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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

COLUMN

アラビア語文献を読むためのデジタルツール:法学書を例にして

U-PARL特任専門職員 早矢仕 悠太

 ある専門分野の文献を読むことは容易ではない。というのも、その分野に特有の語彙や用法、文体や文章の形式、引用形式など暗黙に了解されている作法にしたがって議論が展開されるからである。これはアラビア語文献、とくに前近代のものにも当てはまる。その著者たちは、同時代の読者や利用者にとって理解可能な作法でテクストを構成した。彼ら/彼女から何世紀も隔てた我々が、その作法を身につけて文献を読み進めることは容易ではない。そのために、辞書や文法書といった、文献を読むための文献が発達してきた。さらにインターネットの登場は、そうした作法の習得を加速させた。1つの端末から多種多様なデータベースにアクセスできることは、文献を読むための場所を選ぶ必要をなくした。我々は図書館や研究室で、埃を友としながら籠らなくてもよくなった。今回のコラムは、こうしたアラビア語文献を読むためのデジタルツールについて、執筆者自身が日ごろ扱っている法学書を例にとりながら紹介していく。

 

 紹介するツールの種類は4つ、辞書類、クルアーン類、ハディース(預言者ムハンマドの言行に関する伝承)集、そしてデジタルテクストである。辞書類については、すでにArabic Almanac(http://ejtaal.net/aa/)を用いていくつかの亜亜辞書や亜英辞書、さらにはアラビア語からウルドゥー語や東南アジアの諸言語への辞書を横断して検索することができる。しかしインターフェースの使い勝手が悪く、手っ取り早く調べるという観点からは、個別の辞書ごとに分割してアプリケーションとしてリリースされているもののうち、亜英辞書Hans Wehrデジタル版(Android版; iMac版)を利用する読者も多いだろう。あとはHans Wehr収録の内容が日本語化かつデジタル化されているアラジン(http://www.linca.info/alladin/index.html)もアラビア語学習者に膾炙している。まず以下では、そうした単語検索の初動から、一歩踏み込むためのツールを2つ紹介する。

 

Aratools(http://aratools.com/

 語根がわからない単語をそのまま入力すれば、語根の候補を挙げた上で、非分離形の接続詞や前置詞、代名詞を分離してくれる。ただサジェストされる意味が少ないため、確認のためにHans Wehrなどで語根から引き直す必要はある。

(Aratoolsの画像)

Aratools上での検索例。http://aratools.com/

 

Lane Lexicon(Quranic-Researchサイト所収:https://lexicon.quranic-research.net/index.html

 Hans Wehr以前に主流となっていた亜英辞書のブラウザ版。Hans Wehrよりも古典的な著作からの意味や用例を収録している。アラブの生活に関連する動植物や、建造物について引いてみるのに有用。Laneの辞書は見出し語がわかりづらい構成になっていたが、本サイトでは見出し語ごとにブロック化して再構成しているため、ウェブ上のpdfをそのまま掲載した辞書よりも引きやすい。

(Lane表示例の画像)

ボックスを開くと意味と用例が出てくる。ただしオリジナルのLane同様、段落分けされていないため、まだ読みづらい。https://lexicon.quranic-research.net/data/12_s/014_sbx.html

 

 クルアーン類とハディース集については、実際の法学書を例にして紹介する。例とするのは、アンダルスのマーリク派法学者イブン・アブドゥル=バッルIbn ʿAbd al-Barr(1071年没)の『タムヒードTamhīd limā fī Muwaṭṭaʾ min al-maʿānī wa-al-asānīd』 のジハード章冒頭である。この法学者と著書について簡単にまとめておくと、同書はマーリク派法学の祖マーリク・イブン・アナスMālik ibn Anas(795年没)の著作『ムワッタアMuwaṭṭaʾ』に収録されている伝承が、預言者ムハンマドに由来する正統なものであり、法学説を導く法源となることを示すために著された。イブン・アブドゥル=バッルは、同地域のマーリク派法学に稀薄であったハディースを法源として自らの法学説を正当化する方法論を導入する役割を果たした。
 画像のように、法学書の各章では、ハディース(黄線部)とクルアーン(赤線部)の引用によって論点が提供されることが多い。そのうちハディースについては、マトン(本文)とイスナード(伝承経路)のためのツールを別立てで紹介する。

