエレキギターで演奏されるため、E(ミ)から始まるのだが、ここでは比較しやすいようC(ド)から始まる音階に置き換えると、以下のようになる。

C-D♭-E-F-G-A♭-B-C[3]

この音階の名称についてインターネット上で情報を集めてみると、これがビザンティン・スケールだということはほぼ間違いないのだが、「ジプシー(ロマ)・スケール」と同じだとしているものがあったり、「アラビック・スケール」や「ダブル・ハーモニック・メジャー・スケール」の別称もあるとされていたり、その一方で、「ジプシー・スケール」は「ハンガリアン・スケール」と同じであるとする情報もあったりして、整然としない。これらの名称が全て同じ音階を指しているとは思われないのだが、単にネット上の情報が信頼に値しないということなのだろうか。それとも、そもそもこの音階の名称が安定していないということなのだろうか?

典拠の不明なインターネット上の情報はひとまずおいて、文献をあたってみよう。例えば、成瀬正樹『決定版ギター・スケール・スタイル・ブック』(リットーミュージック、2009年、本稿で参照したのは電子版2016年)を見ると、「ペルシャン・スケール」の項(p. 138-139)があり、ビザンティン・スケール、ダブル・ハーモニック・スケールの別名があること、「イランのスケールである」こと、C-D♭-E-F-G-A♭-B-Cの音階であること、参考曲の一つが「ミザルー」であることが記されている。

「ミザルー」が挙げられていることから、これはまさに私がペルシアン・スケールとして記憶していたものに違いない。

 

二つのペルシアン・スケール説

 

しかし、どうやらこの認識は全世界共通のものではないようなのである。というのも、英語の”Persian scale”で検索してみると、ウィキペディア英語版の記事(https://en.wikipedia.org/wiki/Persian_scale)が見つかるのだが、そこで説明されている音階は、上記のペルシアン・スケールとは違うものなのである。

ウィキペディアの記事が信用できるかどうかはとりあえず措くとして、同記事に目を通すと、次のように書かれている。「ペルシアン・スケールは時折ギター・スケール・ブックにおいて、中東の音楽にインスパイアされた他の音階とともに見られる音階である。(中略)この音階はまた、ロクリアン・モードに長三度と長七度の音をもたせたものでもある。」

どうも、「ペルシアン・スケール」がギターの世界だけで通用するものであるとでも言いたげな文章である。それはさておき、「ロクリアン・モード」(ひとことで言えば、ドレミファソラシドをシから始める旋法)に長三度と長七度の音をもたせたもの」を、Cから始まる音階で表すと、

C-D♭-E-F-G♭-A♭-B-C

ということになる。

上述の「ミザルー」の音階と比較すると、第5音にあたるGがフラットになっている点が違うだけであるが、雰囲気はかなり異なる。サンプルはこちら:https://en.wikipedia.org/wiki/File:Persian_scale_on_C.mid

同記事の参考文献に挙げられている2点の書物を参照してみたが[4]、やはりPersian scaleは上記の音階になっており、ビザンティン・スケールとは異なるものである。また、同記事には、「ヒンドゥスターニー音楽において、この音階はラーガ・ラリットraga Lalitに一致する」とある(ラーガはインド音楽における旋法を指す)。

一方、「ミザルー」で用いられている音階すなわちビザンティン・スケールのほうは、ウィキペディア英語版では「Double harmonic scale」として説明されている(https://en.wikipedia.org/wiki/Double_harmonic_scale)。ここでは、ダブル・ハーモニック・メジャー・スケールという名称のほか、「Mayamalavagowla、Bhairav Raga、ビザンティン・スケール、アラビック(Hijaz Kar)そしてジプシー・メジャーとしても知られる」と説明されている。また、ここには「ミザルー」の原曲についても言及がなされている。

 

ここで、ビザンティン・スケールとペルシアン・スケールは同じであるという私の固定観念に、大きなほころびが生じたことは言うまでもない。

 

第三のペルシアン・スケール登場、三つ巴の争いの行方は?

 

「ミザルー」の音階がビザンティン・スケール(=ダブル・ハーモニック・スケール)であることはほぼ異論の余地がないとして、問題はペルシアン・スケールである。ウィキペディア英語版のPersian scaleの記事は、参考文献を挙げているとはいえ、本コラム執筆時点で他の言語版が存在しない、どこか全面的に依拠するのを躊躇うような記事ではあるのだが、ここに挙げられたもう一つの文献、マイケル・ヒューウィット博士の『世界の音階Musical Scales of the World』を見てみると、Persian scaleは、C-D♭-E-F-G♭-A-B♭-Cの音階で、「ロクリアン・モードの3度と6度を半音上げることで、上方と下方の両方のテトラコルド(四音音階)に増二度を持つ旋法になる。少なくとも西洋の聴き手にはとって、これは旋法に明らかな中東風の感じを与えるものである。この旋法はギリシアの民俗音楽においても用いられ、そこではツィンガニコスTsinganikosと呼ばれる」とある[5]。ツィンガニコス(τσιγγάνικος)とはギリシア語でジプシーの意味であるらしい。

因みに、テトラコルドとは、完全四度の音程の枠内に4つの音を配置した四音音階のことで、たとえばド・レ・ミ・ファとかラ・シ・ド・レとかであるが、ここに「増二度」(=1音半)を持つというのは、D♭-EおよびG♭-Aの間隔のことを指している。上の説明によれば、これが中東的な響きの理由だという訳である。

