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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

COLUMN

フラフラ日記

特任研究員 宮本亮一 

 

今年のリーフレットの表紙には、今から20年ほど前に私がタジキスタンで撮影した風景写真を載せて頂きましたこの時、修士課程の学生だった私は、8月から9月にかけて約3週間、指導教官とは別に当時お世話になっていた先生たちに同行させてもらい、人生初の海外調査としてウズベキスタンとタジキスタンに赴いていたのでした  

今より真面目だった私は、調査の日記を残していて、最近になって、約20年ぶりにこの行動記録を読み返してみました。どうしてこれを読み返してみようと思い立ったかというと、須永特任研究員のコラム「食べ歩けないフィールド調査」を読み、この調査の食事事情がかなり厳しかったことを思い出したからでした。

須永研究員は、パキスタンの文化的・社会的な事情から1人での外食が難しいということでしたが、私の場合は全く異なる事情がありました。それは、調査の主目的地で、大半の期間を過ごしたタジキスタンのドゥシャンベに到着した時、大使館のスタッフから、この国の衛生状態(特に水)は悪く、日本人は何を食べても最初は必ずひどくお腹を壊す、という話を聞いたため、調査隊は、リスクを低くするため外食の機会を大きく制限すると決めたからでした。 

 朝食はホテルのバイキングでしたが、生野菜・果物を避けるとなると、食べられるものはわずか博物館で調査をしていた私たちの昼食は、徒歩で30分かけてホテルに帰り売店で買ったカップラーメンを食べるか、博物館の日陰でスナック菓子と水分を口にするか。そして、夜はホテルの部屋で缶詰とアルコール。こうした状況が続き、メンバー間の雰囲気も悪くなっていったある日の記録には、「こんな食事では力がでない食事の最中はみな終始無言」という、心の叫びと悲しい現実が綴られていました。そういえば、博物館の屋外で遺物撮影をした日の帰りは、フラフラと、歩いて帰るのも辛かった。 

ドゥシャンベ市内の街路

それでも、現地で知り合った日本人が声をかけてくれたり、休日に自由行動があったりし、何度か外食の機会はあり、現地料理にインド料理、そしてメキシコ料理などを食べました。どれも美味しかったようです。しかし、外食に飢えていた私は(恐らく)外食が原因で調査時最大の危機を迎えたのでした 

現地料理屋の内部とインド料理屋の庭

調査を終えタジキスタンから出国する前日、博物館のスタッフが「最後だから」と昼食に誘ってくれ、近くの小さな食堂でプロフ(炊き込みご飯)を食べました。この食事が引き起こす悲惨な結末など予想だにせず。その後、ホテルに帰って身支度を済ませ、現地でお世話になった日本人の方々が夕食に招待してくれた中華料理店に向かったのですが、その途上、急に目眩に襲われ、胃と腹が激しく痛みだし、だんだんと不安が募ってきました…

猫はどこでも可愛い

レストランに着くや手洗いに直行した私は、最後の晩餐の間ほとんどそこから出られず、やっとの思いでホテルに帰った後も、胃薬を服用し、ミネラルウォーターを飲み続けたものの、一晩中上げ下げが止まらず、一睡もできませんでした。朦朧としたまま翌朝を迎え、フラフラとスーツケースに寄り掛かりながらホテルを出発するタクシーに乗り込むと、次に気がついたのはタシュケントのホテルに着く直前で、途中の飛行機や車の中でのことをほとんど覚えていませんでした。

その後は、若さが幸いしたのか、タシュケントに着いた翌日にはずいぶんと体調が回復し、無事帰国することができました。こうして書くと、酷い海外調査でしたね」と言われそうですが、今となっては、右も左もわからず何の役にも立たない学生を海外調査に連れて行って下さった方々には感謝の気持ちしかありませんし、こういう経験もしておいて良かったと心から思います。 

 それにしても、改めて日記を読み返してみると、我ながらその詳細な記述に驚きました。そして、ふだん過去の人々が残した資料を利用して研究をしている身として、正確に記録を残すことの重要性を再確認しました。ただ、個人的な日記とはいえ、そのあまりにも赤裸々な内容に、若かりし自分の分別の無さに赤面の至りで、今の自分はこの頃よりは成長したかしらんと自問自答もしました。ちなみに日記には、調査の間、ホテルのロビー、売店、レストラン、果ては路上でまで、そこかしこで美しい女性を見かけては、気持ちがフラフラ(フワフワ?)していたことも書かれていて、私をよく知る人たちからは、変わらないなという言葉が聞こえてきそうです。 

 
坂口三千代『クラクラ日記』
(写真は「ちくま文庫」版)
 

コラムのタイトルを考えあぐんでいた時、一緒に食事をしていた人が、坂口三千代『クラクラ日記のことを教えてくれたのですが、この時、気の置けない人たちと共にする楽しい食事に勝る幸福はほとんどないと実感したことは言うまでもありません。なお、教えられて手にとったこの回想録には、読んでいるとフラフラ目眩がしそうなほど強烈な坂口安吾の言行とそれに対峙した妻・三千代の愛が満ち溢れていました。

October 4, 2022