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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

COLUMN

書風を記述することは可能か?―公開討論会「朝鮮時代公文書における草書:東アジア書字文化比較研究の試み」司会者のつぶやき―

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U-PARLでは去る9月21日、公開討論会「朝鮮時代公文書における草書:東アジア書字文化比較研究の試み」を開催しました。ご来場くださった皆様には、主催者を代表して司会者から御礼申し上げますとともに、時間配分等運営に至らないところがございましたことをお詫び申し上げます。

沈永煥先生には、主にご著書『朝鮮時代 古文書 草書體 研究』(ソウル、笑臥堂、2008年)の内容に沿って、中国における草書の発生、朝鮮における草書の受容、法帖とよばれる手本類の流通等の背景をふまえ、朝鮮時代の告身、試券、立案、所志、朝報といった各種公文書における草書の使用について、詳細なご報告をいただきました。司会者は中国書道史を専門としていますが、朝鮮書道史や古文書学についての知識は全くなく、新鮮な驚きの連続でした。一例を挙げますと、草書の下位分類の一つとして「狂草」という書体があり、その名のとおり文字としての可読性すら危うい自由な書きぶりを特徴としますが、朝鮮時代の試券(科挙の答案)は、一部をこの狂草体で書くことが求められたというのです。中国の科挙の答案は楷書で丁寧に書くのが常識であり、同じような書字文化を共有しているように見える東アジアにも、じつは地域によって驚くべき差異があったのです。

IMGP1023沈永煥氏による発表。

増田知之先生には、沈先生の発表内容をふまえ、東アジアの書字文化全体を視野にいれたコメントをいただきました。司会者にとって特に印象深かったのは、書の手本である法帖の刊行に、中国・明朝の皇帝権力は消極的であったが、朝鮮国王は積極的であり、満洲族である清朝皇帝もまた文化政策の一環として積極的に介入していたという論点です。書を中華文明の一つの結晶とするならば、異民族のほうがむしろそれに対する介入に積極的であったのは面白い現象といえるかもしれません。もう一点は、日本近世の公文書に広く用いられた「御家流(青蓮院流)」という一種の草書体との比較です。増田先生のコメントによれば、御家流が普及した背景には出版文化の存在があり、大量の手本が流通することによって草書の可読性が担保されたといいます。しかしながら沈先生の報告では、朝鮮時代の公文書において、草書は偽造防止や機密漏洩防止の目的で使用されたといい、可読性に対する要求が全く異なるのです。たしかに書道芸術的興味から見ても、御家流の書は読みやすいもののいくらかワンパターンで面白みに欠けますが、今回見せていただいた朝鮮時代公文書の草書はじつに多様で飽きさせません。東アジアの書字文化は、共通性と多様性を同時に内包しており、比較研究という視点は今後意味を増してくるのではないかと感じました。

IMGP1031増田知之氏によるコメント。

討論会の内容のおさらいはここまでとして、以下少しだけ、司会者の所感を記させていただきます。

今回の討論会に限らず、書字文化を論ずるときに、よく「書風」ということが言われます。筆跡から受ける「感じ」が「同じ」とか「似ている」とか「違う」とかいうことを論じるのです。書道史研究の世界には、古来あまたの学者がこの問題を論じてきた蓄積があり、現代の学問もこの蓄積の上に成り立っています。しかしこのことは逆に、専門分野の外から参照しづらい、疑問を投げかけづらいという問題をもたらしてしまいます。誇張していえば、経験を積んだ専門家が「こう」といえば「こう」!という面があることは否めないのです。

そのためか今回の討論会でも、書風に関する質問はあまり聞かれませんでした。じつは書道史の学会においても、書風に関する議論は多くありませんし、あっても議論として成立しにくいところがあります。そもそもある種の印象にすぎない書風を記述することに難しさがあるのです。最近の研究では、文字の構形(字形)を幾何学的に分析し、書風を定量的に記述しようという試みも見られます。文学研究には、文体を助動詞の使用割合などから分析する研究手法があるそうですが、それと似たようなものでしょうか。しかし「書風を定量的に記述」などと言っていると、どこからか「見かけにこだわってはいかん!この筆づかい!この良さが感じ取れんのか!」という叱責が聞こえてきそうです。感じ取れないことを未熟とし恥とする学問のあり方も、それはそれであるのかもしれませんが、専門外の人に参照しやすい形で知識を提供することをおろそかにしては、専門分野としての発展も望めないのではないでしょうか。学問の伝統をふまえつつ、書字文化研究を科学として発展させることは、21世紀の書字文化研究者にとって大きな課題であるように思います。

U-PARL特任研究員 成田健太郎