特任研究員 荒木達雄
東京大学からほど近い上野動物園では双子のパンダが大人気。そのブームはいまだ衰えを知らぬどころか、かえって勢いを増しているようにすら感じる。筆者はパンダ母子観覧の抽選に10週連続で落選しており(5月19日現在)、SNSの公式アカウントに日々公開される写真や動画を見て心を慰めている。
さて、パンダのふるさと中国では、2019年が「パンダ発見150年」に当たるということで、パンダに関連する論文、書籍が例年にも増して盛んに刊行され、パンダに関連するイベントも多数開催されていたらしい。
言うもおろかながら、「発見」とはもちろん、人類がはじめてパンダを見たということではない。1869年とは、フランスの宣教師にして博物学者のアルマン・ダヴィド(1826-1900)がパンダの存在を知った年である。ダヴィドの報告により、パンダは一躍世界にその存在を知られ、その捕獲や研究のために西洋人が続々と中国を訪れることになる。つまり、「パンダが近代的動物学の世界に認知されるきっかけになった」のがこの年だということである。中国語の論文ではパンダの「科学発見」と述べるものもあり、そちらのほうがより穏当な表現であるようにも感じる。
現代ではパンダと言うだけであの白と黒のクマを想起するのが一般的だが、実際には英語名は「Giant panda」、標準和名は「ジャイアントパンダ」であることはよく知られたところだろう。「パンダ」と呼ばれるもう1種の動物、「レッサーパンダ」がいるためである。
本場中国ではどう呼ばれているのかといえば、これも周知のとおり「大熊猫」であり、ふつう「熊猫」とだけ言えばあの白と黒のクマを指すのも、日本語、あるいは英語と同様である。
この「熊猫」なる呼称をめぐり、中国では古くから決着のつかぬ論争が延々と続いている。「猫熊はなぜ、いつ、熊猫になったのか」問題である。
言われてみれば確かに「熊猫」とは珍妙な名である。中国語と日本語とは異なる系統の言語で、発音も語法も隔たりが大きい。しかし、似ているところもある。たとえば、前に置かれた語があとにある語を修飾するという構造は同じである。
ゆえに、二語を連ねてなにかを説明するとき、ふつう、中心となる語は後にあり、前の語はあくまでその説明のためにあるにすぎない。ほうき星は「ほうきのような形の星」であって、ほうきなのではない。ホタルイカはホタルではないし、スベスベマンジュウガニはマンジュウではない。カジキマグロは……、と、まあ、時に例外もあるが、一般的には「AB」と名づけられていれば「AのようなB」と解釈されることが多いだろう。
中国語も同様の修飾・被修飾関係で構成された語が多く、たとえば「狗熊」はイヌではなく(現代中国語で「狗」はイヌを指す)、日本で言うところのツキノワグマのことである。
そうなると、パンダはネコよりはクマに似ているのではないか、「熊猫」では「クマのようなネコ」になってしまうのではないか、などの疑問が生じてくる。パンダが近代的動物学の世界で統一した呼称を与えられる以前、中国ではパンダを「白熊」、「竹熊」、「花熊」などと呼んでいたらしいということもこの疑問を増幅させる。いずれも「どのようなクマ」という構造をしている以上、多くの人がパンダをクマの仲間だと考えていた可能性が高いからである。ならば、「熊猫」も本来は「猫熊」のはずである、いったいいつ、どうして「熊猫」になってしまったのか、と。
この「猫熊→熊猫」論争はさまざまに、時におもしろおかしく語られてきた。
筆者個人の感覚にすぎないが、なかでも有名なのは「右書き・左書き誤読」説ではなかろうか。曰く、右から「猫熊」を“正しく”書いてあったものを、間違えて左から読んだものが定着した…、曰く、英文と併記するために左から「猫熊」と書いてあったものが、当時の習慣により右から「熊猫」と読まれてしまった…。
さらに、中国でも日本とおおむね近い時期に右横書き主流から左横書き主流に変化したこと、現在でも台湾ではパンダを「猫熊」、「大猫熊」と称しているという事実があることにより、「猫熊→熊猫」は1930年代後半から1940年代の戦乱期、混乱期、国民党政府から共産党政府へ権力が移行した時期に生じたのではないかとの説が語られている。これについて筆者はかつて、1930年代前半刊行の辞書にすでに「熊猫」という項目が立てられていることから、「熊猫」の語はより早い時期から定着していたのではないかと書いたことがある(この辞書は縦書きであるため、「右左」の問題は生じない)。
しかし、筆者の指摘も含め、これまでの「猫熊→熊猫」論は、「本来は猫熊であるはず」、「台湾ではいまでも猫熊である」を拠り所とし、あとは論者がそれぞれひとつかふたつかの証拠を追加し、「だからこういうことなんじゃないかなあ」と想像をめぐらしているものがほとんどであろう。そうであるからこそ、定説を得ないまま論が尽きないのではないか。
そんななか出会ったのが2019年、パンダブームのなかで発表された論文(ようやく話がここに戻りました)、楊鏵・高富華「“大熊猫”中文名称的演変——基于民国時期媒体的考察」(『長江師範学院学報』第35巻第2期、2019年4月)である。
ここで楊、高両氏が行ったのは、まずは1930年代、40年代の刊行物でパンダをなんと呼んでいるかをできるかぎり洗い出してみようということであった。確かに、ひとつかふたつかの証拠を持ち出して想像するよりもはるかに実証的な手法である。近年、新聞・雑誌記事のデータベースの発展は目覚ましく、それゆえに可能になった調査方法であるともいえようが、やはり実際にそれを思いつき、やってみようという人の存在は重要である。
