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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

COLUMN

出張したら台風休みだった件

U-PARL特任研究員 荒木達雄

 

 「颱風假(台風休暇)」…台湾に居住したことがある方なら誰しも、あるいは旅行に行かれた方でもさまざまな感慨とともに思い起こされることばだろう。留学されていた方ならせっかくのイベントがつぶされた悲しい思い出か、予習の間に合わない授業が延期になってほっとした思い出か。仕事をされていた方なら我が社は休みになるのかとやきもきしながら待った記憶か、リスケジューリングに忙殺された苦い経験か。旅行者の方であれば、「さーあ、夏は台湾でフルーツを食いまくるぞ~!」と意気込んで出かけたにもかかわらずホテルに缶詰めにされた涙の記憶が胸に刻み込まれていることであろう。 

 のっけから台湾に縁のないかたを置いていってしまい申し訳ない。それは筆者が現在(7月28日)まさに台風休みのまっただなかにいて気が落ち着かぬせいであるのだが、やはりいったん落ち着いてご説明申し上げましょう。 

 台風の発生地にほど近く、また地震も多い台湾には、自然災害時に出勤と通学の停止を求める法令、「天然災害停止上班及上課作業辦法」(自然災害による通勤と通学の中止令)がある。ここから「停止上班、停止上課(休業、休校)」、略して「停班停課(休業、休校)」と呼ばれる。新聞、テレビ、インターネットメディアなどでは後者を用いることが多い。台風により「停班停課」が命じられた場合の俗称が「颱風假(台風休暇)」である。 

 この中止令、政府機関、郵便局、銀行、各種学校およびその他公共機関には適用されるものの、私企業、個人経営者などに対しては強制力のある「外出禁止令」ではなく「休業の基準」として示されるのみで、休業しない企業、店舗も少なくない。また、当然のことながら警察、消防、一部の公務員、一部の医療スタッフ、国軍などには適用されない。 

郵便局は休業。ATMは利用可能
書店は休業
左の文具店は開店、右の書店は休業と、民間企業は判断が分かれる

  

 中止令は中央政府の行政院から出されるものの、実際には各地の首長の判断が重んじられ、地域により対応に違いが出ることも多い。 

 筆者が台南に転居した2016年、台南市長は頼清徳氏であった。2012年から2016年にかけての馬英九総統(中国国民党)の政策には大陸におもねっているのではないかとの批判の声が大きく、デモ活動などが頻発した。その影響もあり2016年の総統選挙では国民党離れが起こり、民進党の蔡英文主席が総統に就任。初の女性元首として話題をさらった。 

 しかしその蔡英文人気も徐々に下降し、そのなかでクリーンなイメージで注目を集めたのがおなじ民進党の頼清徳氏であった。頼氏はアイドル的なファンもつくほどの人気ぶりであった。2014、映画「KANO」が公開されたころ、台南ともゆかりの深い日本人・八田與一を演じた大沢たかおと頼市長が似ていると話題になり、八田與一と同じポーズをとった写真がメディア報道にあふれたこともあった。 

 頼氏はまた、「頼神」とも称されていた。この「神」は近年の日本語の「神」の用法にも似ていて、「冴えている」「能力がずばぬけている」「超人的」などの褒めことばを一緒くたにしたような意味で、「太神了」(神すぎる)のように形容詞的にも用いられる。かつてシアトルマリナーズのイチローが、どんな当たり損ねのような打球でも人のいないところに測ったように落としてヒットを量産していたころ、台湾メディアは「朗神」とさかんにかきたてていた。そんなイメージのことばである。 

 その「頼神」がミソをつけたのが「颱風假」であった。「颱風假」の判断は各地の首長のたいせつな仕事のひとつである。気象台などから情報が寄せられ、この日はあぶないということが予測されれば首長は「明日は休業、休校」と決断する。しかし、台風の進路や速度の予測が定まっていなかったり、台風の勢力がいまだ弱いものの勢力を増す可能性もあるときや、勢力が衰えつつあるときには判断がむずかしい。午後8時発表のはずが午後10時、さらに0時と遅れていくこともある。2016年9月、頼氏は台風の接近に際して「午後休業、休校」と発表した。これに対し市民からは、どうせ休みにするなら丸一日にしてほしいとの不満の声があった。ところが同じ9月、別の台風の接近に頼氏はまたしても「午後休業、休校」を発表。多くの人々が風雨の中を帰宅することになり、ネットは怨嗟の声に満ち、頼氏を皮肉ったコラ画像も流通した。これにより「頼神」は一転「頼半天」(「半天」は半日の意)と嘲笑されることとなった。 

