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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

COLUMN

(続)「ペルシアン・スケール」はペルシア音楽の音階か?

特任助教 徳原靖浩

前稿からの続き)

さて、前稿では、実際のイラン音楽ではどのような音階が用いられているのか、という素朴な疑問を解き進めるにあたり、旋法と音階を混同してはいけないという点を述べた。

無論、これはアジア音楽に限ったことではない。イラン音楽の旋法体系「ダストガー」についての基本文献の一つ、The Dastgah Concept in Persian Musicの著者ホルモズ・ファルハット氏も述べているように、「特定の音階があってそこからイラン音楽の旋法が構築されるというような考えは全くもって的外れであり、そのように考えることは、イラン音楽のみならず全ての音楽的伝統について的外れである[1]

とはいえ、音階は旋法の重要な要素の一つであるということもまた事実である。旋法から離れて音階の議論が独り歩きすることへのハルハット氏の警句をしっかりと受け止めた上で、ここでは敢えて音階に注目するのだということをご理解いただきたい。

 

音階を比較する

さて、前稿では、以下の3つのスケールが「ペルシアン(ペルシャン)・スケール」と呼ばれている事実について述べた。

①C – D♭ – E – F – G – A♭ – B – C         (別名ダブル・ハーモニック/ビザンティン・スケール)
②C – D♭ – E – F – G♭ – A♭ -B – C         (北インド音楽のラーガ・ラリットと同じとされる)
③C – D♭ – E – F – G♭ – A – B♭- C         (ギリシャ音楽のツィンガニコスと同じとされる)

ところで、『ミザルー/ミスィルルー』の旋律は、単に①のビザンティン・スケールをなぞったものではない。前稿でも注記したように、『ミザルー』の2つめのセクションの旋律は、下降時に第7音(ここではB)がフラットになっている。これはフリジアン・ドミナント・スケールとして、ペルシアン・スケールより広く用いられるものである。

④C – D♭ – E – F – G – A♭ – B♭ – C         (フリジアン・ドミナント・スケール)

では、これらを端的にイラン(ペルシア)音楽で用いられる主な音階と比較してみよう。イラン伝統音楽の旋法体系は、ダストガーDastgāh[2]という名称で知られる。Wikipedia英語版や欧文の文献の中には、12種のダストガーの名称ととともに音階を表にしたものを目にすることがある。ダストガーについての細かい説明はさておき、まずはロイド・ミラー氏の『ペルシアの音楽と歌:アーヴァーズの技法』から、旋法ごとの音階を簡潔に示した表を引用してみよう[3]

表(1):ロイド・ミラーによる旋法ごとの音階

pはイラン音楽の記譜法でセミフラットを示す「コロンkoron」記号(実際には、三角の旗のような形)の代用として用いられているものである[4]。例えばApは、AとA♭の中間の音であるとされる(ただし、実際の演奏においては必ずしも厳密な四分音ではない場合がある)。下線で示した音は旋法において主音となる音である。

この表では開始音がそれぞれに違っている。本来、特に伝統音楽においては、音階が楽器の構造と不可分に結びついているため、どの音階も同じ音で始められると考えるほうが不自然なのであるが、ただ、これでは絶対音感のない私のような人間には各音階の比較が難しいので、ここでは、音と音の音程差を数で示すことで、その構造を比較してみよう。

例えば、我らがビザンティン・スケールの場合、Cから始まる音階はC-D♭-E-F-G-A♭-B-Cであるが、その響きの特徴は、〈半音-全音半-半音〉という音階を二つ(C-D♭-E-FおよびG-A♭-B-C)含んでいることであろう。こうした音程上の距離を、半音を1、全音を2、全音半を3として表すと、1-3-1-2-1-3-1となり、〈半音-全音半-半音〉(1-3-1で表される)を二つ含むということが一目瞭然となる。各音階を同様に数値化したものが以下の表である。

表(2):音程差による音階の比較

音階の構造をこのように比較してみると、一見して、上の「ペルシアン・スケール」候補群と同じものは、下のイラン伝統音楽の代表的旋法には見当たらないことがわかる。イラン伝統音楽の音階は四分音を含むため、西洋音階にはない1.5(半音+四分音)や2.5(全音+四分音)という間隔が目立つ。

その意味では、「ペルシアン・スケールはペルシアの音階ではない」と言えるだろう。そもそも、伝統音楽あるいは民族音楽においては、音律が西洋的な平均律とは異なっていても不思議ではないのだから、微分音を用いずにその音階を五線譜上に表せると思う方がおかしいということになる。

