東京大学人文社会系研究科博士課程(2019年度~2020年度U-PARL学術支援職員)
李筱婷
中国前近代の資料を扱う研究において、言葉の考察は欠くことができない。「訓詁学」はその過程で生まれてきた学問である。歴史、文学、哲学など、あらゆる分野の研究は訓詁学を基礎とする。五経を始め、多くの経典は先秦時代に成立したもので、漢代以降の人々にとってはすでに難解なものであった。そのような古い言葉を同時代の人々に分かるように解釈し、提示する事を「訓詁」と言う。漢代の儒学者達は、戦国時代から漢代にかけて成立した『爾雅』をはじめとする経典を読むために訓詁に力を入れた。宋代から明代の間の学者は、テキストの具体的な内容を細かく研究するより、経典の中のロジックや思考を追求することに力を入れた。訓詁学は清代に再び盛んになり、乾隆・嘉慶年間(1736~1820)にピークを迎えた。形而上学的な宋代の儒学者と違い、清代の儒学者は考証を重んじ、物事の根拠を求めたり、文の意味そのものを明らかにすることに努め、古い注解、特に漢代の儒学者の注解を重視した。このような学問を「樸学」や「考証学」と呼ぶ。その必要に応じて誕生したのは阮元が編纂した『経籍籑詁』である。『経籍籑詁』は唐以前の経典への注を一括して整理し、羅列した工具書である。これに基づいて編集されたのが本書『故訓匯纂』(商務印書館2003年発行。アジア研究図書館蔵書、2-03X:800d:zfb)である。
『故訓匯纂』は先秦から清末まであらゆる時代のあらゆる文献についての注釈を網羅的に収録している。訓詁学資料を約50万箇条、1200万字収録し、その引用元となった漢籍は228種類ある。
一つの言葉が有する意味の集合は膨大であり、文脈によってその中のある意味が際立たせられる。言葉の意味の集合を展示して、それぞれの場に適応する意味を洗い出せるようにするために存在するのが辞書である。一般的な辞書には、その編集者の立場、見方が反映されている。言葉の意味の集合は一つの平面上に展示されるのではなく、ステージ上にある意味とバックグラウンドとなる意味とがある。意味のどの側面を強調するのかは編集者次第である。これに対し、本書(『故訓匯纂』)は純粋なオリジナル資料集である。古代の人々が、ある言葉をどんな意味とリンクさせていたのか、実態をありのまま反映していることから、現在でも参考になる資料である。
中国語の「映」を例に、『故訓匯纂』と普通の辞書の違いを見てみたい。
現代の代表的な中規模中国語辞書である『辞海』『辞源』で調べてみると、まず『辞海』(合訂本。中華書局、1948年10月第二版)では(文中の書名には『』、引用部分には「」を附した。下線も筆者による。以下同じ)
㊀明也,見『説文新附』。『文選』王粲『七哀詩』:「山岡有餘映,」注引『通俗文』曰:「日陰曰映,」按謂日陰之餘明也。
㊁照也。『南史』陳後主張貴妃伝:「毎瞻視眄睐,光彩溢目,照映左右。」
㊂午後一二時也。梁元帝『纂要』:「日在午曰亭,在未曰映。」
次に、『辞源』(方毅等編、商務印書館、1922年11月第4版)では、
㊀影也。『通俗文』日陰曰映。
㊁照也。謂光輝之反射也。
㊂日在未曰映。見『梁元帝纂要。』
と、どちらも「映」という言葉の核心を表す意味をピックアップし、編集者が考える重要さで並べている。そして、一見してわかるとおり、それぞれの編集者が考える意味の中心は大きく異なる。『辞海』の編集者は「明」を、『辞源』の編集者は「影」を一番に提示している。さらに、「日陰曰映」という昔の注解に対して正反対の解釈を導き出している。編纂者の解釈は辞書の使用者の観点を大きく左右するものである。辞書の解釈が誤れば、使用者は資料を読み間違え、研究に支障がでる可能性も十分にある。
一方本書(『故訓匯纂』)は以下のように編集されている。
映 《說文新附・日部》:“~,明也,隱也。从日,央聲。”
yìng《廣韻》於敬切,去映影,陽部。
①~,明也。《說文新附・日部》│《玉篇・日部》│《廣韻・映韻》
②暉、~言光明也。《文選・左思〈蜀都賦〉》“金鋪交~,玉題相暉”張銑注。
③~,照也。《文選・沈約〈宋書謝靈運傳論〉》“獨~當時”劉良注。
④~,猶照也。《文選・陸機〈贈馮文羆遷斥丘令〉》“雙情交~”李善注。
⑤麗、~謂照耀也。《文選・江淹〈雜題詩三十首〉》“朱櫂麗寒渚,金鍐~秋山”呂向注。
⑥~,相映暎也。《小學蒐佚・字書上》。
⑦~,傍照也。《慧琳音義》卷二十一引《慧苑音義》“相庇~”注引《字書》曰。
⑧~,曬也。《小爾雅・廣言》。
⑨~,陽也。《廣韻・映韻》。
⑩~,隱也。《說文新附・日部》│《集韻・映韻》
⑪~,蔽也。《元包經傳・仲陽》“冏~覘苫”李江注。
⑫~,猶蔽也。《文選・顏延之〈應詔觀北湖田收〉》“金駕~松山”李善注。
⑬~,不明也。《慧琳音義》卷二十三引《慧苑音義》“泉流縈~” 注引《字指》曰。
⑭~,謂不明皃也。《慧琳音義》卷九十八“~蔚” 注引《字指》。
⑮~,半明也。《小學鉤沉・字指》。
⑯日陰曰~。《小學鉤沉・通俗文下》。
⑰~作照。《文選・江淹〈雜題詩三十首〉》“秋月~簾櫳”舊校:“善作照。”
⑱~蓋,謂冠與車蓋相映也。《後漢書・張衡傳》“冠咢其~蓋兮”李賢注。
このように本書(『故訓匯纂』)はオリジナルな資料を集めて整理するだけで、解釈、解読、現代語訳などをせず、昔の解釈をそのまま使用者に提供している。もちろん、昔の人の解釈が全部正しいとは言えないが、一定数の資料が揃っていれば、読者は互いを参照しながら意味の正体に近づくことができる。「映」を例にとれば、日(または他の光源)の光が何かを照らすという一つのシーンを表現していることがわかる。その中で、話者が光源を意識して言葉を使えば「ひかる」の意味になり、照らされた物の反射光を意識して使えば「うつる」の意味になり、照らされた物ができる影を意識して言葉を使えば「かげ」の意味になる。資料を網羅的に集め、使用者に示しているからこそ、いろいろな意味からそのシーンを構築することが可能になる。「映」という言葉はこのようなシーンを描写する言葉であると把握できれば、正反対に見える「ひかり」と「かげ」を一つの意味の両側面として統合することができ、文脈に応じた言葉の解釈ができるようになるのである。
経典を古代の人の思想が実体になった結果だというのならば、訓詁学は古代の人の頭の中を覗くツールであると言えよう。訓詁学の研究者は文字や言葉の「意味」を覚えるより、古代の人と世界を見る目を共有するのが重要だと筆者は思う。『故訓匯纂』は古代の人の世界の見方を構築する助けになる一冊である。
April 28, 2022