 実は頼氏の「神」称号にはかつての「颱風假」判断も関連している。2012年、市長就任二年目の頼氏は台風の接近に際し休業休校を発表しなかった。市民からは不満の声もあったが、実際には台風の影響のほとんどないおだやかな日となり、「神予測だ」と称えられたのである。この時、「頼半仙」(仙人ではないが、半分仙人のようなもの)と呼ぶ人もあり、これにかけて「頼半天」となったのだという説がある。たしかに「仙 シエン」と「天 ティエン」でうまいこと韻を踏んでいる。なかなかよくできた、というよりもできすぎた話である。 

 とはいえ、頼氏には頼氏の事情もある。御用とお急ぎでない方は台湾南部の地図を開いてみてください。台風はその多くが台湾の南東方向からやってくる。まず東部と南部の海岸の波、風が強くなり、次第に雨が激しくなるというのがよくあるルートである。そこから東海岸沿いに北上することも、西の福建、広東へ向かうことも、北西に向かい台湾をかすめるか台湾に上陸するかして台湾海峡方面へ抜けることもある。さらにやっかいなのは、台湾南方の海上をうろうろしてどちらにもなかなか進まない場合である。海水温が高ければここでエネルギー補給、力を増してしまうこともある。気象台ですら正確に進路が読めず、日本、米軍など他国の進路予測が参考資料としてテレビのニュースに登場することがあるほどである。 

台風の予測はむずかしい(台湾電視台, 8點整點新聞, 2023年7月27日)

 台南は南部の主要都市ではあるが、その海岸はむしろ西向きである。東部に台湾の中央を南北に走る大山脈があり南側の高雄市との間にも山地がある。山に囲まれているので高雄では荒天であるのに台南はおだやかということも珍しくない。南の海上にある台風の影響は読みにくいのだろうと思う。 

 さて、筆者は7月25日夜に台北に到着し、翌26日午後に台南に入った。目的は民間祭祀調査…有体に言えば神さまとお祭りを見ることである。以前廟を巡った際、7月末から8月上旬にお目当ての神さまのお祭りが集中していることがわかり、それに合わせてやって来たのである。 

 ところが26日夜、台風の接近にともない明日台南は休業休校との発表があった。たしかに東部の海岸でははやくも被害があり、強い台風であるらしい。まあ、到着直後は下宿附近の様子を見たり買い物をしたりすればよいかと思い、散歩と買い物をそそくさと済ませて翌日に備えた。 

 翌27日、たしかに雨は降っているが、たいしたことはない。風雨が強まるのが午後だということで午前は散歩と買い物に出た。休業休校令が出ているので、遠出するには不便だし、帰って来られなくなっても困る。市場で果物を買い込んだり、かき氷を食べたり、観光客のように過ごした。午後も雨風はあるものの散歩程度にはさしつかえない天候。「頼半天」に懲りて、迷ったときには休みと判断するようにしたのかな(現在の市長は頼氏ではないが。頼氏は2017年に蔡英文政権のテコ入れとして中央の行政院長に招かれた。「頼半天」が停班停課命令の主管機関の長になったわけである)などとのんきにかまえていた。夜になりたしかに風雨は強くなってきたが、「明日は照常上班上課(通常どおりの出勤と通学)」と発表され、ひと安心。

27日朝 休業休校ではあるが、まだ穏やかな朝
市場も通常営業
いつもはあっという間に埋まるスクーター駐輪スペースががらがらなのが、休業休校を実感させる

 28日は電車とバスとで1時間半ほどの場所にある小さな町の廟で神さまの生誕のお祭りがあるのである。これがこの旅の最初の目的。これが見られるならきょう1日台風休みでつぶしたところでどうということはない。朝6時前には出発したいため早めに就寝…………すると、夜中1時ごろ、ドアのほうからどぉん、どぉんと大きな音がする。酔っ払いが廊下で暴れているのかとも思ったが、人がドアを叩いているような感じではない。断続的に、長時間にわたってつづく。午前3時ごろ、眠さをこらえて様子を見てみると、すきま風のせいで浴室の扉が暴れているのであった。窓の外の音もいつのまにか激しくなっている。 

 朝5時起床。風雨は相変わらず強い。いや、でも照常上班上課なんだろうと出発の準備をする。

  6時、台南バスアプリによると路線バスは予定通り出発するとのこと。一番近い停留所に向かうが、風雨が強い。傘を、あるいは盾にあるいは帆にしながら進み、たどりつく。ところが待てど暮らせどバスはこない。アプリを見ると、到着見込み時間がころころ変わる。1分や2分ではない。13分だったものが27分になったり43分になったりするのである。理由はわからないが、始発停留所で出発を決断したり見合わせたりを繰り返しているのだろうか。 