しかし、話はここで終わりではない。実際にイラン音楽を聴いてみると、中には、どことなくペルシアン・スケール風に聞こえるものも存在するのである。その理由は、まさにこの音律の微妙さにある。

本稿でいう「ペルシアン・スケール」候補群にオリエンタルな響きを与えているのは、前半の四音階に共通する「1-3-1」(太字部分)の構造である(この四音階は、アラブ音楽では「ヒジャーズ」と呼ばれる)

上記のイラン音楽の音階の内、ホマーユーン、バヤーテ・エスファハーン、チャハールガーの音階は、「1.5-2.5-1」(赤字部分)の四音階を持っており、これは、「1-3-1」の音階と比較すると、第2音を少し上ずった感じにしたものだと言える。「1.5-2.5-1」と「1-3-1」を同じものとして見るならば、ホマーユーンおよびバヤーテ・エスファハーン旋法の音階は④フリジアン・ドミナント・スケールに、チャハールガー旋法の音階は①ビザンティン・スケールに近いことになる。

ただし、ロイド氏の表にあるように、ホマーユーン旋法とバヤーテ・エスファハーン旋法は、第4音が主音となっているため、旋律の与える雰囲気はフリジアン・ドミナント・スケールとも幾分異なる。いずれにしても、「1.5-2.5-1」の音階が「1-3-1」っぽく聞こえ得るという条件下においてのみ、「ペルシアン・スケール」候補群の中では①ビザンティン・スケールがイラン音楽の音階に近いものであると言えそうである。また、ギリシャのジプシーこと③ツィンガニコスとは、ビザンティン・スケールを第5音から始めたものに他ならない。

前稿の議論では、日本のギター教本類の中でのみ通用する、グローバル・スタンダードを前に異端視されそうになっていた「ビザンティン・スケール=ペルシアン・スケール」説が、ここへきて俄然有力視されるに至ったではないか。欧米文献の言うことを鵜呑みにしないで、複数の資料を元に自分の頭で考えることの重要性が知れるというものである。

 

おわりに

さて、以上の議論を踏まえると、巷で言われる「ペルシアン・スケール」は、音律の違いを考慮するならそもそもペルシア音楽の音階ではあり得ないのだが、逆にその音律を微妙な音程のずれの余地のあるものと考えるならば、ペルシア音楽でもそれに似た音階が使われ得るということになる。留保だらけの結論で断定できないのがもどかしいようだが、世の中の現実というのは大抵そのようなものだ。

とはいえ、これは飽くまでも音階だけに限った話。くどいようだが、「かえるのうた」と「チューリップ」が別の曲であるように、旋法体系が異なれば、同じ音階でも全く別のメロディー、別の曲になることは言うまでもない。その意味では、音階の同一性を議論してもあまり意味はないのである。試しに、dastgah-e homayun, chahargah, bayat-e esfahanのような単語で検索して、ネット上で公開されている音源を聴いてみていただきたい。ところどころペルシアン・スケール風に聞こえるものがあるかも知れないが、ミザルーのようにあからさまに音階をなぞるようなものは少なく、おおむねペルシアン・スケールのイメージとは異なる、独自の世界観をもつ音楽であることがわかるだろう。

なお、本稿ではダストガーの理解に重要な諸概念(グーシェ、ラディーフ等)を省略して議論を進めてきたため、イラン音楽の旋法や即興概念についてより正確な情報を知りたいという方は、前稿および本稿で言及した文献や、それらの中で挙げられている研究文献を参照されたい。また、オンライン版Encyclopaedia Iranicaの記事には、サンプルの音源を含むものがあるので一聴をお勧めする。

Encyclopaedia Iranicaにおけるダストガー関連記事:

※Brill版Encyclopaedia Iranica Onlineにも同記事がある。 https://referenceworks.brillonline.com/browse/encyclopaedia-iranica-online

[1] Hormoz Farhat, The Dastgah Concept in Persian Music, Cambridge: Cambridge University Press, 1990, p. 16. 下線は引用者による。
[2] dastgāhの後末のhは発音される子音であるので、ダストガーフ、ダストガーハというカタカナ表記も考えられるがここでは先例に従いダストガー、セガー、チャハールガーのように表記する。
[3] Lloyd Clifton Miller, Music and Song in Persia: The Art of Āvāz, p. 58. Richmond: Curzon, 1999.
[4] https://en.wikipedia.org/wiki/Koron_(music) を参照。

December 8 , 2022