
<企画趣旨>
アクマタリエワ ジャクシルク(U-PARL特任研究員)
東京大学アジア研究図書館U-PARLでは、2025年度より新たな取り組みとして、「中央ユーラシア学術資源コレクション」をスタートします。これは、中央ユーラシア全域にわたる貴重な学術資源を選び抜き、デジタル化して広く公開するプロジェクトです。研究者や学生の皆さんに、世界とつながる新しい知の扉を開くことを目指しています。初年度は「言語学」分野、特にチュルク諸語に注目。北西・北東・南西・南東といった多様な語群をバランスよく取り上げ、19世紀末から20世紀初頭にかけて書かれた、いまではなかなか目にすることのない貴重な資料を収集・公開します。
このプロジェクトには、ちょっとした「発見の物語」があります。企画者は2024年度に中央ユーラシア地域の専門家として本学に着任しました。デジタル・アーカイブの構築を任されながらも、どの資料を選ぶべきか、当初は手探りの状態でした。そんな中、ある日、学内の倉庫を訪れた際に、ひっそりと眠っていた数冊の古い書籍に出会います。どれも100年ほど前に刊行されたもので、長らく誰の手にも触れられず、静かに時を過ごしてきた貴重な資料でした。その本たちをそっと手に取り、慎重にページを切り開いていく作業は、単なる選書ではなく、過去と現在とをつなぐ「対話」のようでもありました。劣化の進んだ紙を破らないように一枚ずつめくりながら、文字の一つひとつに込められた知識と情熱を感じる、かけがえのない時間。まるで、時を超えて誰かから託されたメッセージを受け取るかのような体験でした。
製本後、裁断されないまま今日まで保管されてきた図書資料を慎重に開く作業 |
100年以上の眠りから覚め、ついに姿を現したページ
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そうして選ばれた資料の中にはすでに海外でデジタル化されている資料もあるかもしれませんが、企画者が大切にしたのは「本」と「研究者」と「社会」とをつなぐことです。資料をただデジタル化して終わりではなく、国内の研究者へ届け、実際の研究に生かしてもらうことで、眠っていた知の価値を再び輝かせたい!そんな想いを込めました。
現在、このコレクションをもとに、研究者たちの新たな発見や議論が生まれています。本ワークショップでは、その成果の一端をご紹介するとともに、中央ユーラシア研究の未来を語り合う場を皆さまと共有できれば幸いです。100年の眠りから目覚めた、知の宝物たち。どうぞご期待ください。
中央ユーラシア学術資源コレクション・ワークショップ
デジタル資源が蘇らせるユーラシア諸言語の姿
―19世紀末から20世紀初頭の文献―
【日時】2025年10月3日(金)13時~17時
【会場】附属図書館大会議室(事前登録制・定員30名)⇒ 事前登録は[こちら] 9月1日から! *ただし、定員に達し次第受付を締切ります。
【プログラム・登壇者】 (*報告タイトルは決定次第、更新いたします)
13:00 開場・受付開始
13:30 開会・趣旨説明 アクマタリエワ (東京大学U-PARL・特任研究員)
13:40-14:10 チュヴァシ語 菱山湧人(日本学術振興会・特別研究員)
14:10-14:40 サルト語 日高晋介(筑波大学・特任准教授)
14:40-15:00 ウズベク語 河原弥生(東京大学RASARL・准教授)
(休憩・10分)
15:10-15:40 カザフ語 大﨑紀子(東京外国語大学AA研・フェロー)
15:40-16:10 サハ語 江畑冬生(新潟大学・教授)
(休憩・10分)
16:20-16:40 コメンテーター 藤代節(神戸看護大学名誉教授)
16:40~17:00 座談会
ファシリテーター:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 児倉徳和准教授
【報告要旨】
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NEW! 菱山湧人(日本学術振興会・特別研究員) 150年前のチュヴァシ語アルファベット本と当時のチュヴァシ語の姿
本発表では、東京大学付属図書館アジア研究図書館U-PARLの中央ユーラシア学術資源コレクションに所蔵されている19世紀に書かれた2冊のチュヴァシ語文献のうち、イヴァン・ヤコヴレヴィッチ・ヤコヴレフ (1848-1930) が1875年に出版した『ロシア語アルファベットを追加したチュヴァシ人向けアルファベット本』の構成と内容、著者、歴史的価値について述べる。本書は全61頁で、まえがき、アルファベットの説明、単語と例文、テキスト、正誤表からなる。著者のヤコヴレフはチュヴァシ語アルファベットの創始者として知られ、本書のアルファベットは1938年に現行のアルファベットが制定されるまで変更されずに用いられ、その基となった。さらに、現代語では廃れている属格の長形が見られる点や、後置詞由来の具格が現代語とは異なり前の語から離して書かれている例が見られる点など、本書の記述や例文から推察される当時のチュヴァシ語の古い特徴も挙げる。