 

(タムヒードの画像)
Ibn ʿAbd al-Barr, 2001, Tamhīd limā fī Muwaṭṭaʾ min al-maʿānī wa-al-asānīd, Usāma ibn Ibrāhīm ed., Cairo: al-Fārūq al-Ḥadītha lil-Ṭibāʿa wa-al-Nashr, 7より作成。

 

Sunnah.com(https://sunnah.com/

 著名なハディース集の亜英の対訳を収録しているデータベース。最近までは6大ハディース集と『ムワッタア』に限られていたが、コロナ禍以降、採用するハディース集の数は増加し、現在では17編が採用されている。上述のマーリクが伝えるハディースの本文をこのサイトで検索してみると、『ムワッタア』の同じくジハード章に収録されたハディースがヒットする(下画像)。他にも検索によって、まったく同じハディースが別のハディース集に収録されていることや、似ているが微妙に文言が異なるハディースが別の伝承者によって伝わっていることが一覧できる。

(Suunah.comの画像)

個々のハディースには、校訂時に使用した版で付されていた通し番号が付されている。https://sunnah.com/urn/509620

 

ムスリム協会訳サヒーフ・ムスリム(https://www.muslim.or.jp/hadith/smuslim-top-s.html

 6大ハディース集のなかでも著名な、ムスリム・イブン・アル=ハッジャージュMuslim ibn al-Ḥajjāj(875年没)による『サヒーフ(真正集)』の日本語版データベース。検索機能はついているが、巻ごとにページが独立していること、校訂時に付される伝承番号がないことで多少使い勝手は悪い。ある分野のハディースを概観したり、日本語で特定のキーワードを含むハディースだけを検索するのには有用。

 

 イスナードについては、ハディース学の伝統と現代の研究それぞれから独自の価値がおかれている。元来は、マトンの真正性を担保するための要素であり、それは師弟関係を含めたイスラーム世界の知的交流を示す素材にもなった。また現代の研究では、同じマトンでも異なるイスナードをもつハディースを比較することで、ハディースの変造や流布の過程をトレースすることも試みられている。以下では、『タムヒード』のジハード章冒頭でマーリクが伝えるハディースのイスナードに現れる伝承者を検索しながら、そのツールを紹介する。

 

Muslim Scholars Database(以下、MSDと略記:https://muslimscholars.info/

 Arees Instituteが運営する英語を主としたウラマー(イスラーム学者)データベース。25,000人超のウラマーが登録されている。アリフが標準化されない、見出し語でラテン文字転写の子音が省略されているなど、検索の上での難点はあるが、英語で生没年や活動地域、師弟関係や伝承の授受関係を把握できる。特に他のウラマーとの関係は、ハイパーリンクとなっているため、検索し直すことなく伝承の経路や学統を辿っていくことが可能。伝記的記述については、アラビア語による複数の人名録からまとめて抜粋・引用されている。実際にこのデータベースで先のハディースのイスナードを辿ってみる(表記はデータベースのものにならった)。

20001: Imam Maalik [Abu ‘Abdullah] (93/712-179/795)
→11061: Abu al-Zanad [Abu ‘Abdur Rahman] (65AH-130AH or after)
→11197: ‘Abdur Rahman bin Harmaz al-A’araj [Abu Da’ud] (-117AH)
→13: Abu Hurairah [Abu Hurairah] (603-59/681)
→1: Prophet Muhammad(saw) [Abu Qasim] (570-11/632)

(MSD検索の画像)

基本的な情報は英語やラテン文字転写でまとめられ、画像下部から人名録での記述の抜粋が続く。
11061- Abu al-Zanad [Abu ‘Abdur Rahman]. https://muslimscholars.info/