さて、これで「ペルシアン・スケール」と呼ばれうる音階が3種類存在することになった。整理すると、①一つ目はビザンティン・スケール/ダブル・ハーモニック・メジャー・スケール、すなわち「ミザルー」に用いられる音階である。日本のギター教本類には、この音階が即ちペルシアン・スケールであるとするものがある。他方、英語文献では、ペルシアン・スケールについて二つの説があり、両者はビザンティン・スケールの第5音をフラットにするという点では共通するが、第6音と第7音のどちらを半音上げ下げするかによって異なる。②第6音を半音下げたものは、ヒンドゥスターニー音楽の「ラーガ・ラリット」と一致するとされる。③第6音を下げずに第7音を半音下げたものは、ギリシア音楽における「ジプシーtsinganikos」音階と同じであるとされる。

 

①ビザンティン・スケール              C-D♭-E-F-G-  A♭-B-  C

②ラーガ・ラリット                          C-D♭-E-F-G♭-A♭-B-  C

③ツィンガニコス                           C-D♭-E-F-G♭-A-  B♭-C

 

東ローマ帝国、北インド、ギリシアのジプシーの三つ巴の様相を呈してきた訳であるが、このうちのどれが真のペルシアンであるのかを見定めるためには、イラン音楽でどのような音階が使われているのかを調べ、そこに上記の3つの音階と同じものがあるかどうかを確認すればよいように思われる。

しかし、いざイラン音楽の「音階」を知ろうとすると、そこには、西洋音楽的な音階や音律、楽曲の概念を自明のものとして育ってきた者が乗り越えなければならない認識の壁があることがわかる。例えば、ここまで、私は音階がそれ自体で存在するかのように扱ってきたが、民俗音楽や、非西洋的な芸術音楽の伝統において、音階は必ずしも具体的な旋律や楽曲から独立したものとして意識されるわけではない。基本的に即興で演奏されるイラン伝統音楽では、「ダストガー(dastgāh)」という旋法体系が、様々な旋律の型や曲の展開の類型を指す概念として用いられる。それぞれに内容は異なるものの、インド音楽の「ラーガ(rāga)」、アラブ音楽の「マカーム(maqām)」も、同様に旋法体系を指す概念である。

これらの旋法体系は、それぞれの旋法が使用する音階についての約束事をも含んでいるため、音階と混同されやすい。本コラムでここまで参照してきたいくつかの文献においても、インド音楽の「ラーガ・ラリット」やアラブ音楽の「Hijaz Kar」など、旋法の名称が音階として用いられている。一般向けの解説において数多く見られるこうした混用は、説明を容易にするために敢えてなされる面もあると思われるが、それによって伝統音楽の重要な側面を見失わせる可能性がある。また、音律面でも、平均律ではない、要するにピアノでは出せない微分音が用いられているため、単純に音階を比較できるとは限らない。

その辺りの注意点を踏まえた上で、敢えて「ペルシアン・スケールはペルシア音楽の音階か?」という素朴な疑問を追求していきたいのだが、ここまでですでに相当の文字数を費やしてしまったので、この自由研究の続きについては次の機会に改めて紹介することにしたい。

なお、イラン伝統音楽については多くの専門的研究がなされている。イラン音楽について興味を持たれた方向けに、日本語で比較的簡単に手に取れるものを紹介する。谷正人『イラン音楽:声の文化と即興』(青土社、2007年)はイラン音楽の即興概念について考察しており、具体的な旋律型の分析を含む本格的な論考である。豊富な譜例とともに音源CDが付属しているのがありがたい。『中東・オリエント文化事典』(丸善出版、2020年)には同著者による「イランの音楽」の項(p. 474-475)があり、ダストガーについて簡潔に説明している。また、イランを含む西アジア〜アンダルシアの音楽についての論考を収めた西尾哲夫・堀内正樹・水野信男編『アラブの音文化:グローバル・コミュニケーションへのいざない』(スタイルノート、2010年)は、上述のマカームやダストガーなどの旋法の概念を理解する一助となるだろう。■

[1] “Remembering Dick Dale, ‘King Of The Surf Guitar’.” Fresh Air, March 22, 2019. Gale General OneFile (accessed August 31, 2022). https://link.gale.com/apps/doc/A580054145/ITOF?u=unitokyo&sid=summon&xid=578ab4fd.

[2] “Dick Dale’s Guitar Screams With Pain And Pleasure.” Weekend Edition Sunday, September 26, 2010. Gale Academic OneFile (accessed August 31, 2022). https://link.gale.com/apps/doc/A238028317/AONE?u=unitokyo&sid=summon&xid=acc4cd7f.

[3] ただし、ブラス・パートの旋律の下降時には第7音がB♭になる。

[4] Mark Sternal, Guitar: Total Scales Techniques and Applications. Mjs Music & Entertainment, revised & updated ed. 2015, p. 156(筆者はページ付けのないKindle版を参照);Troy Stetina, The Ultimate Scale Book: A Crash Course on Fingerings, Applications, and Guitar. Hal Leonard Corp, 1999, p. 60.

[5] Michael Hewitt, Musical Scales of the World. Note Tree, 2013, p. 105.

 

October 18, 2022


(続)「ペルシアン・スケール」はペルシア音楽の音階か?