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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

COLUMN

2021年版リーフレットのデザイン、“アジアの文字”

東京大学附属図書館アジア研究図書館寄付研究部門発行の2021年版リーフレットの背景画像として使用した文字は、アラビア文字、漢字、ヒエラティックの3種類です。言語は、ペルシア語、古典中国語、古代エジプト語であり、書かれている内容は詩や格言の一部となります。それぞれどのような資料から抜き出した詩や格言であるのかを、河原准教授、荒木特任研究員、永井副部門長が解説します。

なお、東京大学総合図書館南葵文庫蔵「偽絳帖」については、東京大学アジア研究図書館デジタルコレクション碑帖拓本コレクション」にて高画質なデジタル画像で全ページをご覧いただくことができます。

2021.5.24


『ベーディル詩集』の写本

『ベーティル詩集』(表紙)

この写本は、中央アジアで作成された、ベーディルBēdil(1644-1721)というインドのペルシア語詩人の詩集である。ベーディルは「恋に落ちた」「落胆した」「臆病な」などを意味する雅号で(直訳すると「心(dil)のない(接頭辞bē-)」)、本名はミールザー・アブドゥルカーディルMīrzā ‘Abd al-Qādirという。

ベーディルは、ムガル朝下で発展して当時のペルシア詩の主流となった、繊細で技巧的な比喩表現を特色とするインド・スタイルの代表的な詩人とされ、神秘主義・哲学詩人として名高い。哲学的な示唆に富む彼の詩は難解なことで知られるものの、18-19世紀のアフガニスタンや中央アジアで大変好まれ、彼は「アブル・マァニーAbū al-ma‘ānī(意味の父)」と尊称された。また、各地で「ベーディル・ハーンBēdil-khwān(ベーディル詠み)」が彼の詩を詠み聞かせる詩会が催されるほどだった。現在の中央アジアではウズベク語などのテュルク系諸語が広く用いられているが、歴史的にはペルシア語が文章語として用いられており、多くの人々がテュルク語とペルシア語の二言語話者であった。このような言語文化は、中央アジアがロシア帝国に併合され、続いてソ連に組み込まれていくなかで、各民族語とロシア語との二言語使用に変容していったが、ベーディルの人気は、中央アジアとインドの間に深い文化的な交流があり、中央アジアにおいてペルシア語文学が広く親しまれていた最後の時代を象徴しているとも言える。

その人気ゆえ、彼の詩集の写本も多い。現在中央アジア随一の歴史史料の所蔵研究機関であるウズベキスタン共和国科学アカデミー東洋学研究所には、中央アジアの諸地域から収集された50点以上の写本が所蔵されている。写本のヴァリエーションも豊富で、特定の詩型のものだけを集めた詩集もあれば、全集もある。

ガザルghazal(抒情詩)
ガザルの一例

さて、筆者は難解な詩文を訳す能力はないので、写本の内容の紹介は形式面からにとどめたい。この写本の全192葉のうち、初めの174葉にガザルghazal(抒情詩)が、末尾の13葉にルバーイーrubā‘ī(四行詩)が収められている。拡大画像はガザルの1例である。ガザルは主に恋愛詩(神に対する愛の場合もある)に用いられる形式で、いくつかの対句から構成される。画像の詩においては、1行の右半分が1半句、左半分も1半句で、合わせて1対句となる。各対句は脚韻を踏むが、冒頭の対句だけは上の句末も脚韻を踏む(アラビア文字は右から左に書かれるので、行の左端を確認されたい)。この詩においては、4対句の後に行の中央部分に幅狭く書かれている5行目と6行目が、最後の対句である。4対句目までと同じリズムで続くが、詩の終わりであることがわかりやすいように、右左ではなく上下2行に分けて書かれている。また、最後の対句には詩人の雅号が読み込まれる。この詩にも「ベーディルبیدل」が読み込まれている。なお、最後の対句の各半句の真ん中の隙間は不要で、本来は空ける必要はないが、この写字生の割付のセンスだろうか。詩はアレンジされて伝わることも多く、部分的に別の語彙が用いられたり、対句の数が異なることがある。実際、アフガニスタンで出版された『ベーディル全集』(1巻ガザル編、p.246)においては、この詩は15対句で構成されていた。

ルバーイーrubā‘ī(四行詩)

一方、ルバーイーは文字通り四つの半句から構成される。1、2、4番目の半句が脚韻を踏む。長大な作品が多いペルシア語詩のなかでは簡潔で素朴な表現形式である。ただ、この写本では理由は不明ながらベーディルのルバーイー詩集のわずかな一部を所収するのみである。

河原弥生(アジア研究図書館研究開発部門准教授)