 伝承者を遡ってみると一部生年が不明なものもあるが、前の伝承者の生年が後の伝承者の没年より早くなっていること、そのように推定されるに十分な年齢差に留まっていることがわかる。その上で彼らがそれぞれどの地域を訪れていたのか、歴史的イベントに関わっていたのかについては、人名録の記述を追えばよい。

 

Tarājim ʿabra al-Tārīkh(以下、TaTと略記:https://tarajm.com/

 アラビア語によるウラマーデータベース。トップページによると、52,000人超のウラマーが登録されている。英語による検索はできないが、人名の一部を入力すると候補がサジェストされる機能がある。生没年や活動地域、ハイパーリンク付きの学術交流の関係という機能はMSDと同じだが、特徴としては、人名録からの引用が豊富であることが挙げられる。特に、MSDはイスラーム世界のウラマーを網羅する人名録を採用していたが、TaTは学派ごとの人名録記述を追加している。これによって法学派内での人物評価や、他法学派からの認識についての記述を追うことも可能となる。
 特徴のもう1つは、登録ウラマーに多くのタグ付けがされていること。これらは、人名録内の記述を参考にして付されている。師弟関係のリンクと時代地域や学派のタグを利用することで、以下のような有向性ネットワークを可視化することも可能となる。(tarajimの画像)

MSDと同じくAbū al-Zanādのページ。師弟関係はプルダウンになっている。https://tarajm.com/people/10841

(Cryptoの画像)ウラマー間の関係のハイパーリンクを利用して、有向性ネットワークとして可視化させることもできる。
執筆者作成。Cytoscape(https://cytoscape.org/)で出力。

 

 クルアーン類のツールについても、『タムヒード』のページ下部に引用される記述をもとに紹介する。アラビア語文献では画像のように、クルアーンの記述は飾り括弧で明示されることが多い。これに章句の出典が補記されていればよいが、今回のようにないときもある。クルアーンの記述はハディースと比べ断片的で、引用箇所によっては当座の法学議論との関連がわかりづらい部分も多い。そうした間隙を埋めるためのクルアーンデータベースとタフスィール(クルアーン注釈)のツールを紹介する。

(タムヒードページ下部の画像)

Ibn ʿAbd al-Barr, 2001, Tamhīd limā fī Muwaṭṭaʾ min al-maʿānīwa-al-asānīd, Usāma ibn Ibrāhīm ed., Cairo: al-Fārūq al-Ḥadītha lil-Ṭibāʿa wa-al-Nashr, 7より作成。

Quran.com(https://quran.com/

 1995年から利用されているクルアーンデータベース。同種のサイトは多くあるが、Quran.comの特徴を挙げるとすれば、1つの章句に複数の機能が紐付けされていることである。試しに『タムヒード』に引用される章句を検索してみよう。すると下のように、61章10−11節が特定される。この章句には、読誦音声、タフスィールへのリンクメニューが用意されている。

(Quran.comの章句)

アラビア語と複数の翻訳言語を同時に表示できる。左には読誦やタフスィールのメニューがある。https://quran.com/61?startingVerse=10

 一般にタフスィール文献では、クルアーンの内容をより理解できるように、主として逐語的な解説や、伝承を通した啓示の背景が議論されている。Quran.comでは有名なタフスィール文献のうち、イブン・カスィールIbn Kathīr(1373年没)の著作の簡約版と、現代のウルドゥー語注釈2つの計3つが採用されている。61章10−11節は、イブン・カスィールによれば、教友が預言者にアッラーのためにもっともすべき行動とはなにかと尋ねたことで啓示されたと伝えている。また、多言語にも対応しており、日本語や中国など多くのアジア言語によって章句の翻訳を閲覧できる。

 

