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東京大学附属図書館アジア研究図書館
上廣倫理財団寄付研究部門
Uehiro Project for the Asian Research Library

EVENT

【報告】TRCCS第2回台湾漢学講座

台湾史研究と公文書
呉密察
国史館館長

 

[翻訳・解題]新田龍希

東京大学教養教育高度化機構・特任助教

 


[解題]

 本稿は二〇一七年一〇月一三日に台湾国家図書館漢学研究センター、東京大学台湾漢学リソースセンター(TRCCS)、東洋文化研究所、附属図書館U-PARLの共催で東洋文化研究所大会議室にて開催されたTRCCS第二回台湾漢学講座、呉密察(台湾・国史館館長)「台湾史研究と公文書」の講演記録である。当日は川島真氏(東京大学大学院総合文化研究科教授・TRCCSセンター長)が開会挨拶を、松田康博氏(東京大学東洋文化研究所教授)が司会をそれぞれ務めた。

 本講演では国民党遷台後の台湾における台湾史研究の動向を、社会的課題及び史料面のインフラ整備を軸として、実体験を交えつつ語られている。前者の社会的課題について、あまり知られていないが、呉氏は台湾の民主化運動が花開きつつあった一九八〇年前後より、ペンネームで党外雑誌(『八十年代』、『暖流』など)に台湾史に関する文章を発表し、当時の台湾社会におこっていた台湾史を知りたいという欲求に応えていた。また八〇年代末以降は日本の政治社会状況を台湾社会に紹介し(『日本観察――一個台湾的視野』稲郷出版、一九九二年)、また台湾史の基礎知識を社会に発信する目的で、年表と用語集を併せた形で簡にして要を得た『台湾史小事典』(遠流出版、二〇〇〇年、和訳出版あり)の監修や、歴史漫画『認識台湾歴史』(全一〇冊、新自然主義、二〇〇四〜二〇〇五年)の企画など八面六臂の活躍を見せている。台湾のメディアでの露出も多い。社会的課題を台湾史研究の動向整理の軸にするという視角の設定は、このように実践的に活動してきた呉氏ならではであろう。なお後者の史料面のインフラ整備については、日本統治時代以降現代に至る史料の発掘、史料集出版などの状況を整理した文献として「国家史料的編纂」(呉密察ほか撰文『台湾史料集成提要』増訂本、行政院文化建設委員会・遠流出版、二〇〇五年)があるので、より詳しく知りたい向きはこちらをご覧頂きたい。

 講演の後半は蔡英文政権成立に伴い呉氏が国史館館長に就任されて以降の檔案行政についての紹介である。国史館とは中華民国総統府直属の国史編纂や史料文物の整理収集、総統・副総統関係の史料文物を収集することなどを目的とした政府機関である。呉氏の館長就任以来、従来の史料閲覧制度の変更やデジタル化の急速な促進など大きな動きがあり、前者は台湾内外の中国近現代史研究者を中心に制度変更反対の署名活動が行われ、台湾のメディアでも連日報道された。檔案の機密解除、デジタル化、公開を積極的に進めるためには、まず法制に則った史料の管理運用――国史館も檔案管理局と同一の制度の元に管理運用する――が求められる、という考えが示されている。また、蔡英文政権成立以後、台湾では「移行期正義」が議事日程に上っている。現在立法院では関連する様々な法令が審議されており、そのうちのいくつかは成立しているが、呉氏はこれらにも国史館館長として関わっており、その意味で「移行期正義」をめぐる現代台湾政治のアクターであるとも言えよう。この点についても終盤で少し触れられている。(新田)


 松田〔康博〕さん、川島〔真〕さん、そしてご来場のみなさま、こんにちは。懐かしいこの場所に戻ってこられたことをとても嬉しく思います。三〇年前東京大学で留学していた頃は、毎週この東洋文化研究所の建物で授業を受けていたものでした。三〇年が過ぎ、キャンパスの景色や人々も大きく様変わりしてしまいました。今朝文学部の方へ出かけてみたところ、当時の国史学研究室の同級生にばったり出くわしたのですが、一見お互いを認識できないまでになっていました。

 さて、本日は台湾史研究の発展と、関係する檔案や公文書の公開、利用とをテーマに、皆さんにこの四〇年来の台湾での台湾史研究の展開をお話したいと思います。内容は台湾史研究をいくつかの段階に分けながら回顧すること、そして台湾の檔案や公文書の整理、公開状況を紹介することの二つからなります。

 台湾の台湾史研究を左右する要素はいくつかあると思います。もっとも東アジア各地の学術研究の状況はおよそ類似しており、台湾だけが特殊な状況ではないと思いますので、きっと理解しがたいということはないと思いますが、台湾史研究に影響を与える要素としてまず指摘しなければならないのは、政府機関の支援に大きく依存しているという点です。基本的に台湾の学術研究は国公立の大学や研究機関により担われていますので、おのずと政府が提供する組織やその構成、そして経費の影響を受けます。日本や台湾、更には中国や韓国、香港、シンガポールも同様ですが、東アジアにおける学術研究は国家による支援の割合が相当高く、欧米のような比較的に政府と独立した状況とは大きく異なるのです。

 また学術研究に影響を与える重要な要素として、社会的課題が挙げられます。これは台湾の状況に即して言えば、民主化、自由化、本土化であり、最近正面から取りあげられるようになった「移行期正義(Transitional Justice)」です。これらの社会的課題は一方では政府に新たな公的研究機関を設立すること、既存の機関を拡張すること、関係領域に多くの関心や資源を注ぐことなどを求め、他方ではそれぞれの研究者の研究課題に反映されるのです。

 さらに、学界の潮流や学界の資源面での環境も、研究の方向性や進展に影響を与えます。歴史研究における重要な研究資源は史料(そしてその発掘と整備)であり、台湾史研究においては檔案が重要な役割を果たしてきました。21世紀に入って以降は、新たな科学技術(とりわけコンピュータ科学)を利用した檔案や史料の整理も歴史研究に影響を与えています。近年強調される学際化や国際化といった学界内部の潮流もまた、台湾史研究に大きな影響を与えています。例えば本日の講座は「漢学講座」と銘打ってありますが、今日の「漢学」はもはや五〇年前のそれとは大きく異なり、既に伝統的なシノロジーではなく、むしろ地域研究のような学際的なものになっています。このように現在の東アジアの学界において、学際化や国際化のスローガンは、既に大きな実質的影響を与えているのです。

 また、当然ながら学術研究は研究者それぞれの才能や関心の影響も受けます。学術研究の主体は研究者ですから、研究者の才能や関心も研究の方向性や研究課題を決定するのです。

 本日は以上のような視角を前提として、この数十年間に亘る台湾史研究の展開をお話したいと思います。台湾史研究はいくつかの段階に分類することができるでしょう……

 

(本講演記録は紙媒体としてまず公開予定です。掲載媒体が確定し、その許可がおりてからウェブサイトで公開します。