個人蔵。ヒジュラ暦1291年11月1日(西暦1874年12月10日)筆了、写字生および筆写地の記載なし。

【参考文献】
黒柳恒男『ペルシア文芸思潮』近藤出版社、1977年
Ansari, Bazmee A.S., Bīdil, Encyclopaedia of Islam, New edition, vol.1, Leiden: Brill, 1954(学内ネットワークからはオンライン・データベースも利用できる。)
Kullīyāt-i Abū al-Ma‘ānī Mīrzā ‘Abd al-Qādir Bīdil, Kābul: Di Pūhinī Wizārat di Dār at-Ta’līf-i Riyāsat, 1341-1344 [1962/63-1965/66]
Собрание восточных рукописей Академии наук Узбекской ССР, под редакцией и при участии А.А. Семенова, т. 1-11, Ташкент: Изд-во Акедемии наук УзССР, 1952-1987
Ўзбекистон миллий энциклопедияси, бош таҳрир ҳайъати аъзолари Муроджон Аминов … et al., т. 1, Тошкент: “Ўзбекистон миллий энциклопедияси”, 2000


東京大学総合図書館南葵文庫蔵「偽絳帖」

『絳帖』とは、北宋期に潘師旦が『淳化秘閣法帖』(淳化閣帖)をもとに編んだ法帖(鑑賞、学習用に書跡を集めたもの)である。その『淳化閣帖』は、北宋・太宗皇帝の命で、宮廷が所蔵する歴代の名人の墨蹟を集め、摹勒し、拓本にしたもので、全十巻であった。潘師旦はこれを増補して二十巻としたのであり、絳州(現山東省新絳県)で作成されたことから『絳帖』と呼ばれるようになった。
『絳帖』は、『淳化閣帖』に次ぐ名品と高く評価されていた。加えて、『淳化閣帖』の原版が早くに失われたこと、流布した量が少なかったこともあり珍重された。しかし、『絳帖』自体も流通量が少なく、さらに潘師旦の死後、原版は分割され、散逸してしまったとされる。

明代中後期にはいわゆる文人趣味が流行し、名人の墨蹟を集めた法帖が盛んに取引され、好事家の収集の対象となっていた。
『絳帖』もその名声から求める人が多く、実際に市場には多くの『絳帖』が出回っていたのだが、明代に取引されていた十二巻本『絳帖』は偽作であると考えられている。これはひとり『絳帖』にとどまらず、明代に偽作された法帖(偽帖)の流通量は非常に多く、日本にも少なからぬ数が将来されている。馬成芬の調査によると、現在日本には10種類の「偽絳帖」の所蔵が確認でき、本学所蔵品もそのひとつである。

2021年度版U-PARLリーフレット表紙の背景に用いたのはこの本学所蔵「偽絳帖」の巻二所収魏・曹植「贈王粲」詩(草書)、および巻六所収晋・王献之書「洛神賦」である。

巻二所収魏・曹植「贈王粲」詩

「贈王粲」は魏・曹植作の五言十六句の詩である。「偽絳帖」の文字を『文選』などで伝わる通行テキストと対照すると、第三句の中間に、本来の第十四句から第十六句にあるべき文字が挿入されるという混乱した状態になっている。(※第三句の冒頭「樹木」のあとに本来の最終句の最終二字「百憂」があり、つづいて第十四句最終字の「周」から第十六句第三字の「懐」までの九字、そのあと第三句第三字「發」にもどり、以下定本のとおりに第十六句第二字の「懼」までつづいている。また、本来の第十六句の第三字「澤」、第四字「不」はなくなっている)
明代の偽法帖には粗雑なつくりのものも多く、翻刻された法帖を購入して巻頭や巻末の年月を改竄したものや、複数の法帖の断片を切り貼りしてつくられたものまであったという。本資料も原詩を知らない者、あるいは知っていてもまったく詩を読まずに文字だけを追っている者が資料をいい加減にとりあわせ、その後校正も行わなかったものと思しい。明代の法帖の粗製濫造の一端がうかがえる興味深い資料である。

巻六所収晋・王献之書「洛神賦」

王献之「洛神賦」は、魏・曹植作の「洛神賦」を晋代に王献之が楷書でしたためたもので、書法史上重要な位置を占める作品である。宋代にはすでに中間の十三行しか伝存せず、「洛神賦十三行」と称され、その状態で石に刻まれ、その拓本も作成された。のちに原版が失われ、拓本も翻刻を重ねて様々なバージョンが現れ、流通していた。明の万暦年間(1573-1620)になり、杭州で「洛神賦十三行」が刻まれた石が発見された。これが宋代に刻まれたものだと考えられており、現在「洛神賦十三行」のもっともすぐれたバージョンであるとされる(碧玉版)。今回用いた「偽絳帖」はそれ自体が明代の作であると考えられているうえ、この「洛神賦」も十四行に改変されていることから、碧玉版発見以前に無数に流通していた翻刻バージョンのひとつを利用したものなのであろう。