Altafsir.com(https://www.altafsir.com/index.asp

 クルアーンの章句が特定できて、タフスィールの内容についてより掘り下げたい場合に有用なツール。採用されているタフスィール文献の種類もスンナ派、シーア派を含む多くの著作を採用しており、一部では英訳も提供されている。その内容を、啓示背景と逐語解説、読誦法、法規定、廃棄関係などいくつかの観点で区別して検索することが可能となっている。

 

 最後に紹介するのは、文献を読むためというより、ツールの利用に適したデジタルテクストである。これまで紹介したツールは手元に文献をおきながらも、検索したい文字列を自らキーボードで検索窓に打ち直す必要があった。以下に紹介するデジタルテクストは、検索に至るハードルを下げると同時に、文献内、文献間の網羅的検索を可能にする。

 

al-Maktaba al-Shāmila(以下、MSと略記:https://shamela.ws/

 MSは、2003年ごろにエジプトのネット掲示板の有志によって配布されたアラビア語テクストデータを含むプログラムから始まった。MSの現在に至るまでの小史についてはVerkinderen(2020)(https://kitab-project.org/Al-Maktaba-al-Shāmila-a-short-history/)に譲るとして、現在はVersion 4まで更新され、およそ7,000冊分のアラビア語テクストデータを収録している。また、スマートフォンアプリケーションとしても配信されている点も、アクセス性を高めている。ある著作に対して1つの校訂版しか公開されていないことも多く、またデータに起こす際の誤字脱字など学術レベルでの精確性を欠く部分があるが、手早く上記のツールを駆使して文献を読むには有用である。また1つの著作内で語句検索をすることができる。これによってあるキーワードを含む記述を通覧したり、それを計量化することもできる。ただし、この検索機能の性能は低い。アラビア語の標準化機能がなかったり、語単位で完全一致のみを取り出すため、いくつかのバリエーションがある表記や定冠詞や非分離形代名詞の有無ごとに、別に検索しなければならない手間がある。さらに検索窓でスペースを挿入すると、その語間の距離が長く関連度が低い記述や、複数ある検索語の一部しか含まない和集合を取り出すため、対象となる件数が増加する傾向にある。それを差し引いても、十数巻ある法学書を片っ端から開いて確認する作業を簡略化できるのは、研究効率を高めてくれるだろう。

(MSの画像)

先の『タムヒード』のMS上の該当箇所。MSは1987年版を使用しているので、構成が異なるが、それも検索機能で同定できる。https://shamela.ws/book/1719/6205

 

OepnITI(https://openiti.org/

 アーガー・ハーン大学が進めるKITABプロジェクト(https://kitab-project.org/about/)にて運用されているアラビア語テクストコーパス。2016年の始動以来、MS上のデジタルテクストや、他の研究プロジェクトで作成されたテクストデータ、KITABでのアラビア語OCR開発に使用したテクストデータなどを取り込みながら、現在では10,000以上のテクストファイルが作成されている。データはGitHub(https://github.com/openiti)とZenodo(https://zenodo.org/record/4513723#.YDYKUmj0ncs)で公開されており、前者では参加者が随時テクストデータへの注釈を行なっており、後者はデータ頒布のために利用されている。コーパス内のファイルをテキストエディタや解析用ソフトで読み込んだ上で、自らの検索クエリを作成することができるため、MSで効きにくかった検索の融通の幅を広げることができる。

 

 執筆者は大学院に進学した際、同じ時期に研究室に所属していた先輩PDから、アラビア語文献、特に法学書が読めるようになることは、まるで職人芸を身につけるようだと吐露されて、妙な納得感を抱いた。法学書での議論には形式的な側面が多い。それを一つ一つ理解するには、その道の先達のもとで手とり足とり訓練を受けることが、結局のところ学習の効率はよい。上で紹介したデジタルツールは、そうした学習法のほんの入門部分を代替する手段にすぎない。しかし、これらを学習者個人が当たり前に使いこなせるようになることで、法学書を読むために割くリソースをより高度な読解や解釈理解に費やすことができる。そうしてアラビア語文献を読む学習者にとって、職人となる道が少しでも易く短くなることを願うところである。

March 29, 2024