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日高晋介(筑波大学・特任准教授) ナリフキン (1911)『サルト語実践学習の手引き 第二版』における「サルト」語
本発表では、ロシア帝国末期に出版されたサルト語の独習書を取り上げる。サルト語は、現在のウズベキスタン共和国のタシケントやフェルガナ地方を中心とする定住民によって話されていた言語である。しかし、ソ連による1924年の国境画定以後はサルト語という呼称が用いられなくなり、ウズベク語が国家語として整備された。本発表の目的は、サルト語とウズベク語の接点を探ることである。本発表では、まず、出版当時の歴史的背景と著者ナリフキンの略歴、「サルト」という呼称について概観する。そのうえで、『手引き』で描かれたサルト語の特徴を整理し、中央アジアで話される現代のチュルク諸語と比較することで、ウズベク語との類似と相違を明らかにする。特に、ウズベク語に見られない特徴が存在する理由を、ナリフキンの居住地域がキルギス・カザフ寄りであった点と、1924年以降のウズベキスタンでの言語政策の影響という二つの観点から考察する。
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河原弥生(東京大学・准教授) サルト語からウズベク語へ:学習者の足跡を辿る
U-PARLプロジェクト「中央ユーラシア学術資源コレクション」の一環としてデジタル化された、ナリフキン著『サルト語実践的学習の手引書』第2版、1911年(アジア研究図書館所蔵)から、古びたメモ用紙が1枚発見された。このメモには、1920年代から1930年代にかけてウズベク語(「サルト語」はその前身)の正書法が改良アラビア文字からラテン文字に改正された時期の新旧のアルファベット対応や発音の注意点が手書きされている。その内容から、このメモは出版からそれほど遠くない時期のロシア人学習者によるものと推測される。また、メモの存在や貼付された古書店の値札から、この書籍が古書として本学に購入されたことがうかがえる。本報告では、このメモを手掛かりに本書をかつて誰が所蔵し、どのように利用したのかを探り、本書および類似資料群の性質を考察する。さらに、それらの資料の研究利用の可能性についても検討したい。
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大﨑紀子 (東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所・フェロー/京都大学) デジタル資源が蘇らせる19世紀カザフ語の姿
東京大学図書館所蔵『カザフ・キルギス語簡易文法』(第1部1894年, 第2部1897年出版,P. M. メリオランスキー著)について解説と考察を行う。本書でいう「カザフ・キルギス語」は「カザフ語とキルギス語」という意味ではなく,現代の「カザフ語」のみを指す。なぜなら,19世紀当時帝政ロシアはカザフを「キルギスkirgiz」と呼んでいたからである。本発表では,①本書の概要として、著者についての情報やその執筆・出版の背景,さらに本書の学術的意義について解説したのち,2つの話題を取り上げる。1つめは,②19世紀末カザフ語の母音調和について,当時の特徴が詳細に記述されており,現代語と比較しながら考察する。2つめの話題としては,③本書の余白部分に数多く残されたドイツ語による手書きメモについて,それらがいつ,誰の手によって書かれたものなのかという謎に迫るため,その内容や字体を精査して考察を行う。
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江畑 冬生(新潟大学・教授) 19世紀末のサハ語文献から見える史的変遷と方言差
本資料の前半では文字と用例を示し,後半には短いテキスト(会話文,物語文,ことわざ)を含む.1つ1つ新しい文字を導入する前半では,既出の文字のみで語例のみならず文例を挙げる工夫が見られる.例えばуとрを導入した冒頭では,уу「水」やуруу「親戚」などの語例の後に,この2文字のみを用いた文Уру уур.「塊を置け」を提示している.全体的な言語特徴は,一部の表記法の違いを除けば現代標準サハ語に近いと言える.ただしдиэкки「~の方」やыккарда「~の間」など,西部サハ語方言的な特徴も散見される(標準サハ語ではそれぞれдиэкиおよびикки арда).оойноо「遊ぶ」は,現代標準サハ語оонньооよりもトゥバ語の形式ойнаに近いことから,サハ語における史的変遷の過程がうかがえる.テキスト部分では語順などで口語的な特徴も見られる点も,19世紀末の生きたサハ語資料として興味深いところである.
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【共催】
・東京大学附属図書館アジア研究図書館上廣倫理財団寄付研究部門(U-PARL)
・東京外国語大学AA研共同利用・共同研究課題「ユーラシア諸言語における談話の文法」
・新潟大学アジア連携研究センター プロジェクト研究課題「シベリア先住民諸語の記述的・類型論的研究」
29.Aug.2025
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