 そんなところへ乗用車が走って来て筆者のすぐ近くに止まる。レインコートを着た男が飛び出してきて「お話いいですか」という。よく見るとテレビ局のシールを貼ったスマホを構えている。いまは取材も楽になったもんですなあと思いつつ、ヒマなので質問に答える。いや、もしかしたらテレビ局を騙った変な人なのかもしれません。でもなにかとられたわけでもないのでいいでしょう(名前も身分も告げていない)。 

 「こんな日に出勤ですか?」というので、台湾人ではないこと、出勤といえば出勤だが、台湾文化の調査である旨を告げる。「でも、ついさっき、停班停課になったんですよ。発表が遅くて」と言い(、実は筆者も出発直前にニュースで知った)、仮にバスが走っても電車はわからない、やめといたほうがいいのではないかとの助言を残し、去って行った。 

直前になって休業休校が決まった(台湾電視台, 早上6點整點新聞, 2023年7月28日)

 そうなのです。停班停課なのです。さっきからバスも来ないのです。来たとして停班停課なのです。お祭りなんぞやっているか?いや、やらないだろう。常識的に考えたら行きませんよね。しかし、昨日は半分観光客、なにもしていないのです。せめて「お祭りは中止になったこと」を確認ぐらいはしたいじゃありませんか……。 

 これは筆者の心の声である。同感できない方も多かろうと思うが…。 

 ともかくここにいてもバスは来ない。昨日確認した別のバス停へと移動しているさなか、突風にあおられて昨日購入した傘の骨がひんまがった。心も一緒に折れそうになったが、そのかみ、向こうの通りに走るバスの影が見えた。バスはほんとうにあったんだ、アプリはうそつきじゃなかった! 

 アプリはうそつきでした。もう一か所のバス停でもバスの到着見込み時刻がころころ変わる。交通事情なり発車判断なりいろいろあるのでしょう。しかし、いつまでもここで曲がった傘を盾に風雨のなかに立ち尽くすわけにはいかない。宿にもどって古い傘に持ち替え、もっとバスの多そうな通りに向かって歩き出した。 

いろいろなものが倒れている

 

 ここからはスー〇ーマ〇オばりの道のりである。転がる倒木をかわし、突風をさけるべく柱の陰に身を隠し、水たまりを越え…。知らない土地ならあきらめもついたかもしれない。しかし、幸か不幸か勝手知ったるかつて住んだ町。駅への道はわかっている。 

根元から倒れた街路樹が風の威力を物語る

 

 這う這うの体で駅へたどり着くと、大幅に遅延しながらも電車は走っていた。ガラガラの各駅停車に乗り込み、カバンのなかの濡れてしまった本のページをめくり、せめて冷房の風にあてて少しでも乾かそうとし……、この風がとんでもなく冷たかった。そもそも台湾の冷房はきつい。そこへ濡れネズミが飛び込んだものだから、神さまにあいたくてあいたくて震えながら耐える羽目になった。 

 目的の駅の風雨は穏やかだった。向かいにバス乗り場が見える。あとは約30分後のバスに乗るだけだ。駅の売店で飲んだ熱いコーヒーは「生きかえる」のことばにぴったりであった。 

 バス乗り場の周辺も草木がちらばっていてたいへんなありさまであったが、お客さんもバスもいる。係の人にたずねると、「その路線は今日は走らないよ。停班停課だからね!今日走ってるのは3路線だけ」とのこと。その3路線のうちひとつはよく知っている。以前も乗ったし、来週も乗る予定のものだ。途中のバス停で下りれば今日の目的地まで約4キロの道一本だ。そちらの出発時間をたずねると、「今日は減便してるからね。次のは2時間後!」 

 ……ありがとうございます。これで本当にあきらめがつきました。 

なんとかたどりついたのだが…

 神さまが「今日じゃないぞ」と言ってくれていたのですね。思い起こせば夜中1時からずっと言ってくれていた気がする。仕事だからやらねばならないと思う根性なのか、出張にまで行って予定のことをできていないと思われるのが嫌な体面なのか、臨機応変に動けない融通の利かなさなのか。どれも違いました。信仰心のなさ、でしたね。 

 明日、また近場の廟から調査を再開いたします。 

 以上、7月28日、台湾より荒木特派員…おっとちがった、特任研究員がお届けしました。 

July 31, 2023