荒木達雄(U-PARL 特任研究員)

【参考文献】
宇野雪村『法帖事典 上〈本論編〉』雄山閣、1984年
劉保民「『絳帖』的前世今生」『山西社会主義学院学報』2016年第4期
李永「明代刻帖的興盛与作偽考論」『文化遺産』2015年第2期
水賚佑「十二巻本『星鳳楼帖』考」『中国書法』第357期、2019年
馬成芬「江戸時代における日本に輸入された中国の偽法帖について」『東アジア文化交渉研究』10、2017年
于明詮「王献之『洛神賦十三行』」『老年教育(書画芸術)』2010年6月号
韓建識「白玉版『洛神賦十三行』考」『中国書法』239期、2013年3月


古代エジプトのヒエラティック写本「エルミタージュ・パピルスNo.1115」

エルミタージュ・パピルスNo.1115
「エルミタージュ・パピルスNo.1115」筆者撮影(The Tale of the Shipwrecked Sailor. Inv. no. DV-1115, The State Hermitage Museum, St. Petersburg.)

掲載した写真は、エルミタージュ美術館所蔵ヒエラティック写本「エルミタージュ・パピルスNo.1115」(古代エジプト第12王朝時代頃:紀元前1991-1782年頃)である。本パピルスには「難破した水夫の物語」との通称を持つ文学作品が書かれている。内容は、任務に失敗して落胆している同行人を励まそうとして、親衛兵が自らの不思議な難破体験を語るというものである。

落胆した同行人の態度には、ファラオを絶対的な存在とするヒエラルキーが崩れ、群雄割拠の時代を迎えた第一中間期に芽生えた厭世主義の思想を感じさせる。古代エジプトで厭世観の強い作品としては「生活に疲れた者の魂との対話」が有名である。

一方で、親衛兵の語りの内容は、教訓文学あるいは訴えや対話を主体とする思弁文学に通底する。古代エジプトの教訓文学としては「メリカラー王への教訓」が、思弁文学としては「雄弁な農夫の物語」が、それぞれ有名である。なお、「生活に疲れた者の魂との対話」もスタイルとしては思弁文学に属する。

「エルミタージュ・パピルスNo.1115」は、ヒエラティック(神官文字)と呼ばれる崩し字で書かれている。全体としては右縦書きが主体となっているが、右横書きで表記されている部分もある。写真の文字(第18-19行目)は右縦書きであるが、ここに書かれている一文を左横書きのヒエログリフに翻刻すると以下のようになる。

 

記されている内容は、ヒエログリフやヒエラティックなど固有の文字を生み出した古代エジプト人らしい、言葉の重要性を説く格言である。このほか、親衛兵は「人々にとって、聞くことはよいことなのです」との言葉も伝えている。さて、このような励ましを受け、同行者はいかなる言葉を返したのだろうか。結末が気になる方は、杉勇 他 [訳]『古代オリエント集 』(筑摩世界文學大系1)、筑摩書房、1978年 に所収の邦訳で確認するとよいだろう。ちなみに本書には、「メリカラー王への教訓」、「生活に疲れた者の魂との対話」、「雄弁な農夫の物語」の邦訳も所収されているので、合わせて一読をお勧めしたい。

「エルミタージュ・パピルスNo.1115」のモノクロ写真は、Vladimir Golenischeff, Les papyrus hiératiques no no 1115, 1116 A et 1116 B de l’Ermitage impérial à St Pétersbourg, Saint Petersbourg, 1913 に掲載されており、「難破した水夫の物語」をヒエラティックの原典で読む際には本書を参照することになる。その際に必要となるのが、ヒエラティック字典として不動の地位を得ている Georg Möller, Hieratische Paläographie , Bd. I- III, Ergänzungsheft, Leipzig, 1909–36 である。本書の初版セットは東京大学アジア研究図書館に所蔵されており、そのデジタル画像は東京大学アジア研究図書館デジタルコレクションの「Digital Resources for Egyptian Studies」で公開されている。加えて、Möller, Hieratische Paläographieの内容を検索することのできる世界初のデータベースとして、『ヒエラティック古書体学』データベース(日本語版/英語版)が作成されており、世界各国で利用されている。

永井 正勝(U-PARL副部門長・特任准教授)

【参考文献】
小山雅人「古代エジプトの文芸作品目録」『オリエント』28-1、pp.145-157、1985年
ペネロペ・ウィルソン『聖なる文字ヒエログリフ』青土社、2004年