両氏の調査は、意外な結果をもたらした。
1930年代から1940年代、「猫熊か熊猫か」でいえば、終始「熊猫」のほうが使用例は多い。かつ、時代が進むにつれてその差は広がり、40年代後半には「熊猫」が圧倒的優勢になっている。そこだけをとりあげればやはり「熊猫」が「猫熊」にとって代わったように見えなくはない。しかし、この調査にはさらに興味深い数字がある。1930年代から1940年代前半まで、パンダを指す語として最も多く見られるのは「白熊」だったということである。30年代は「猫熊」3件、「熊猫」28件、「大猫熊」1件、「大熊猫」18件に対して「白熊」は99件。束になってもほぼ半数にしかなっていない。この状況は40年代前半になっても変わらず、「熊猫」が圧倒的優勢になるのは40年代後半を待たねばならない。さらに、これに先立つ1920年代では、パンダを指す語はすべて「白熊」であったという。
楊・高両氏の調査は新聞・雑誌記事のタイトルのみを対象にしたものであり、サンプル数は必ずしも豊富とは言えないかもしれないが、この数値に筆者はなかなか意外の感を受けた。「猫熊」も「熊猫」も記事に見え始める時期はほぼ変わらないのだから、そもそも「いつ変わったのか」という問題設定が成り立つのかどうか自体も検討し直さねばならないかもしれない。むしろ、「猫熊」・「熊猫」がどうこうよりも、まずは「なぜ白熊が猫熊/熊猫にとってかわられたか」のほうを先に議論すべきではないかとも思えてくる。
楊・高論文にはまた別の角度で興味深い資料も引かれていた。
ジャイアントパンダは当初レッサーパンダの仲間ではないかとの説があり、それが「レッサーパンダ」、「ジャイアントパンダ」という対比的な名称につながったということ、この関係は中国語の「小熊猫」、「大熊猫」も同様であることは多くの方がご存じであろう。
ところが、楊・高論文に引く、1933年に中国西部科学院が登記した動物標本の名称は、「小紅猫熊(レッサーパンダ)」と「白熊(ジャイアントパンダ)」であった(『民国時期中国西部科学博物館陳列品収入登記表』)といい、1934年の『中国西部動物誌』もまたレッサーパンダを「猫熊」、ジャイアントパンダを「白熊」としている。両者は当初から対比的な名称で呼ばれていたのではないらしいのである。
楊・高論文によれば、パンダに「熊猫/猫熊」系統の呼び名を使い始めたのは、政府や学術界よりも民間メディアのほうがはやいらしい。1941年、宋美齢らがアメリカにパンダを贈ったことを、香港の『大公報』は「猫熊」と、上海の『申報』は「熊猫」として報じている。一方、政府系の文書では、1938年の教育部(中央政府の役所。文部省に相当)から四川大学への公電ではジャイアントパンダを「白熊」とし、1946年の『教育部公報』でようやく「熊猫」になっている。1940年代後半に「熊猫」が圧倒的優勢になるのは、政府・学術界が「熊猫」を受け入れるようになったからなのかもしれない。
しかし、そもそも「猫熊/熊猫」はどこからきた名称なのだろう。一般には、「顔がネコのようなクマだから」、「レッサーパンダがクマのようなネコであるとして“熊猫”になっていたから」などさまざま推測がある。楊・高論文ではこれに対し、翻訳説を提示する。これを見て筆者も英語の辞典類をめくってみたところ、“THE OXFORD ENGLISH DICTIONARY(SECOND EDITION)”(1989)にはたしかに“bear-cat”、“cat-bear”、“panda”、すべてが記載されていた。“bear-cat”は「パンダ、またはレッサーパンダ(red bear-cat)」のことで、1889年に用例があるという。“cat-bear”はレッサーパンダとしか説明がなく、1881年と1931年の用例が引かれている。“panda”はさすがに用例が多く、レッサーパンダを指すものとしては1824年、ジャイアントパンダを指すものとしては1901年がもっとも早い例として挙がっている。無論、限られた資料から、“「だからこういうことなんじゃないかなあ」と想像をめぐら”すのは危険である。ほめられた研究姿勢ではない。ただ、“bear-cat”、“cat-bear”の初出が、どちらも楊・高論文の挙げる、「熊猫」、「猫熊」が中国の定期刊行物の記事タイトルに現れる最も早い例よりもさらに早いということは、翻訳説の正しさの可能性を感じさせるものではある。
記事タイトルの統計、政府公文の引用など、実証的で興味深い論を展開してくれている楊・高論文だが、残念ながら後半はかなりあやふやになっている。結局、「猫熊」は、誤読、誤訳により「熊猫」に定着したとして締めくくっているが、そこには前半ほどの説得力はなく、「だからこういうことなんじゃないかなあ」に陥っている感も否めない。まだまだ実証的に述べるには資料が不足しているということなのだろう。
それぞれが好きなものをあれこれ論じるのは楽しい。特にパンダのような熱狂的ファンの多い動物ともなれば、さまざまな人がさまざまなことを考える。最も説得的で信頼できる説はどれなのか、ということよりも、論じ合うこと自体を楽しんでいる風さえある。当分は白黒つけないままであれやこれややっていてもよいのではないかなという気さえしてしまう。
June 21, 2022