ベトナムのプロパガンダ絵画
特任研究員 澁谷由紀
私の主な研究対象であるベトナムには、長く、豊かな視覚芸術の伝統がある。そのなかでとくに独自色の強いジャンルを選ぶならば、ドンホー版画に代表される民間木版画[註1]や、仏領期に成立したとされる漆画[註2]、そしてプロパガンダ絵画が挙げられる。
プロパガンダ絵画とはある政治的意図をもとに主義や思想を強調する宣伝のために描かれた絵画である。ベトナム語でプロパガンダ絵画はチャイン・コー・ドン(tranh cổ động)といい、美術のジャンルの一つとして確立している。その証左としては、2006年にはプロパガンダ絵画の画集がベトナム政府によって刊行されていることや、ベトナム国家図書館の書誌には、「プロパガンダ絵画」という件名が存在し、プロパガンダ絵画そのものやプロパガンダ絵画を扱った画集や研究書にその件名が付与されていることがある。また近年は、プロパガンダ・ポスター(propaganda poster)をモチーフとした土産物が、ハノイ市やホーチミン市で販売されており、外国人観光客らの人気を集めている[註3]。
ベトナムのプロパガンダ絵画の特徴は、(1)芸術的価値の高い作品が多く存在したこと、(2)現在も盛んに創作され続けていることの二点である。
私の手元にある文化–情報省の文化–基礎情報局(現在は文化スポーツ観光省の基礎文化局に改組)によって刊行された画集、『ベトナムのプロパガンダ絵画、1945-2005年』(Cục văn hóa thông tin cơ sở 2006)には、ベトナム革命博物館、ホーチミン博物館、ベトナム軍事博物館、ベトナム美術博物館、文化–基礎情報局、専業画家と非専業画家によって所蔵されている3600点の作品から選定された535点の作品が掲載されている[註4] 。絵画の中で用いられているテーマは、抗仏戦争や抗米戦争、ホーチミン、ベトナム国内の諸民族の共闘、輸出産品の生産促進、農業・工業生産の促進、祖国防衛、麻薬撲滅、ソ連との友好関係やカンボジア・ラオスとの団結、平和、ベトナム労働党/ベトナム共産党、選挙、教育など多彩である。時代によって多用されるテーマが異なることや、扱われない(画集掲載用に選定されない、または制作されていない)テーマがあることは、ベトナム近現代史を研究する者にとって大変興味深い。それと同時に、色使いの美しさ、構図の安定性、文字デザインの斬新さや配置の巧みさという点で、魅力にあふれる作品が多く、眺めていると時間を忘れる。
現在進行形で描かれ続けているプロパガンダ絵画については、ただベトナムの街をそぞろ歩くだけで目にすることができる。扱われているテーマは多彩であり、現代ベトナム政治の分析材料になりうるという点で大変興味をそそられる。しかし芸術性の面では、前述の画集に収録された作品群に比べ、全般的に画一的で単調であり、正直な感想を述べるならば見劣りする。おそらくこの差は、国内の一流の芸術家の参加の有無や、版画やポスターとして複製される枚数の多寡、時代の移り変わりにともなう人々の感性の変容などに要因がある。
現在、文化スポーツ観光省の基礎文化局は、プロパガンダ絵画のコンクールを積極的に実施している。たとえば、2021年6月18日には、「ホーおじさんの救国の道を求めてへの出国110年記念(1911年6月5日-2021年6月5日)プロパガンダ宣伝絵画創作コンクール」が実施され、468点の作品から、合計65点の作品が選定された(Cục Văn hóa cơ sở – Bộ Văn hóa, Thể thao và Du lịch: 2021a)。選定された作品は同局ウェブサイト上でみることができる(Cục Văn hóa cơ sở – Bộ Văn hóa, Thể thao và Du lịch: 2021b)。同局ウェブサイトには他にも、環境保護に関するプロパガンダ絵画や、新型コロナウィルス感染拡大防止に関するプロパガンダ絵画などの特集記事が掲載されており、絵画を通じてベトナム政治の今をうかがい知ることができる(Cục Văn hóa cơ sở – Bộ Văn hóa, Thể thao và Du lịch n.d.)。
<註>
[註1](田中 2005)(二村 2021:369-387)を参照。
[註2](後小路 2005)を参照。
[註3]社会主義期のプロパガンダ・アートが現在ではキッチュにみえることを、共産主義キッチュ(communist kitsch)と呼ぶという(高山 2017: 116)。
[註4]ベトナム語・英語並列表記。日本では追手門学院大学附属図書館と東京外国語大学附属図書館に所蔵されている。
<参考文献>
後小路雅弘 2005: 「ベトナム近代美術の技法」『ベトナム近代絵画展』 、産経新聞社, 58.
高山陽子 2017: 「社会主義キッチュに関する一考察」『亜細亜大学国際関係紀要』26(1–2): 115-134.(http://id.nii.ac.jp/1385/00017328/)
二村淳子 2021: 『ベトナム近代美術史 : フランス支配下の半世紀』、原書房.
田中晴子 2005: 「民衆版画 ドンホーとハンチョン」『ベトナム近代絵画展』、 産経新聞社, 127-128.
Cục văn hóa thông tin cơ sơ 2006: 60 năm Tranh cổ động Việt Nam, 1945-2005. [Hà Nội] : Văn hóa thông tin.
Cục Văn hóa cơ sở – Bộ Văn hóa, Thể thao và Du lịch 2021a: Thông báo kết quả cuộc thi sáng tác tranh cổ động tuyên truyền kỷ niệm 110 năm Ngày Bác Hồ ra đi tìm đường cứu nước (420/TB-VHCS), 18-06-2021.
Cục Văn hóa cơ sở – Bộ Văn hóa, Thể thao và Du lịch 2021b:
“Album tranh cổ động tuyên truyền kỷ niệm 110 năm ngày Bác Hồ ra đi tìm đường cứu nước”, http://vhttcs.org.vn/gallery.aspx?sitepageid=662&albumid=92, (Accessed on 30-6-2021).
Cục Văn hóa cơ sở – Bộ Văn hóa, Thể thao và Du lịch n.d. : “Tranh cổ động”,
http://vhttcs.org.vn/galleries.aspx?sitepageid=662, (Accessed on 30–6-2021).
2021.7.13